先週まで半袖のポロシャツ一枚で出歩いていたと思いきや、ここ数日、鬱々とした雨が降り続き、ずいぶん冷え込んでいます。
いつのことだったか、熱海の岸壁に腰掛けている、半纏を着た30過ぎの少し憂い帯びたうつくしい女性の、とても古い白黒写真を見ました。足元には、確か3歳くらいの男の子と女の子2人が立っていました。彼女は戦前、茅ヶ崎の米問屋にうまれ、同じ街の若い宮大工と結婚して女の子を授かり、無事に産声を聞いたのもつかのま、ほんの10日ほどで、身体の弱かった宮大工はこの世を去ってしまいます。生まれたばかりの乳飲み子を抱え、どれだけ途方にくれたことか想像に難くありません。宮大工の家は、この子を育てるため、死んだ夫の実弟との再婚をすすめましたが、彼女は頑なに拒みました。しかし、結局どうしようもなかったのか、生まれたばかりの女の子を、松田の名士にあずけます。
それから暫く女性の消息は途絶え、次にわかっているのは、満州にわたり再婚し、そこでやはり女の子を授かったこと。そしてその夫とも死別したこと。やがて本土にもどり、満州でうまれた女の子を連れて、横須賀の自転車屋と再婚したこと。夫にも連れ子がいたけれど、結局この夫との間にも子供がうまれ、最後までみんな仲良く暮らしたこと。最後はリューマチで寝たきりだったこと。
松田の名士にあずけられた最初の女の子は、成人し、結婚するときになって初めて、自分の戸籍が名士の家にないことを知ります。それまで、名士の家ではこの子を自らの娘として育て、学校などすべて、本人にわからぬよう取り計らっていたからです。そして、宮大工の家に何度も出向いては、こんなにしっかり可愛がっている、どうかうちの子にさせてほしいと頼み込みましたが、女の子に特別の愛着をもっていた、宮大工の母は、頑として首を縦にふりませんでした。
結婚にあたり、一体自分が何者か、結婚しても恥じない家柄の出かと不安になったこの女性は、母の実妹を探し出します。そこで、自分の母親は米問屋でしっかりした家の出身だったと知りますが、今彼女は再婚して幸せに暮らしているから、これ以上詮索しないでくれ、とあしらわれます。
それから暫くして、リューマチで寝たきりだった写真の女性は、最初の娘が私に会いにきた、会いに来た、とうわ言を繰返しつつ、息を引き取りました。妹から連絡を受けていたのかも知れないし、虫の知らせだったのかもしれません。あずけた子供を返してほしくて、何度も松田に足を運んでいたのも、ずっと後になってわかりました。宮大工だった亡父の実弟を訪ねると、籍をどうしても外さないと最後までがんばっていた亡父の母がつい先日亡くなったばかりで、お前を気にかけて止まない日はなかった、一目でも見られたらどんなにか喜んだだろうに、と号泣しました。
それから何十年も経ち、ひょんなことから、どういうわけか母方の先祖が広島に持っていた土地が国に売却され、突然、配当金の通知が届きます。そこにあった家族構成のリストから、自分に腹違いの兄弟がいることがわかり、満州で生まれた腹違いの妹を横須賀に訪ねます。育てられないからと、首尾よく松田の名士に自分をあずけ、さっさと再婚してそれぞれ子供をつくり、なんと自分本位で奔放な母だったのか。彼女はずっとそう思いながら暮らしていました。
ところが、実際に妹に会って話を聴くと、母親は、およそ奔放という言葉からかけ離れた物静かな女性で、死ぬまで最初にあずけた娘を抱くことを思い続け、自分の冒した過ちを苛みつつ、生きるために再婚し、家庭を築かずには生き抜けなかった時代の、か弱く、不運な女性の姿が浮かび上がり衝撃を受けます。強か、というには余りに辛い運命の糸が、最後にぷつりと音をたてて切れました。
一ヶ月にわたりミラノを訪れていた母と息子と連立って、マッジョーレ湖に浮かぶ、真珠のようなボッロメーオの島々を訪れたとき。まだ朝のすみ通るような瑞々しい光のなかで、まるで猫のような啼き声とともに羽をひろげる、数えきれない孔雀のうつくしさ。黄金色に輝くオウム。咲き乱れる大きな木蓮の花と、美しく刈り込まれた庭園の凛とした佇まい。ウナギの寝床どころか、ドジョウの寝床よろしい、か細くへろへろの小道と、そこに寝そべってこちらを胡散臭そうに眺める猫たち。