夜にやもりが本格的に啼きはじめる前

演奏会の手伝いにいった。沢井箏曲院三十周年記念コンサート、沖縄での公演。前日、空港へお迎えに行き、そのままリハ会場へ。糸締め道具、木槌、膝ゴム、各色そろった場見り用のビニールテープ、木槌は持参。十七絃の雲角が輸送のためずれていたので、手ぬぐいを当て、木槌で叩き元の位置になおす。当日リハーサルで使う椅子の高さ、立奏台を置く位置を決め、ビニールテープで場見って行く。楽器をセットし楽器のがたつきを膝ゴムで止め、転換、次々と曲は進められリハは終わる。本番になり、こちらもスーツに着替え、ポケットの中には膝ゴムしこたま入れ、演奏会は進行する。袖で三絃を使う曲を見ていると、十二年前の忠夫先生が亡くなったという電話を受けた日の午前中のながれを思い出し、思い出したことに自分で驚いていた。やがて曲は終わり、次の曲の準備にはいる。会は休憩をはさみ、何ごともなく進む。

昔と舞台袖で立奏台を組むこと、楽屋で楽器を出し、それぞれの楽器に柱をたてることは変わらないけれど、草履を出し、着物を襦袢と重ねていっしょにかけ、襟止めが着物にちゃんと付いているか確かめ、袴をひろげ、その上に帯を置き、演奏会が終われば着物をたたみ、しまう仕事が無くなった。

演奏会が終わり、懇親会に出る。比可流先生は中座し、最終便で帰京。タクシーを拾う通りまで送る。三絃を持っていると「大丈夫だよ、持つから」、「いいよ、ひかるちゃん」と昔の呼び方で返してしまう。

しばらくして、一恵先生を宿まで送る。送りながら近況を話しながら昔の仲間の話しをしながら。宿の玄関で挨拶し別れる。宿に行く途中、アイスクリーム屋さんがあったので家へのお土産に二種類、1パイントづつテイクアウトする。そういえばさっき、いっしょに前を通ったのに、そのとき寄ればよかった。しくじったな。先生、今度はアイスクリーム忘れないようにしますから。