あるところの手帳を作るのも3年目、前回ダメもとでお願いした表紙の塩ビカバーのオリジナル色が実現したので、このたびもいくつか色合いを指定して頼んでみることにしました。オリジナルの色が実現したと言っても、実はこちらが意図したものではありません。誰も想像だにしなかったふうに仕上がって、先方は失敗作としてお持ち下さったのですがそれがかえって功を奏したのでした。1年が過ぎまたその制作チームで集まったとき、表紙カバーは前回の路線で行きたいねということになるも、誰も「意図」したものではなかったために、さてどうお願いしようかと困ってしまいます。
私たちがこういったことを直接相談するのは印刷会社です。手帳表紙にみあったサンプルとして見せてもらう塩ビシートのサンプルというのは紙の見本帳をぐっとコンパクトにしたようなもので、様々銘打たれたタイプごとに色のバリエーションが10数種類ずつほどあります。その中でこの手帳のために選んだのはより柔らかい革の風合いに寄せたもので、微妙な色むらがあって表面をちょっとぬるっとした感じに加工したもの。風合いはいいのですが、色むらの具合をもうちょっとなんとかしたいというのが、前回オリジナルで願おうと思った発端でした。
「このムラムラの色幅をもうちょっと狭くできないかな」。印刷会社の人と雑談しますが、それをどう「指定」したらいいのか検討がつきません。先方としても、なにしろ見本から選んでもらうのが大前提ですから、困るわけです。どうやってこのムラムラは作っているのだろう。やっぱり型があるんだろうか。色は1種類で薬剤でムラムラ? いや、2色でしょう......推測だけで誰もその工程を知らないのです。工場を見たい、でも時間がない――仕方なく、「色むらの濃いほうはこれ、薄いほうはこれにしてください」とチップをつけてお願いしたのでした。結果は先に述べたとおり。
そこで今回は最初から工場見学です。7月の暑い日でした。工場にはたくさんの人が待っていてくれました。実際に作る会社、材料を提供する会社、私たちが選んだ柄のパテントを有する会社、カバーのかたちに成形する会社、そして手帳全体を作る印刷会社。ありがたいことです。まず塩ビ(ポリ塩化ビニル PVC)全体のお話。その組成の約6割が食塩であること、世の中にたくさんある塩ビ(電線、パイプ、農業用など)をリサイクルする率が非常に高いこと、カバーに使うようなものは「発泡塩ビ」と呼ばれていること、「塩ビ=ダイオキシン」という図式で手帳や文具での使用も一時落ちたがまた戻っていること。そういえば代替えとして名を馳せた生分解性プラスチックも、なにもかもではなくゴルフのピンなど特長を活かして使われているそうです。
そして先にお願いしていた3種類の試作品を見せていただきます。やっぱりまだムラムラが目立ちすぎており、もっとぼんやりしたムラムラにしたいんです、と言うと、工場の責任者の方はこの一言で納得した風でした。同じことをずっと言ってきたつもりですが、やっぱり顔を見てひとつのものを前に言葉を交わしたことでとたんに通じることってあるのでしょう。工場団地の食堂でみんなでお昼を食べたあと、工場棟に向かいます。独特の臭いと蒸し風呂のような暑さ、ファインペーパーや特殊紙などを作る工場と似た機械が並ぶ中で、働くどなたも顔をあげてあいさつしてくださいます。こんにちは、お邪魔します。
顔料や発泡剤も含めて全ての材料をよく混ぜ合わせたものが上のフロアから落ちてきて、大きなローラーをくぐって一瞬で薄く伸ばされます。ムラムラの柄をつくるエンボスローラーを通り裏に下紙が貼られ、途中、熱で乾かしたり発泡炉を通って発泡をうながしたり、順番は正確に覚えていませんがやはり紙の製造工程と似ているようです。最後の表面加工(ちょっとぬるっとした手触りにするための)をすると、色合いがぐっと変わります。白っぽくなる、という感じ。色に限って言えば、まず様々な色の顔料(石けんのようなバー状でした)を調合して材料によく練り込みますが、全ての工程を経てどう色合いが変わるかを予想するのはどれだけ経験を重ねても難しく、試作するしかないのだと聞きました。試作する、と言っても本番さながら機械を動かさねばなりませんから、たいへんなことです。
見学中に、納得のいくムラムラはできませんでした。でも私たちとしては、あとはお任せしますという気持ちでした。1週間後、カバーのかたちに成形されて、タイトルが金箔押しされたサンプルが3種類届きました。金箔が映える色合いに、というのも、お願いのひとつでした。いずれもみちがえるように美しく、しかし中でも特別映えるものがあります。デザイナーさんが妙なお願いをした、あの緑色のヤツでした。「こんな風にしてください→」。矢印の先には、深くて品のいい緑色に金で文字が印刷されたチョコレートの包み紙。「緑って難しいのよね。チップなんかで選べないからこれ貼っちゃおう」。この色だけは、やり直しをしていません。成形されて金箔がのって、それでこんなに映えるとは想像がつきませんでした。デザイナーから工場へ。思いがまっすぐに、伝わったわけです。