ある中学校の合唱コンクールでのこと。その学校では、各クラスとも合唱以外にちょっとしたパフォーマンスを行うのだが、3年生のクラスでは男女生徒が制服を取り替えてパフォーマンスした。私自身が中高生の頃には、こんなこと、発想もしなかったなと思う。彼らによると、今までの先輩たちもやってきたことだそうだ。ともあれこの男女が入れ替わるという発想には、制服がユニセックスなデザインだということも影響しているに違いない。上半身は男女とも同じポロシャツにブレザーだから、ズボンとスカートを穿き替えるだけで簡単に男女入れ替えができてしまう。
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私は今までジャワ舞踊の手法でいくつか女性舞踊作品を作ったことがある。いずれも部分的に男性舞踊(優形)の振付を取り入れて、そこだけ男性になることを表現してみたかったのだが、このはめ込みは頭で考えるより案外難しかった。ジャワ舞踊では男女でカイン(腰布)の巻く向きが異なる。男性は左前に、女性は右前に着付けるのである。だから合わせが逆になると裾捌きも変わるだけでなく、心理的な男女の壁も越えないといけない。
たとえば着物を着る場合、左右の前合わせを間違える人はいるまい。(と思っていたら、テレビの生放送では時に、着物の前合わせを間違えた人が出ることがあるらしい。もはやそういうことは日本人の常識ではない時代のようだ。)日本では合わせで生者と死者を表現する。生きている限り男女を問わず右前、死んだら左前である。だから生者と死者の壁は大きいけれど、男女の壁はそれほど高くないことになる。だから女性が女性の着物を着て、時に女性振り、時に男性振りをして性を行き来する表現をすることは、ジャワ舞踊ほど難しくない気がするのだ。
歌舞伎では早代わりがあって、男女を問わずに変化できるというのも、そもそも着物が基本的に男女同デザインで右前ということによるのではないかと私は思っている。これがもし、早代わりで生者と死者を何度か交互で表現するとしたら、何度か着替えているうちに、わけが分からなくなって前合わせを間違えてしまうかもしれない。
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中学生が男女取替えの表現をしたくなるというのは、男女差をはっきり区別させる文化が薄らいできたからということもあるだろう。私の学生時代には、女子学生はセーラー服、男子学生は詰襟の学ランというのが学生服の定番で、そのうえ当時の男子学生の頭は丸坊主だった。丸坊主の男子学生がセーラー服を着ようなどと思いつきもしなかったのも、それが気味悪く感じられるほど、男女差の壁が高かったからだといえる。
そしてこんな文化はバブルの時代で終わった気がする。私が社会人になったのはバブル全盛時代で、男性といえば肩幅の広いジャケットを着て、みな逆三角形の力強い体型を演出していたし、女性といえば、ワンレン・ボディコンのスーツでめりはりのある体型とかとセクシーさを演出していた。
そんな前向きな時代が終わり、経済が悪化して閉塞感が強くなって以来、服装に男女差の表現が少なくなってきた気がする。しかし着物文化を考えてみると、日本はもともと男女差の垣根の低い文化だったとも言えるのだ。バブル時代の男女のイメージというのは、明らかに西洋モデルだった。中学生が男女取替えを面白がるというのも、ある意味で伝統的な現象なのかも知れない。