先日、インディヘナ(先住民)についての授業でメキシコに女系社会が存在し、ムシェと呼ばれる女性として生きる男性が多く暮らす町があるというフィルムを見ました。それはオアハカ州にあるフチタンという人口9万人の町です。またここではすばらしいウイピルという刺繍の民族衣装が作られているので、別の伝統工芸の授業でもこのフチタンが取り上げられました。フチタンでは男性が夜明けの4時ごろから朝7時ごろまで魚を取り、それを加工して女性たちが市場で売る。女性が経済と家族の中心に座り、働いているのは女性ばかりで、男性はお小遣いをもらって、魚を取った後は一日中ぶらぶら過ごしているというのが、その授業での先生の説明でした。しかし、私はムシェの話はともかく、男性が3時間ほどしか働かないという話も、女系社会の存在とフチタンの経済を担う女性を賛美しているそのフイルムも全面的には信じられませんでした。なぜってここフチタンはインディヘナのサポテコが多く暮らすところです。概してインディヘナの世界には男尊女卑的な考えが根強くありますし、それにメキシコはなんといっても伝統的にマッチョ(男らしさを賛美する考え方)の国です。
しかし、もしそのフィルムが伝えていることが本当なら、とても興味深いことなので、この目で確かめるべくフチタンにセマナ・サンタの休みを利用して行ってみることにしました。
4月3日、金曜日の夜行バスに乗りメキシコ・シティーから南に12時間。朝8時にバスは小さなターミナルに着きました。荷物を置くとさっそく町の中心にある女性が多く働くという市場に行ってみました。市場はおびただしい数の店舗が、まるで迷路のように広がっていました。魚、肉、野菜、果物、花、民族衣装と、あらゆるものがここで揃うのではないかという多彩さでした。私はおなかがすいていたので、塩で焼いた大きなかつお一切れを買って食べました。きっと朝、取れたものなのでしょう、脂がのってやわらかくて本当においしかったです。縦10センチ横20センチくらいの大きさで15ペソ(120円)安いです。
ここフチタンは日中はとても暑いのですが夜になるとさわやかな風が吹き、とても気持ちよくなります。私も夜風に誘われるようにホテルの近くの小さな教会に行ってみました。すると明日のパレードの用意をするために40人あまりの人たちが集まっていました。男性たちが1メートルくらいの椰子の葉っぱを裂いて上から三分の1くらいのところに15センチほどの椰子の茎をくくりつけ十字架を作っています。女性たちはコーヒーや軽食を用意して長いすでおしゃべりしています。300本作らないといけないとかで、男性たちは子供にも手伝わせて頑張っています。
横で見ていた私にもコーヒーが運ばれてきました。「見ているだけなのにどうもすみません」とありがたくいただきながら、ここで夫婦で歯医者をしているというポルフィリオさん、リリアナさんに女系社会の有無と、私の持っている疑問を投げかけました。すると彼らは女系社会については「昔はどうか知らないけれど、今はもうないと思うよ。それに男はあまり働かないなんてことはないよ。男も女も協力して暮らしているよ。現にうちもそうだし、どっちかが力を持っているとかいうことはないですよ。」と顔を見あわせながら答えてくれました。「やっぱり、男が3時間しか働かないなんてことはないんだ。それに女性ばかりが働いているということでもないし、女性が男性より力をもっているということでもないのか」と、いろいろ考えていると、彼が「明日は朝7時に集まり、パレードをするのであなたもいらっしゃい」と言ってくれたので早起きすることにしました。
次の朝、音楽隊を先頭に手に手に昨晩作った椰子の十字架を持って信者たちが町中を練り歩きます。子供は白の長い服に紫のマントをはおりポニーに乗って行進します。この日はセマナ・サンタにおける最初の日曜日(ドミンゴ・デ・ラモス)でキリストがイスラエルに入場する様子を表しています。このあとセマナ・サンタの行事はキリストの死と復活を再現しながら次の日曜日(ドミンゴ・デ・パスクア)まで続きます。
