ラテンアメリカはリズムの宝庫だといわれていますが、メキシコはそんななかでも音楽の多彩さにおいては群を抜いています。まずはマリアッチ(これは本来はメキシコ太平洋岸にあるハリスコ州で生まれたローカル音楽の楽団編成のことで、音楽ジャンルのことではないのですが、あのにぎやかな大衆音楽ランチェーラを多く演奏することで、マリアッチとランチェーラは同じだと思っている人は案外多いのです。厳密にいうと、このようにちょっと違うのですが、実際はメキシコ音楽というとマリアッチと定着してしまっています)。このマリアッチで演奏する軽快で伝統的なメキシコの演歌ランチェーラ、ダンス音楽のサルサ、クンビア、ダンソン、革命の中から生まれ歌い継がれているコリード、メキシコ北部で生まれ、国境地帯での麻薬密売や不法越境問題を多くとりあげるノルーテーニョ、低音部をブラスバンドの移動楽器スーザーフォンが担当するお祭り音楽のバンダ、ノルテーニョから発生したポップス音楽グルペーラ、ロマンチックな大衆音楽ボレロ、このほか各地のインディヘナ(先住民)の伝統音楽など、数えきれないほどの音楽がメキシコにはあふれています。
そんななかでもボレロは1948年に結成された男性3人組のトリオ・ロス・パンチョスが、センチメンタルなボレロを洗練されたコーラスで歌い、トリオ黄金時代を築きました。そしてボレロは日本をはじめ、世界に広がりました。彼らは何度も来日し、いまではラテンのスタンダードになっている「ベサメ・ムーチョ」や「ソラメンテ・ウナ・ベス」「キエンセラ」などを大流行させました。
そんなボレロは1886年キューバのサンチャゴ・デ・クーバで生まれました。ここで仕立て屋を営みながら歌手としても活躍していたホセ・サンチェスがスペイン舞踊のボレロをもとに作曲し、「トゥリステッサ(悲しみ)」と題して発表したのがアメリカ最初のボレロです。そしてそれがメキシコのユカタン半島に伝わり、メキシコ・シティーにやってきました。ここでボレロ・メヒカーナとしてさまざまに変化しながら定着し、現在に至っています。そしてこのボレロの作曲家でもっとも有名なのがメキシコ大衆音楽の先駆者アウグスティン・ララです。ララは1900年、メキシコ湾岸の港町ベラクルスから南に約90キロのトラコタルパンで生まれました。ここに彼の生家と博物館があるというので行ってみることにしました。
まずは、メキシコ・シティーからバスで5時間のベラクルスまで行き、バスを乗り換えて2時間。トラコタルパンに着きました。ここはババロア川の中洲にある小さな町で、淡い色調のピンクや緑、黄色、空色のコロニアル建築がかわいらしく並んでいます。そしてそこでは、さわやかな川風が吹き抜ける静かなたたずまいの中を、ゆったりとした時が流れていました。ララ博物館は町の中心部の小さな入り口のある建物の2階にありました。
ララは小さいころからピアノを習い、10代の前半には娼館でピアノを弾いたりしながら多くの女性と浮名を流しました。若いころ、そのなかのひとりの女性に割れたびんで顔を殴られ大怪我をしましたが、それでも懲りずに10回もの結婚、離婚を繰り返した恋多き男性でした。博物館にはその華麗な女性遍歴を示す多くの写真が、壁一面に飾られていました。彼の使っていたという家具やピアノも置いてあり、博物館の人に「弾いてもいいですよ」といわれ、一瞬びっくりしましたが、ちょっとだけ触らせてもらうことにしました。鍵盤はすっかり色が変わり古びていましたが、音はしっかり出ました。幼少のララが懸命にこのピアノに向かって練習していたんだなあ、などと思いめぐらせながら「ベサメ・ムーチョ」の一節を弾かせてもらいました。
彼は作詞も作曲も、また自ら歌いもし、「ソラメンテ・ウナ・ベス」「ノーチェ・デ・ロンダ」など、73歳で亡くなるまで、生涯500曲あまりの作品を残しましたが、その中で私が最も好きな曲が「グラナダ」です。今ではスペインのホセ・カレーラスなどクラシックの歌手もレパートリーにしている世界的に有名な彼の代表作です。この曲はスペイン南部アンダルシア地方の都市グラナダの街の魅力と、混血の女性の美しさを躍動感あふれるメロディーで表現したものですが、彼はそれまでスペインには行ったことがなく、イマジネーションだけでこの曲を作ったということです。
ララの作品はそのほとんどが酒と女性をテーマにしたロマンチックな曲が多いのですが、この「グラナダ」だけは少しおもむきが違っています。グラナダは13世紀から15世紀までアラブのグラナダ王国として栄えたにもかかわらず、スペインのレコンキスタ(失地回復運動)で滅ぼされました。スペイン人はアラブのメスキータ(寺院)を破壊し、教会をその上に造りました。そして一方、メキシコにおいてはスペイン人のコンキスタドール(征服者)がアステカの神殿をことごとく破壊し、その上に多くの教会を建てました。
私はこの「グラナダ」にはララのスペインに対する複雑な心境が投影されているのではないかと思っています。ここでいう複雑な心境というのは、ほとんどのメキシコ人が持っている思いなのですが、彼らはスペインが大嫌いでスペインが大好きです。スペインに征服され、多くの祖先が虐殺されたからスペインが憎い。しかし、今では自分たちの中にはスペイン人の血が滔々と流れているという動かしがたい現実がある。スペインはメキシコ人にとっては憎むべき征服者の国であると同時に、自分たちの愛すべき故郷でもあるわけです。ララの代表作ともいえる「グラナダ」には彼のスペインに対する愛と憧れと憎しみが、メキシコと同じ歴史を持つグラナダへの共感という形で表わされているのではないかと思うのです。