親愛なるみなさまへ

早いもので10月の声をききましたが、いかがお過ごしでしょうか。東京は長雨であまり月を仰ぐことも出来ませんでした。さる9月14日は満月の十五夜で,韓国では秋夕(チュソク)、秋の収穫をご先祖さまにお供えし、一族の健康と繁栄を祈る行事でした。韓国・朝鮮の嫁たち、母たち、娘たちはたいへんお疲れさまでした。

さて、11月カヤグム公演のお知らせをさせていただきます。
わたしが20年以上も学び、その世界に魅了されているカヤグム(カヤグム:1500年前に朝鮮半島南東部にあったカヤというクニで創作演奏された絃楽器)という韓国の古楽器があります。

伽?琴奏者の第一人者、池成子先生が日本に住んでいらしたころに出会って(国際交流基金主催のアジア伝統芸能の交流のしごとを通して)、それから韓国の伝統文化に目を開かれ、ぐいぐい惹かれてしまった、わたしです。池先生も還暦を迎えてから、本やCD製作にも力を入れるようになり、昨秋からカヤグム楽譜集の編集のお手伝いをしました。戸田郁子さんという在韓20年以上の作家が立ち上げた出版社、土香(トヒャン)の力を得て出版にこぎつけました。五線譜は専門の方に任せてもっぱら、民謡の解説、歌詞を日本語や英語に翻訳することの編集をしました。最後の2ヶ月は戸田さんと毎夜メールで通信する仲となり、海峡を越えたパッションを分かち合いました。そしてカヤグム楽譜集『池成子 カヤグム独奏のための南道民謡・雑歌 ソリの道をさがして』が上梓できたのは春の声を聞いたころでした。

その記念公演がケナリの花が咲き出すころにソウルであり、弟子として舞台にあがりました。が、民謡(といっても、叙事詩的な長い歌なのです)を歌いながら、カヤグムを弾くという15分ほどのプログラムを練習しても練習しても追いつかず、もうパニックの日々でした。(当日も「笑顔で歌いなさい」と助言されても、心身ともに硬直したままでした。)

その民謡のひとつが「ケゴリタリョン」。そのなかに、こんな歌詞があります。

  月よ 月よ 李太白も遊んだ月よ 
  今宵の月はことに明るい 
  男の思いを狂わせる

  月よ 月よ 明るい月よ 
  おまえはなぜそんなにも明るい
  おまえの姿は美しい
  輝いている星くずもおまえに似て美しいから 天の川もさみしがる
  七夕の日を待っていた牽牛織女に会えたかい
                          (白宣基訳)
 
編集者としては、タイトルの翻訳で、悩みました。「ケゴリ」とは「蛙」なのですが、池先生が「これはカエルの歌じゃないから」とおっしゃるのです。そう、この「ケゴリタリョン」の歌の中にカエルはまったく登場しないのです。全編これ、女と男の相聞歌の内容であり、とくに女の血潮がめぐりゆくような自然崇拝、生命力を讃える歌なのです。それなのに、何故この歌に「蛙」が掲げられているのか・・・

そうしましたら、詩人高良留美子さんの著作を通じて「蛙」は月の象徴であることを知り、どこかひとつ「つながった」ような気がしたものです。縄文土器の装飾に「蛙」が施されているのは、古代の月信仰と深くかかわることを知り、朝鮮半島のいわばディープサウスで歌い継がれてきた「ケゴリタリョン」に重なるイメージを感じました。うーむ、空の月を眺める気持ちも確かに変わってきました。

秋を迎え、明るい月を仰ぐ今日この頃に、この歌が口ずさめるようになりました。夏の練習もしっかりできて、カヤグムも愉しく弾けるようになりました。

長くなりましたが、わたしどものカヤグム公演のお知らせを添付いたします。
大井町きゅりあん小ホールは席数300足らず、小振りだからこそ絃楽器の演奏会にはうってつけの空間です。韓流ブームにとどまらず、朝鮮半島、アジア、広く世界の民族音楽に関心のある方がたにご紹介いただけることを願っております。

編集部注・カヤグム公演「ソリの道をさがして」の詳細は水牛だよりにあります。