近頃、なんだか歯がしみる。
理由はわかっている。甘いもの好きの友人がふたり続けて家に遊びに来たからだ。わたしも甘いものは嫌いではないが、ふだんはあまり食べない。そして、甘すぎるものは苦手でもある。よろこぶと思って、始めに来た友人とおいしい草もち屋まで遠出をしてたくさん買い込んできた。いつもはもらっても食べずに横流しするおみやげのクッキーの缶を開けた。
「ダージリンで買ってきた紅茶、入れてあげるからね」本当は、ダージリン紅茶はお菓子などといっしょに食べずに、ストレートでしみじみ味わってほしいところだが、まあいっか。味はしっかりしているが、あんまり華やかな香りのないのにしとこう。
「う〜ん、このお茶おいしいですねえ! いや、この草もち、うまい〜」などと相好を崩されているのをみると、じぶんもついつい、ダージリン紅茶で草もちをぱくぱく。
友人たちが去り、残された甘いものや彼らが持参したおみやげの甘いものの山を前に、ちょっと気持ちが悪くなってきた。当分、甘いものは、もういい〜。ちなみにどちらの友人も中年男性である。(オトメンではありません)日本では少数派で、しかも何か世間的に肩身の狭い、男の甘党たちである。しかし、日本では少数派かもしれないが、一歩世界に出れば、甘党男は肩で風切って歩いているばかりか、甘党男の天下といってもいいぐらいだ。
インド・ダージリンの宿の近くにヒマラヤン・クリオスという名の骨董屋がある。店の主人はクィムおじさんといい、去年も今年もここであれこれ店をひっくり返しては買い物をしたので、すっかり仲良くなった。甘い煮出しミルクティーのチャイを出前してもらってご馳走になりながら、いろいろな話をしているうちに、一緒に昼ごはんを食べに行こうということになった。「何が好きかね? 肉、魚、野菜?」「何でも食べるけど、野菜が好きだよ。おじさんはベジタリアンですか?」「いや、肉も食べるけど、野菜が好きだよ」おじさんは、子どものころ親に連れられて、カシミールからダージリンにやって来た、カシ人である。カシはイスラムのはずだが、店にはあまりイスラム教の雰囲気は漂っていない。
ダージリンには、ネパールから移住してきたゴルカ、シェルパ、チベッタン、山岳先住民のレプチャ、ベンガル系のインド人、商売人のカシミール人が住み、通りにはインド各地からの観光客、外国人観光客が歩いている、なかなか国際的な町である。チベット仏教、イスラム、ヒンディー、キリスト教の人々がともに暮らしているわけだが、住み分けはあるものの、境界線はけっこうあいまいだ。
食のタブーが各宗教にはあるが、その垣根のないのがベジタリアン料理である。この町にはベジタリアンの食堂がとても多く、専門店でなくても必ずベジタリアンのメニューも置いてある。というか、豚肉や牛肉を食べられる店は、かなり少ない。ベジ・レストランでなくても、肉料理は菜食主義の人以外なら食べられるチキンか羊・ヤギしかないところが多い。手軽なベジ・チベッタン食堂ならどんな宗教の人でも入れる。
「ベジ・モモは好きかい?」クィムおじさんの言葉に、旅の友のワイさんが目を輝かした。ワイさんは無類のギョウザ好きなのである。町にたくさんあるチベッタン食堂には必ずチベット・ギョウザのモモがあり、モモ専門店もある。何軒も食べ歩いてはいるのだが、その数は多く、味の奥は深い。モモはチベッタンだけでなく、ネパール系民族のゴルカの料理でもあり、ゴルカ人のカレー食堂にモモがあることもある。クィムおじさんが連れて行ってくれたのは、市場の近くの坂道を少し横に入ったところにある小さなベジ・モモ専門店。ゴルカ系の店のようだ。狭い店内はぎゅうぎゅうである。ひっついて座っても15人が限度。すぐに人が席を立ち、待たずに座れた。
「うまい!このスープもおいしい〜」今まで食べたモモの中で一番ではないか。さすが、地元民はおいしい店をよく知っている。玉ねぎとキャベツとニンジンの詰まった野菜の蒸しギョウザが、なんでこんなにおいしいのかなあ。モモには野菜スープがついてくるが、ここのはビーツ入りで赤い。すぐさま、モモをおかわり。スープも注いでくれる。小さなステンレスの皿に8個のった蒸しベジ・モモのスープつきが10ルピー。赤いトウガラシのソースをつけて食べる。
店を出るときには外に何人も並んでいた。わたしたちが、おいしいおいしいとすごく喜んでいるので、クィムおじさんも嬉しそうだ。「じゃあ、お茶を飲みに行こう」と市場に歩いていく。市場の一角に、炒り豆屋とお菓子とチャイを飲ませる店が並んでいる短い通りがある。そのうちの一つに入る。店は大きくはないが、やはりここもかなり満員で、席を替わってもらってやっと3人で座った。入り口のショーケースにはとてつもなく甘そうなスウィーツが並んでいる。「ここのお菓子はおいしいからね、ごちそうするよ」さっきモモの店でもご馳走してくれたのだが、クィムおじさんはなかなか気前がいい。それともおじさんの店でのヒバリの買い物が気前よかったのか・・?
