10月、鯖江の助田小芳さんから、句集『よみづと』の案内が届く。戦前から夫・茂蔵さんと謄写版印刷業を営むかたわら、茂蔵さんの孔版画と小芳さんの句や随筆などをまとめた本を私家版として刊行してきたかただ。案内の冒頭に、茂蔵さんが2カ月の患いののち2008年4月に亡くなったとある。春に予定していた刊行が、半年遅れた。できる限りの準備を尽くして逝った父にかわって、あとの印刷、製本、案内、頒布その全てを息子の篤郎さんが引き継いだ。
帙入り保護箱付きと貼り箱入りが用意され、迷わず帙入りを注文する。まもなく届いた『よみづと』は、小芳さんが平成15年から19年にかけて詠んだ句が茂蔵さんの筆文字で刷られており、ほかに12篇の随筆と花の孔版画3葉が添えてある。紙はすべて越前和紙、大きさはB5変形(8寸9分×4寸5分)、黄色の糸と黄色の角布で5つ目の和綴じにくっきり仕上げられ、厚さ18ミリながら表紙に入れられた折れ線と黄味やわらかな越前和紙によりページは至極しなやかに開く。
表紙の花は、2007年夏に助田家の庭によく茂り、あたりを黄金色に照らしたというオオマツヨイグサである。実際の黄の色は淡く銀の輝きを感じさせ、昼夜、時間によって表情を変える。茂蔵さんが描いた花の絵を篤郎さんが孔版画製版し、オオマツヨイグサは10回、なかに綴じられたハギは8回、ハゲイトウは10回、それぞれ刷りを重ねて1枚ずつ仕上げている。ガリ版でいったいどうやってこんな風合いを出すのだろう!と見入りながら、「ガリ版」のことをほとんどなにも知らないくせにそんなふうに感じることが可笑しくなる。句は1ページに2つ。四季の草花やできごとがいとおしさとユーモアを傍らに詠み継がれていて、小芳さんと同年代の身近なひと、そしてまもなく自分に重なる。ひとり詠んだ誰かの句を、かまびすしさと解釈に疎くひとり繰り返し読む時間がぐるぐる過ぎた。
2007年春、このご家族にお会いした。NHK「ラジオ深夜便」で放送された助田夫妻のインタビュー(聞き手は西橋正泰アナウンサー)を「ラジオ深夜便こころの時代 第4号」(NHKサービスセンター)に再録するため、写真家の大沼ショージさんと訪ねたのだった。助蔵さんが勤めていた木綿問屋で仲間と作っていた同人誌主催の詩の展覧会でお二人が出会ったこと、戦時中は小芳さんが謄写版の道具一式を疎開させたこと、子どもたちに作った絵本のこと、二人で歩いたお遍路、そののちに謄写版で私家本を作りはじめたこと、ある一年間は毎日一つ地の花を二人で探し水彩で描いたこと......。米粒をじぃと見つめていると「小さい」という観念がなくなって、それでその中に字を書くことができるようになります、誰だってできますよ。人の真似して美しいと言っているあいだは美しさは見えていません、そういうことに気づいたらなにもかもが美しく見えて、自然にいりびたるようになったんです。そんな話をたくさん聞いた。
句集『よみづと』。著者・助田小芳、発行者・助田茂蔵、印刷製本・助田篤郎。最初はあまりに大切で恐る恐るめくっていたが、ぐるぐる時が過ぎたころには背を机にべったりと置き、何度も開ききっていた。美しく仕上げようとして作られたものは破壊を嫌うが、美しく仕上がってしまったものは破壊を怖れないのだと、つくづく思う。助田さん一家が送り出してきた本は、砂時計を落ちる一粒ずつの砂を思わせる。心身に得た恵みのありがとうを絵と言葉にして、手渡し読んでもらうためのカタチをひとつずつ仕上げる。小さないくつもの砂時計の細い首をいつもまっすぐに落ち、こうしてたくさんのひとの肚に宿を移してきたことだろう。「よみづと」とは、「黄泉苞」であり、「詠み苞」でもある。