センター通り

すこし涼しくなったとおもったら、いきなり数日の真夏がきて、こんどは肌寒くなったりしている。寝る時は毛布をかけるようになっているから、確実に冬にむかっていることはたしかみたい。最近、子供が見ているディズニーのテレビ・アニメの舞台が無国籍映画みたいな沖縄になっている。はなす言葉の語尾になんでも「〜さあ。」をつければ沖縄風になるのか、とテレビにツッコミつつ、だらだらと十一月が過ぎた。

十一月五日、朝からニュースはアメリカ大統領の選挙中継あれこれ解説を入れながらやっている。このあれこれがうるさいし、その国の生放送を見たほうがおもしろいだろうと、チャンネルをAFN(昔でいうFEN)に合わせる。全編英語、CMなし、英語があまりにも不得手なわたしがわかるのは画面に出てくる得票率の数字だけ。本来このテレビ放送はよそでは基地内のケーブルネットでしか見られないらしいが近所の基地は電波で出力しているためものごころついたときから、テレビを6チャンネルに合わせればが見られる。この日、放送していたのはアメリカのabcの中継だったか。夕方から東京発信のニュースもこればかり。次期大統領が黒人のため人種偏見について取材したものがあった。家の前に人形を吊るしている映像を見て、去年読んだ「私のように黒い夜」という本にあった写真を思いだした。

子供の頃、ここでも白人と黒人がたむろする場所というのは違った。住んでいたセンター通りと言われたところは白人が遊ぶ場所だった。家の斜め後ろには米兵とお姉さんがよく出入する個室がいくつも並んだ建物(昼は塀によじのぼりよく中を覗いていた)、学校に行く途中バーの入口横には裸体にニシキヘビを手に持ち、いろいろなポーズをつけるブロンドのお姉さんの写真が隠されることなく貼られている。表通りを歩く黒人は滅多にいなかった。歩くときは表通りと平行に、ぎりぎり車が一台通るくらいの裏道を歩いていた。その裏道は昼の子供の遊び場でもあった。狭い中で野球をやっていると、真ん中からピンクと紫色に分かれた派手な服を来た、調子のいい酔っぱらった黒人が手を取りバットの構え方を教えてくれた。夜は表通りのネオンの明るさとは逆でとても暗くこわかったので、表の明るいネオンの下、家が通りで商売をやっている近所の友達とただ走り回ったり(たまに子供には大金の25セント硬貨を目が合っただけでくれる米兵もいた)、酔っぱらいばかり通る中、真面目にキリストの教えを説く人が配るちらしを何枚も意味もなく貰ったりした。九歳までいたところにずっと住んでいれば普通に昔の記憶としていつの間にか消えたかもしれないが、いきなり畑の真ん中に建つ家に引っ越してしまったので、小学校三年生までとそれ以降との落差がありすぎた。あの頃、いっしょに遊んだ者たちは引っ越したり、死んだりして顔を合わせることはない。わたしが家の二階から下を通るアメリカさんめがけ、小便を頭の上に命中させたことを記憶している者もほとんどいない。