卒業写真

イラク戦争から6年が経った。僕にとってはまるで昨日のことのように思えるのだが、当時、小学校に入学したこどもたちは、卒業式を迎える年齢になった。6年前戦争があったことなど、忘れてしまっている人も多いのもうなずける。僕はというと、未だにイラクにかかわっている。ふと鏡を見てみると白髪が増えている。浦島太郎の話を思い出す。子どものころは太郎が急におじいさんになるという話の展開が理解できなかった。いじめられている亀を助けたのに、最後はなんで太郎が泣かなければいけないんだと。親や、先生にはもっともらしい解説をしてもらったのだが、しっくりこないままこの年になると、おお!と。最近急に白髪になった人は、玉手箱を開けたのだなと。

僕はカメラを持って、シリアから国境を越えてイラクに入ることにした。いい加減、このような人生からは卒業したいと思う。

イラク戦争が少し落ち着いた2003年の夏、僕は、バグダッドのバラディアートという場所にある学校を訪ねた。ここは、1948年イスラエル建国時に、ハイファから難民として逃げてきたパレスチナ人が暮らしていた。イラクは、パレスチナ難民をゲストとして向かえ丁重に扱っていたけれど、サッダーム政権が崩壊した2003年4月9日以降は、家を提供していた大家に追い出されたり、新しく出来つつあったイラク政府からも冷たくあしらわれていた。

「ブッシュは、パレスチナ人が嫌いなんだ」と老年のパレスチナ難民がつぶやいていたのを思い出す。家を整理していると、そのとき、学校で子どもたちが描いてくれた絵が出てきた。将来の夢などが描いてある。そして、「美しい国パレスチナに帰りたい」と。あの子どもたちに会いたくなった。当時のビデオを探し出してみた。学校の校庭にテントが張られていて、家を追いやられた人たちが住んでいる。でも子どもたちは元気に振る舞い、歌って踊っていた。

宗派対立のあおりを受けて、パレスチナ人はイラクから出て行けみたいな風潮が強くなってきた。そして、2006年、バグダッドの宗派間の対立がさらに激しくなると、パレスチナ人は、ヨルダンやシリアを目指した。しかし、国境は閉ざされ、砂漠で一夜を明かすことになる。3年が経ち、いつしか、そこは、難民キャンプになっていた。もしかしたら、6年前にあった小学生たちが、いるかもしれない。

今回は、無理をお願いして、難民キャンプに泊まることにした。3月16日、この日は、1988年、化学兵器がイラク北部のハラブジャというところで使用された日。2003年、ブッシュ大統領は、高々と宣言した。「サダムが15年前、ハラブジャで毒ガス兵器を使い数千人をころした。彼の犯罪が世界に広がるのを許すわけには行かない」として、サダムに最後通達を与えた日。

 僕は、複雑な思いで、シリアの国境で、イラク警察が迎えに来てくれるのを待っていた。パトカーは、ピックアップとよばれ、後ろに荷台がついている。カラシュニコフを持った警官が銃を構えてわれわれを警護してくれる。警察はちょっとガラが悪く、サイレンを鳴らし、「どけ、どけ、馬鹿ヤロー、この犬野郎。」と拡声器を使って、イラクへ向かうトラックの車列を通り過ぎる。
イラクの入国は、アメリカ軍の海兵隊が、網膜の情報を記録して、手の甲に、マジックでアルファベットを記していく。今日はHだった。ここのキャンプには1600人ほどの住民がいる。雑貨屋や、お菓子屋,散髪屋など一通りそろっている。テントを回って、パレスチナ人の迫害の話を聞く。誘拐されて、ドリルで足に穴を開けられた。身体の数箇所は切り刻まれた跡が残る。目の前で別の人質がのどをかっきられて殺された。スンナ派の聖職者だった。

キャンプの夜はとても厳しい。冷え込みと犬のとおぼえ。夜は、まったく電気がない。僕は外に出て、ちょっとしたお菓子を買いに行こうとしたが、9時には、真っ暗になっていて、犬が狂ったようにほえまくる。そんなキャンプにも朝がやってくる。バグダッドに向かう高速道路を横切ると、難民たちが通う学校がある。軽トラックの荷台に詰め込まれた子どもたちが運ばれてくる。学校は、もともとあった学校が廃校になっていたのだが、難民が詰め掛けたので、再び学校として使われるようになったのだ。

6年前に出会った女の子がいた。今は、怖がって学校にはこないという。そこで、再びキャンプに戻って、彼女が6年前に書いた絵を見せてテントを探し当てた。メルバットという少女は、15歳になっていた。バグダッドで、マハディ軍というシーア派武装勢力の若者に結婚を迫られた。ばかげた話だ。シーア派の宗教指導者たちが、宗派間の異なる結婚を禁止したというのに。断るとしつこく追い回された。銃で威嚇された。彼女は、3冊のノートを見せてくれた。ぎっしりと詩が書かれている。悲しい鳥というのは彼女のペンネームだという。

  「わたしが残念に思うこと」 悲しい鳥 (訳:加藤丈典)

  わたしが残念に思うこと それはこのような時代
  わたしが残念に思うこと それはこのような呪われた生活
  わたしに残念に思うこと それは希望とは裏腹に進んで行く人生
  わたしが残念に思うこと それはこれまでに失ったたくさんのもの
  わたしが残念に思うこと それはこれまでに見つけられなかったたくさんのもの
  わたしが残念に思うこと それは私が生きることなく消えていってしまった人生

恥じらいながら、「悲しい鳥」は詩を読んでくれた。
「砂漠」「風」「砂嵐」「テント」「太陽」、、、
何もない難民キャンプのなかで、言葉だけが研ぎ澄まされていく。

卒業記念に「詩集をつくりたいね」僕は、カメラをかまえると卒業写真のシャッターを切った。アンマンに戻り、6年前、バグダッドで写した写真をコンピューターから拾い出してみた。みんなでとった集合写真。なんとなくメルバットらしい少女が写っていた。僕は、彼女の顔を赤鉛筆で丸く囲った。こんな6年後を彼女は予測していたのだろうか。