アジア5カ国が1つの大きな包括的なテーマの下に、それぞれの国で行っているプロジェクトというのがあって、私も参加している。参加者の構成は、大きく分けて学者、芸術家、活動家(NPO関係者やジャーナリスト)といったところ。日本サイトで開催されるのは今年の9月で、その一環として「田んぼプロジェクト」がある。要は、日本サイトからのメッセージを込めて、アジア各国からの参加者全員で稲刈りをするのだ。通常の国際会議のように、サイト訪問だけで終わりにするのではなくて、テーマとサイトと参加者を結びつける仕掛けとして、この「田んぼプロジェクト」は位置づけられている。
けれど、フィナーレで稲刈りをしようと思うと、春から田起こしして、田植えして、草取りして...という段取りをしておかないといけない。当然それは日本サイトの、田んぼに関してはど素人のワーキングメンバーの双肩にかかっている。しかも、それをなるべく手作業で、無農薬でやろうという。田舎者の私としては、「田んぼプロジェクト」という発想自体に対して、都会人の幻想みたいなものを感じ取っていたのも事実なのだけれど、田んぼをすること自体に対しては、素直に魅力や郷愁を感じていた。
メンバーがローテーションでサイトに行くから、私がサイト(滋賀)に行ったのは、4月29日〜5月1日の田起こしと、その後の草取りに日帰りで2回である。先月「水牛」に寄稿できなかったのは、このインターネットや携帯電話が通じない地域に田起こしに行っていたからなのだ。(そもそも、そんな所に行くまでに書きあげられなかったのだけれど)
私がごく幼い頃は、まだ手で田植えをしていた。すぐに田植え機に取って替わられたが、私の世代が農作業の機械化への変化を知っている最後の世代になるのだろう。四角い木枠に桟を何列か張ったもの(ちょうど紙を貼っていない障子のようなもの)を泥の田に置いて、稲を順に並べて植えていく。そして木枠内に全部植えたら、後ずさりして、その木枠をバッタンと手前に反して、また植えていく。こうやっていくと、稲が縦横まっすぐに植わる。それが子供心にやってみたくて、隣家の農家のおじさんに頼んで、少しだけやらせてもらったことを覚えている。
今回のプロジェクトでは、ローテーションの都合で、ハイライトの田植えには参加しなかったが、手植え用の木枠の修理をした。その形が私の記憶にあるような四角い枠ではなくて、6面体の形をしていて驚く。この6面体の側面に等間隔に桟が渡してあって、それをコロコロと手前に転がしながら、植えていくらしい。同じ田植えでも地域によってやり方に違いがあるものだと、初めて気がついた。
その2週間後に今度は草取りに行って、田車(たぐるま)なるものを見て、また驚く。等間隔に植えた稲の間をゴロゴロと押して歩き、まあいえば伸びてきた草を引っこ抜く道具である。こんな道具は見たことがない。そう思ってよくよく考えていたのだが、それは、私が小さいときにはすでに農薬を使っていたからだろう。田植え直後はおたまじゃくしを取って遊んでいたのに、ある年、田んぼのおたまじゃくしが集団で死んでいる光景を見て、子供心にショックを受けたことを覚えている。あれは農薬を撒いたからに違いなかった。だから田車なんかいらなかったのだ。
田んぼを見ていると、そんな昔のことが思い出されてくる。ここ滋賀では私はよそ者なのに、水田風景を見ていると、まるでここが自分の故郷のような、原体験を取り戻しているような気がしてくる。それはジャワの水田風景を見ているときにも感じたことだ。自分自身、本当は農業に何の貢献ができるわけでもないのに。
田んぼに入ると、泥に足をとられて動くのが大変だ。なかなか足が引っこ抜けないのは、耕し足りず、酸素が十分に廻っていない状態だと教えてもらう。いわば真空パック状態になるのだ。そんな中、いちおう舞踊家の端くれとして、全身を使って疲労が偏らずに動いてみよう、腰をゆわさないようにしてみよう、というチャレンジをしていた。鍬や田車を使うのはほとんど初めての経験だとしても、全身の筋肉を使えば、あまり疲労は偏らないはずなのだ。そう意識したせいか、腰や腰はあまり疲れなかったが、今まで意識したことのない部位の筋肉が疲れてしまい、なんとなく全身に疲労が残った。
ジャワに限らず他の地域でも、宮廷舞踊というものは、王族にしろお抱え舞踊家にしろ、まあ農作業などしたこともないような人、箸より重い物は持ったことのないような人が踊る。そういう人たちが自分の舞踊表現を深めようと思ったら、ふつうは瞑想するとか夜中に水垢離するとかといった修行をする。けれどそういう修行は、日常生活であまり動かない人が必要とするだけじゃないか、という気が最近している。ほんとうはこんな田んぼ作業の中にでも、体を意識化するヒントがいっぱいあるのだ。
瞑想するとか田んぼをするとかという方法論が問題なのではなくて、いかに動きを意識化するか、ということが問題なのだ。けれど、年々歳々同じ農作業の繰り返し、毎週草取りに追われる生活だったとしたら、やはり動きを意識化するというのは難しいかもしれない。その代わり、効率よい動きが無意識化されるのだろうけれど。だが、そうなってしまったら、舞踊としては成立しにくいのかもしれない。そんな風に考えるのも、やはり一種の都会人の幻想なのかも知れないと思いつつ、田んぼプロジェクトを楽しんでいる。