話題としては先月のできごとだったのだけれど、未だ、私の中で整理が付いていない。
ある土曜日の午後、地元の音楽堂で長くローカルオケの音楽監督をされていた老指揮者のコンサートが開かれた。このところ、体調が優れないという話が流れており、今回の引退もその体調が原因なのだが、とりあえず、開かれるという事で楽しみに聴きに出かけた。
ようやく、数分遅れで始まったあたりからおかしな兆候はあったのだが、初めの曲が終わった時点で指揮者が指揮台から崩れ落ちるような体勢になった。とっさに駆けつけた楽団員に抱えられながら、台を降りた。しかし、コンサートは続けられたので、問題は小さなものなのだろうと考えながら聴き続けていた。
そして、そのときが来た。
最後の曲の演奏中に指揮者の左手がおかしな感じに大きく、斜め後ろに伸びてきた。なにがおきたのだろうと注視していると、マエストロの様子がおかしい。指揮台の上に設えた椅子から今にも崩れ落ちそうな様子で、とりあえず、落ちるぎりぎりのところで留まっている。どうやら、踏ん張っていた足の力が入らないようで、どんどん、ずり落ちていってしまう。それを後ろに伸ばした左手で指揮台の手すりを握り締め、ぎりぎりのところで止まっていた。
すでにオーケストラに対する注意は途切れているので、オケは自主的にコンマスを中心に走っていたが、その凄まじい表現と今にも崩れ落ちそうなマエストロの様子が重なり、土曜日の午後は壮絶な様相を呈してきた。どどどど、という擬音が聞こえてきそうな演奏は、なんとか、終末を迎えたが、無事ではなく、その場でマエストロは崩れ落ちてしまい。袖で椅子に腰掛けたまま、カーテンコールには一度も出て来ずじまいであった。
そのときの、助けを呼ぶように伸びた左手の様子が、未だに私の中で未消化になっている。どんなに素晴らしい仕事をした人にも、やがては終末が訪れる。それをどのような形で迎えるのか? 考えないとなあ。。。
あと、4年で吉川英治の著作権が切れるなあ。。。と考えながら、自分の年齢をふと考える。ああ、もうそんな時間が経ったんだ。著作権保護期限の50年はそれなりに読者の年齢も高くする。ごく稀な著者を除くと、多くの著者は忘れ去られるのに十分な時間だろう。ううむ。自分の著作権は書物でなくなった段階で公開してしまおうと心に決めるここ最近。
しかし、脳裡にはまだあの左手が残っているのだが。(未消化)