6月は大阪国立国際美術館で小杉のコンサートがあった 二日にわたって1964年から2009年の新作初演まで12の作品が演奏された 小杉の作品がこんなにまとめて演奏されるのはほとんどないことで その場にいて 演奏にも参加できたのは 何年ぶりか かれの周りにいて それぞれユニークなしごとをしている若いアーティストたちや 企画構成を助けるスタッフの存在は 東京にいては望めないことだろう
上着を6分間かけて脱ぐという日常のなにげない行為を極限までひきのばしてみる 1964年の『Anima 7』 それをする方も見るほうも ふだん気にもせず通りすぎている行為が 目的に向かって一直線にすすんでいるのではなく ためらい はずれ やりなおし 行きすぎてもどる 複雑な試行錯誤の不安定な束であることを知る
その後のライブエレクトロニクスの作品も 単純な回路の組み合わせと相互作用に ちいさな日常のオブジェやわずかなアクションの干渉から 予想からはみだす変調と 即興的で不安定な結果を生むような設定がされている なにげない見かけ ささやかな行為 しかしこの不安定な波乗りを続けるには 集中と没入の快感 それでいて限界を見きわめ すばやく身を引くリズム感覚がはたらいていなければできないことだろう
発振器 ピッチシフター フィードバック/ディレイ コンタクトマイク 光センサー マルチチャンネル音移動 扇風機 光センサーを入れる紙袋 紙箱 小石 貝殻 釣り竿 コンタクトマイクを取り付けた竹串を見ていると そこに隠れている動物が 棒でつつかれて 声を出したり 転げ回ったり 向こうからもちょっかいを出してくる そんな遊びを思い出す
だれもがディジタル音源とコンピュータ操作で 響きの粒子の意外の粗さと均質な音感にすっかり慣れてしまっているいま 鉱石ラジオの手作りの感触を残した技と 手綱捌きで 踏み外す寸前の綱渡りをたのしむ余裕が まだここにある
ふだんピアノがちょっと弾けるからといって 音楽業界のなかで使い捨てに終わるのではないか と思わないでもない毎日 たまにはこういうことでもなければ どうなってしまうのか それでも これは小杉の道であり それとどこかで出会いながら また別な方向に分かれていく もう一本の道に踏み出せることが いったいあるのだろうか と疑いながら