1時間ほどパレードしたあと教会でミサがあり、そのあと教会の裏手に移動し、みんなに大きな魚のフライと野菜、フリホーレス(豆をぐつぐつに煮たもので、甘くないあんこのペーストみたいなもの)、芋や果物の甘煮がのったお皿が配られました。私にもビールと一緒に渡してくれました。なんだか部外者なのに申し訳ないと思いながらおいしくいただきました。おまけにお皿はここの特産の、土でできた伝統食器なのですが、記念にもって帰るようにいわれ、さらに感動してしまいました。ベラクルスから親戚が暮らすフチタンに休暇で来たというディエゴさんといろいろ話しながら食べ、このあと彼にパンテオン(墓地)に行ってごらんといわれ、行ってみました。
パンテオン一帯はまるでお祭りのように露天が並び、小さく仕切られた各墓地はいっぱいの花で飾られ、その前で家族が飲んだり食べたりしています。墓石の前では楽団がにぎやかな音楽を奏でています。きっと死者が音楽好きだったのでしょうね。きれいな刺繍の民族衣装を着たおばあさんが二人、お墓の前に座っていたので写真を撮らせてもらおうと話しかけると、缶ビールとイグアナの入ったタマーレス(とうもろこしの粉を練って中に肉などを入れ、とうもろこしの皮に包んで蒸したもの)を差し出してくれました。イグアナはここではポピュラーな食べ物で、私はもちろん初めてでしたが、やわらかい鶏肉のようで、なかなかおいしかったです。これもありがたくいただきながらここでも女系社会について聞いてみました。夫が早くなくなったので7人の子供を女手ひとつで育てたというアイーダさんに「女系社会は残っていますか」と聞くと、「そうだね。男はみんなアメリカ合衆国に出稼ぎに行くからね。残るのは女ばかりだから」という答え。「うーん?ちょっと違うなー」と思いながらもお礼をいって別れました。
このほかにもそれまでにいろいろな人に聞いてみました。観光事務所のネレイダさんは「女系社会は伝説でしかないです。ここでは男も女もともに働きお互いがお金を平等に出し合っています。どちらかが主導権をもっているということはありません」と共同性を強調します。そして図書館の受付にいたジョランダさんはフチタンに関する本をいろいろ見せてくれながら「女性が権力をもっているということはないですね、男も女も役割分担をきっちりして両方とも働いていますよ。いまでは女系で続いているという家族もそんなにはいないと思いますよ。」と言います。うーん授業で見たフィルムは古かったのかしら、などと思いながら、男性にも聞いてみようと、市庁舎に行き、フチタン知事の秘書・ビルへリオさんにも聞きました。すると彼は「残っていますよ。現に僕の家がそうです。女性は強いですからね。」とほかの秘書の女性たちと笑いあいながらいいます。
このいいかたはなんだか冗談半分のような気がするし、多くの人に聞けば聞くほどわからなくなりそうなので、もうこのあたりでやめることにしました。ただ彼らの話しを総合すると女系家族も少しは残り、女性が働いている率は高く、経済力のある女性も多いので、ここフチタンでは女性が力を持っているといわれるのかもしれないな、また、先住民が多くてもここでは結構、男女の協同性が成立しているのかな、などと、いままでに聞いた話をいろいろ考えながらパンテオンを歩いていると、にぎやかなランチェーラが聞こえてきました。その音楽につられてコンサート会場に入りました。するとまたしても「ビール飲む?」と女性が聞いてきます。うなずくとビール瓶が渡されました。2本飲んだあと、いくらなんでもこれは商売だろうと「いくらですか」ときいても「いいよ、これはあっちの男性の一箱分の中からだからお金はいらない」といわれます。結局その男性にお礼をいって会場を出たのですが、今日は朝からいっぱいビールを飲んだにもかかわらず、すべておごりでした。本当になんて気前がよくて親切な人ばかりの町なのだろうと感心してしまいました。
そういえばここでは私が外国人であるということを忘れさせてしまう心地よさがあります。誰も私を特別視しないのです。むこうからやってきて質問攻めにすることもありませんし、じろじろ好奇の目で見られることもありません。もちろんメキシコ・シティーでよく経験する「チナ(中国人?)」と声をかけてくることもまったくありません。その視線が自然なのです。でもこちらから声をかけるととても親切に対応してくれますし、目があうと必ず笑いかけてくれます。きっとこのような、人に対するなにげなさがムシェの人たちが住みやすいと感じるゆえんなのでしょうね。結局私の女系社会に対する疑問ははっきりとは解明されませんでしたが、フチタンがとても居心地のいい町だということだけははっきりわかりました。