用事があった那覇から車での帰り、嘉手納基地のフェンスにある横断幕の広告に目がとまる。「アメリカフェスト」の文字。嘉手納基地は、独立記念日に合わせて基地を解放していた。二本ある四千メートル滑走路のうちの一本が駐車場となり、展示している配備された戦闘機、たくさんの出店、バンドが演奏するステージ。九月十一日を経験して以降、行われなくなっていたとおもう。しばらくするとテレビでCMもするようになった。入場口が国道沿いの臨時ゲートからとなっている。帰りの渋滞、日陰の無い会場、コンクリートの照り返しの暑さを想像したら行く気が失せる。以前は「カデナカーニバル」と言っていた。カーニバルに行ってはいけない、と学校の先生は言っていた。沖縄返還、基地撤去、先生方はデモのため授業がしばしば半ドンになった頃の話。
相変わらず携帯電話を持たないでいると、息子は学校の携帯電話所有調査で本人もしくは家族が携帯電話を所有していない唯一の人、という栄誉に輝いた。パソコンでのメールのやりとりも減り、月に数回あるかないか。自らホームページ、ブログなど立ち上げることなど全然興味無く、もっぱら眺め、知り合いのブログにコメントでたまに茶々を入れる程度だったが、友人の余命数ヶ月、他連絡お願いします、とのことで突然にメールのやり取りが頻繁になる。入院先はこちらから千五百キロも離れた首都圏。沖縄から九州、入院先近辺に住む連中へ病状を一斉送信し、その後見舞いに行ったものからの報告やそれに対する返信などやり取りしていた。最初の連絡を受けて二週間後、三十年来の友人はあっけなく逝った。
学校は夏休みに入り颱風は近くまで来るもそんなに雨は降らすことはない。陽に照らされた建物、空、入道雲の変わらない風景。暑い中、十年目の冷蔵庫は壊れ、実家からクーラーボックスを借り、氷を買い中に入れ、冷蔵庫の中のものを移し、新しい冷蔵庫を買いに行く。購入の条件はサイズ、その日うちに配達可能かどうか。新しい冷蔵庫は問題なく家には来た。そういえば以前も冷蔵庫は確か夏に壊れた。もう、今年の夏は壊れるものはうないだろうか。