またコンピュータの事故でデータを復元してもらった後しばらく気づかなかったが、コンピュータ音楽のために使っていたソフトウェアも消えていた。それらを入れ直すことはもちろんできるが、コンピュータで音を作り、それを操ってきた何年かの、失望してはまたやり直した試みをやっと思い切るきっかけが、予期しなかった機械のトラブル、それとも処理の不手際のかたちで降りかかったと思ったほうがいいのだろうが、疑似乱数を使ってあらかじめ設定された音が偶然に出現したかのようにふるまう、またはとっさの判断でボタンを押す手が生気のない電子音をその瞬間に活性化しているようにみせかけ、自分でもそう思い込みながら、身体のない音を操るようなことはもうしなくていい、そう思ったとき、では残された音楽する道具はピアノしかない、これだって鍵盤を介して振動する弦には直接触れないで音を操る装置してみれば、西洋19世紀的コンピュータにすぎないかもしれないが、演奏する人々の手が記憶のたまり場として利用した痕跡が影のように行き来する、伝統とも歴史ともいえる仮想空間のひろがりのせいで、そこでピアノ的とされる音楽様式とそれを生み出した時代の思想にはこだわらず、引き潮とともに離れていく港からの弱い光に照らされてるようにして、離れる距離の側から行く先の見えない航路をさぐり、隠れている岩に乗り上げるときの抵抗もないかわりに、難破するというかたちでこれを終わらせる保証もない不安定な状態のまま漂っていき、そうしながらも、いままで扱ってきたすべての楽器、電子音や三味線や人間の声、録音された自然音をこの楽器の上に映して、残された短い時間のあいだに何ができるのか想像できる、と一応は言っておくとして、だいいち何かができなければいけないということはない、音が聞こえたときにはその音はもう手のとどかない時間の闇に落ち込んでいるのとおなじで、手に持ったものを取り落としたときのように、意志をもたない音、自分の手のうごきにしたがって起こる響きに裏切られながら、片足が沈まないうちに次の一歩を踏み出して水中を歩くようにひたすらつづけるそのなかで、手がかかわっているそこから目を逸らして背中にかかる風圧、それは未来からの風かもしれないが、単純に風が吹いてくる方向での展望に背を向けているたよりなさかもしれない、そんな感じに気をとられて、この未来、といってもまだわからないというだけの、すこしも肯定的な意味を含まない未来への撤退そのものが、すくなくとも自分にとっての可能性の一部として、近くに漂う漂流者をさがし、合流しないまでも、ある期間は視界のなかにもう一つの漂流物があるだけで、見えない行く手がまるで見当違いでもないという、ささやかな慰めにも似た気のゆるみが次の一歩を、よろめきと区別するという、どこかおかしな間隔と調子で遠ざかってゆく、後から見れば折れ曲がった軌道をたどりながら、全体としては安全圏内、既知の範囲、制度内、といろいろに言うことができる偽の光の陰をはずれて拡散しつづけ、近くにあるはずの別の軌道もじつは遠く、わずかな差と思われるものも越えられず、自然と後ろ髪を引かれるように下り坂を転がっていく、その速度がそれ自体微分化されているように、あるいはほとんど停止状態に感じられるときもあるように、そこにしばらく踏みとどまって砂の城なりとも築くあそびに時を忘れていられる、その錯覚のつづくままに、次の足がかりをさがして移動していく足下からの不安定とわずかな姿勢の傾きが、抵抗できない変化への誘いとなって、どんなかたちでも安定した底辺からの樹形図様の発展をゆるさない、砂の城から漏れる砂粒が微かな流れを作り、組み上げたかたちがどこか予想しなかった地点から崩れ折り畳まれていくのにつれて姿を現す、過ぎ去った過程の展望の周辺視が、後退にともなう視野の拡大と意味付けられるとしても、周辺に目を凝らすことはできない、周辺に見えるものは、周辺であることによってしか見えてこないものだから、そこに焦点をあわせることもできず、反対に焦点がどこにもないことが、視野の拡大という量的な側面からではなく、複眼化という質的転換から考えられれば、折れ曲がった軌道のあらゆる曲がり角に、そうではないという道が浮かび上がってくるだろう、というのはただのことばだけでないなら、それが個々の偏りの積分となり、複数の退路がひらける、それも一つの道だけを見ていたときとちがう、この時代の道連れのにぎわいというか、混沌としたうごめきというか、そのなかに呑みこまれたそれぞれのうごめきの偶発的な取り分としてあるこの軌道の無名で、微細で、どうでもいいようなこだわりのなかでさらに崩れていくという安心感が生まれるとさらに、ここに来るまでに影響されたというよりは、記憶にひっかかっているいくつかのことば、それも読んだというより、耳に聞こえたことば、ある情景とそれを話した人のいる風景の、されにその奥には、過ごした時の厚みをともなったことば、たとえばclinamenと言えば、エピクロスの教説の最重要部分でありながら、なぜかもとの(par)enklisisというギリシャ語では今に伝わるエピクロスの断片やてがみには見つからず、ルクレティウスの「自然について」という詩のなかに書かれているだけで、それをよんだこともあり、あとでこどもの合唱と打楽器のためにエピクロスの教えをまとめてテクストをつくったときにも使ったこともあるが、このことばから浮かんでくるのは茂みからまばらにのぞく空の断片と落ち葉に覆われた小道、それは1963年10月のベルリンのはずれで、郵便局へとつづくその小道をたどりながら、古代ギリシャ哲学史の概略を語る声がつづき、そこから偶然に起こるわずかなずれから立ち上がる世界像となって刻み込まれるこのことばがひっそり置き忘られられて暮れかかる光のなかでいまもその声の余韻を守っているのか、またあるときにはアメリカではじめてナイアガラの滝を見たとき、このことばがよみがえり、飛び散る水滴とその間に薄くかかる虹によって書かれるのを感じたと、作家はそこまでは言わなかったが、語られたことばから結ばれた映像は、その時から間歇する記憶のなかで、ことばに置き換わってそこにまだあるように感じられる、そのようにしてクレーの歴史の天使についてのベンヤミンの文章、「判決」を徹夜して書き上げた朝のカフカの日記も、ことばそのものでなく、それをよんだ時の部屋、そこにあったもの、そのことばではないかもしれないし、偶然その場で聞こえてきた声の抑揚にすぎないかもしれないような、どうでもいい細部を巻き込み、それらに置き換えられていて、それだからことばはことばでなく、記憶は記憶されているなにかとして名指せるような特徴さえもっていない、そんな輪郭のない感じとして、しかもそれだからかえって生きられた時間の、香りも味もない暗がりの斑点がところどころに押された空間への投影であり、そのようなものとして、音楽について考えようとする時にことばの裏に立ち上がってくる、その結果として音楽を語ることばの偏りが、語られる音楽の傾きととらえられるのは、どこまで意図的な操作と言えるのだろう、それとも意識する前に染められた語りの調子が、それを批判することばにさえ乗り移っているのだろうか、どちらにしても、音はすぎてゆき、かたちは崩れてゆくが、崩れることが違うかたちの始まりであり、過ぎ去る音があってはじめて音楽は可能となるが、音とともにすぎてゆく意識はそれを知らないままに終わるだろう、それでなければ音楽のありかたに変化が起こるはずもない。