「あ〜、一番甘くないヤツを」「うん?」クィムおじさんは一瞬、困ったような顔になった。インドのお菓子は甘い。はっきりいってものすごく甘い。よく行くタイのお菓子も甘いものが多く、なかでもフォイトーンという錦糸玉子のようなお菓子がもっとも激甘である。しかしインドではフォイトーンの甘さはごくごくふつうクラスである。
少年がガラスのコップにやかんからチャイを注いでくれた。もちろん、すでに大量の砂糖入り。店によっては後から砂糖をコップに入れるところもあるので、そういう店では砂糖なしとか、少な目とか注文も出来るが、ここはすでに入っている。
「甘いなあ・・でもおいしい。コルカタよりチャイもうまいね」
「うん。これぐらいなら、だいじょうぶ」ワイさんは、お菓子は日常ほとんど食べないが、飲み物が甘いのはけっこう平気なようだ。コルカタで毎日飲んでいたチャイより紅茶の味がくっきりでうまい。甘さも、なんとか許容範囲だ。
市場の紅茶葉屋さんで見ていたら、一番売れているのは煮出しミルクティー用のCTC加工の安い茶葉だった。CTCとはCrush(砕く)Tear(切断)Curl(丸める)の略で、紅茶のエキスが浸出しやすいように葉っぱを砕いて、刻んで、小さく丸めたものである。ダージリンの住人の多くもこの煮出しミルクティーを飲んでいるのだ。
「ほら、おいしいよ〜」クィムおじさんが注文したスウィーツが、運ばれてきた。何じゃこりゃ。卵ほどの大きさの球状のそれは、表面がまっ黒で、シロップがかかって光っている。いや、今までシロップに浸されていたのが、まわりに垂れているだけか。しまった、ふたりでひとつにすればよかった。スプーンを入れると、じゅわっとシロップが溢れた。どうやら発酵させない牛乳のチーズ、パニールのお菓子らしい。表面はカラメルかな。ふと顔を上げると、店中の客が何気なくわたしを見ていた。こちらも何気に観察すると、やはりここのお菓子は人気らしく、たくさんの客が菓子の皿とチャイを前においている。
「甘いっ・・」こ、これが、一番甘くないヤツ? 一口目で頭の中が真っ白になった。にこにこしているおじさんの手前、もっと食べなくちゃ、と二口目。なにか、意識がぶわ〜とどこかに飛んで行きそうである。無理だ、今生で経験した中でもっとも甘いお菓子という名誉をこれに捧げるぞ・・などと煩悶しながらやっと三口目、四口目を呑み込み、これ以上は死ぬかもと、スプーンを置いた。はあはあ、と荒い息をしながら気を取り直してまわりを見ると、クィムおじさんもワイさんさえもぺろりと平らげているではないか。おじさんは、あれっと言う顔でお菓子が半分残った皿を見ているので、気をそらすために、あわててこのお菓子の名を尋ねる。ニーム、というのがこのクロ玉子スウィーツの名前であった。
ちなみに店のほかの客は、全員、男(中年)である。
ああ、書いてるだけで歯が痛くなってきた・・。甘党男よ、インドを目指せ!