水牛読者のみなさま、あけましておめでとうございます。旧年はどうもお見苦しいところをお見せしてお恥ずかしいばかりです。(よくよく考えてみれば今までの記事は私のプライヴェートをさらけ出していたわけでなんとはしたないというかそれを他人様に読まれているということに思い当たってものすごく恥ずかしくてなおかつそれを地の文で書いていたなんて赤面も赤面なので今後はお行儀よくオトメン的反応は括弧のなかに入れることにします。)本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今年も駆け出し翻訳家としてお菓子を食べつつ研究もしつつ頑張っていこうと思うのですが、そういえばオトメンである私が女の子のなりたい職業の上位に入る翻訳家になっているというのも、ある意味象徴的なことかもしれません。
でも......私は普通の翻訳家じゃなくて、ひと味違うオトメン翻訳家ですよ?
というわけで、新年改めまして、第七回目にしてようやく自己紹介などをしてみたいと思います。しかし翻訳家が翻訳のことを語るときには比喩を用いねばならないという古来からの伝統があるので、私もそれに倣ってひたすら自分のことをわかりにくく人様から見たらシュールに見えるくらいを目指して書いてゆくことにします。
1.私は魔法使い
なのです。しかも普通ならハリポタみたいに魔法学校(というか魔法使い養成所)に行ったり、あるいはたまたまその魔法に詳しかったがために一種類だけ使えたり、そういうのが多いのですが、私はひたすら我流で修行しまくっていたらいつの間にか魔法使いになっていたという感じです。しかも、
2.私は魔法学者
なのです。自分だけで頑張っていたので、(好きが高じて)ひたすら昔の魔法使いのことを調べたり、魔法理論とかを考えたり勉強したりしなくちゃならなくて、そんなこんなで魔法学者にもなってしまいました。不思議なことにこの国の魔法学校では魔法の訓練はしますが、理論のお勉強はしないし、そもそも理論の研究をしているところがまったくないので、この国にいる魔法学者の数少ないひとりになってしまいました。そんなわけで
3.白魔法も黒魔法も赤魔法も青魔法も何でも使える
のです。普通なら、訓練で一種類もしくは数種類の魔法を身につける(というよりは身体にたたき込む!)のですが、私はいかんせん理論からやってしまったので、基本的に呪文の解読書さえ手に入れば、どんな流派・系統の魔法だって使えます。もちろん若干の練習が必要だし、いきなり大魔法は無理ですが、小魔法や中魔法くらいだったら大丈夫です。魔法を使う本質みたいなのさえわかっていれば、何でもできるわけなんですね。初見でも『あのときの王子くん』レベルの効果は出せますし、去年はデンマーク系の小魔法を使うお仕事も致しました。もちろん、普段から色んな魔法の練習は常にしているんですけどね。
4.日本の魔法学は遅れている
ので、数少ない魔法学者としては、古い魔法哲学の文献や、もしくは新しい魔法理論書とか魔法史書などを訳したいと考えていたり、あるいは自分で書きたいと思っていたりするのですが......。なぜか訓練書ばかりでるんですよね。訓練も大事は大事なのですが、真面目に魔法を使うだけだと、どうしても迫力とか格好良さとか相手のこととか、その場その場にあった魔法のアレンジができなくなっちゃうんですよね。もちろん経験やセンスがあればそのあたりはできるようになるのですが、その経験をあらかじめ補うのが理論であったりするので(センスは別です)。それに、そもそも魔法は何なのかっていう本質がわからないまま使うことになっちゃいます。たぶん、それを飛ばしてしまってるがための時間的無駄は、結構あるような気がします。
5.私はまだ10年程度
しか魔法使いの道に入っていませんが(むしろもう10年?)、個人的にはやっぱり子どものための魔法とか、なぞなぞの魔法とか、大人向けのせつない魔法とか、そういうのがしっくりくるみたいです。魔導書の孫引きでもいいから、いつか色んな系統の子ども向け魔法集みたいなのをやりたいなあ、なんて風に思います。アルメニア子ども向け魔法集とか。ちょこちょこ本は買いためてるんですけどね。アルメニア魔法はいつか原典からもやってみたいです。世界の秘密的な意味で。
6.でも誤解があって
魔法が使えると言うと、「じゃあ呪文が暗唱できるんですね〜」などと言われるのですが、魔法を使うのと呪文を暗唱するのはまったく別のことです。たとえ暗唱できても魔法を発生させて効果を生むことができない人もいるし、魔法が使えても暗唱できない人もいます。そもそも魔法を使うときに暗唱は必ずしもできなくていいんですよね。魔導書を横に置いて黙唱にせよ何にせよ唱えて使えればいいわけですから。それは一般的な誤解なのですが、時折、魔法のことを知ってるよ、みたいな感じで別の誤解をされる方が結構おられます。その、効果の大きさとか格好良さっていうのは確かに大事なんですが、魔法そのものが使えるかどうかという能力とは本質的には関係がないんですよ。「魔法ってやっぱり効果が大事だよね〜」とおっしゃりたいのはわかります。いちばん最後に見えるものですから。でもそれはけして魔法の本質じゃありません。......でも魔法哲学が普及していないから、仕方がないことではあるのですが。
......という感じで書いてみました(うーん、野球にたとえた方が良かったかな)。いや、本当に小さい頃は何と言いますか、(本物の)魔法使いになりたかったので、ある意味、その夢が叶っていることになります。こんな方向で叶うなんて思ってもみませんでしたけどね!(泣き笑い)
けれども魔法使いにもたくさんの問題があって、上記のようにその本質が知られていないこともありますが、現代においてその最たるものは「儲からない」ことでしょう! 比喩からしてもお金が結びつかないのがありありとわかるのですが、魔法使いの慎ましやかな生活はまた来月にでも。