2009年8月号 目次

閏月(ユンヂチ)に仲宗根浩
乳(ち)の包むごとき凜として文字新し――翠の石筍58藤井貞和
オトメンと指を差されて(14)大久保ゆう
メキシコ 便り(23)エルタヒン遺跡と土のピラミッド金野広美
クラシック音楽超初心者ガイドなど大野晋
ジャワ舞踊の美・境地を表す語冨岡三智
泥濘クロニクルくぼたのぞみ
記念日さとうまき
子規に萌える更紗
しもた屋之噺(92)杉山洋一
七月のコンサート三つ高橋悠治

閏月(ユンヂチ)に

電話の着信音が鳴る。事務所の内線電話か? はたまた外線か? そのうち音が切れる。
「仲宗根さんの携帯じゃないですか?」
携帯を取り出す。着信の記録がある。初着信は電話を取ることなく終わった。あまりにも普通の着信音に設定していたのでわからない。その上、ケースに入った携帯電話は音がやわらかくすぐ近くで鳴っているような感じがしない。携帯には着信時、電話機自体を振動させる機能があったことに気づき、その設定をする。携帯初心者にとってはこれを持ち歩き続けることは戸惑いばかり。購入した機種は、自分とは真逆のスマートなビジネスマンが持つモデル。電話機自体が華奢ですぐこわれるような気がしたので近所の革製品を作っているところで生意気にも携帯ケースをオーダーしたら五千円。購入後はマニュアルを読みまくり、付箋を貼り、学習する。料金のコースはどうせかけることは少ないだろうから二、三ヶ月は様子見て基本料金が一番安いものにする。しかし、基本料金が安いと通話料が高く、無料通話分もそれなりの少ない額、ちょと携帯サイトみればパケットで結構高くつく、複雑な料金体系。仕事場では携帯を持ちながら、内線用のPHSも持たされる。家にいて、二、三十分ちょっと外に出るときは携帯を持つのを忘れる。気がついてもポケットに一つ新たにものを入れたり、首からぶら下げたりするのもなんか面倒なので、ドライブモードというのを見つけた。これであれば着信の履歴は残り、ちょっと外に出るときは持たずにすむ。私用では使う気がないので携帯を持っていることを知っている知人に番号を教えてと頼まれたが、今のところは番号は教える気はない、と断る。現在、仕事上で携帯電話で話したのは四回、メールのやり取り二回。こんな使用頻度で本当に必要なのか。携帯電話を持っていてあたり前のうえで話しが進められる世の中、持っていなくちゃいけないものなのか。

マーティン・スコセッシが監督したストーンズのライヴ・ドキュメント映画「シャイン・ア・ライト」とデジタル・リマスター版、ハル・アシュビーが監督の「レッツ・スペンド・ナイト・トゥゲザー」のDVDが届く。「シャイン・ア・ライト」から見る。ロン・ウッドのスライド・ギター、う〜ん相変わらず下手だ。今、バンド・サウンドを支えているのはピアノとキーボードのチャック・リーヴェル、ベースのダリル・ジョーンズというのがよくわかった。スコセッシは「ラスト・ワルツ」でできなかった一つのバンドのライヴ・ドキュメントの欲求不満をこの映画で解消したんじゃない?という感じだった。スコセッシの小細工が気になる映画。ハル・アシュビーの作品は二十数年前に前売り券を買い、映画館で見て以来。あの頃は映画館は今みたいに入れ換え制ではなく、外に出なきゃ、一枚の券で朝から夜まで同じ映画を何回も見ることができた。はやい場面から出てくる、ピ
アノの故イアン・スチュアートの姿に感動。こちらは映画自体がロックン・ロールだ。最近は映画館で映画を見ることはない。ストーンズだって本当は大画面で見たいが、あの5.1chサラウンドというのがどうも馴染めない。2chステレオで十分だろうよ。普段、ラジオのFMはモノラルで聴いている。チャンネル多いからといっていい音とは限らない。うるさいだけのこともある。最後に映画館に行ったのは子供と行った仮面ライダー劇場版と実写版「鉄人28号」をはしごしたときだ。

旧の五月が二回ある今年、テレビでは仏壇、霊園、お墓屋さんのCMが多い。閏月のことをユンヂチという。仏壇の交換や移動、お墓を建てるのはユンヂチに、というのが昔から言われている。夜に墓屋さんの前を車で通ったら、展示されている墓がLEDで見事にライトアップされているではないか。暗闇に墓だけが浮き上がっていた。月々、旧暦の行事があるが、ユンヂチには神様も月がわからなくなり、その間に仏壇を買い替えたり、墓を建てたりしてしまえ、というのを何かで見たおぼえがあるので、奥さんにユンヂチのことを聞かれて、そう答えておいた。

ひさしぶりに用事で西海岸のリゾードホテルが並ぶ国道58号線に出たとき、夏の海を少しだけ目に入る。


乳(ち)の包むごとき凜として文字新し――翠の石筍58

ち ちからいっぱい、
の のばす毛糸、
つ つきとおす針、
つ つみあげた布地、
む 胸にバリケード?
ご ごらんのとおりいまや、
と 解けないハリケート(針、毛糸)、
き 霧吹きで吹く、
りん りんねるや、
と 解きほぐす袷。
し しつけたそでに、 
て 手をとおし、
も もつれる刺繍に、
じ じゅばんの、
あ 洗い張り。
た タトゥーの素肌に、
ら ラメのしたぎ、
し しぼりのパジャマ


(吉本隆明さんが「和歌」という語を言わないので〈前月参照〉、『新古今和歌集』をどう言うのかしらと心配したら、ちゃんと「新古今集」と言ってました。)


オトメンと指を差されて(14)

ついに! ついについに! オトメンという言葉の出所である菅野文さんのマンガ『オトメン(乙男)』のドラマが今月から始まるわけですが!

本原稿執筆時ではまだドラマが放映されていないため、いろんな意味でドキドキしております。なんといってもTVですから、このドラマで「オトメン」のパブリックイメージが形成されるといっても過言じゃありません。なので当事者としましてもぜひよいドラマになってほしいと思っています。というわけで頑張れ岡田くん! 応援してるよ!

と、せっかくなので今回はそのTVドラマを意識したお話でも。

......ええと(こほん)。

......ご覧になった方の夢を壊すようで(げほげほ)、とてもとても気の毒に思うのですが(むむむ)。その、現実的なことでたいへん心苦しく(きりきり)、そして当たり前と言えば当たり前なんですが(うんうん)。

――オトメンと言っても、みんながみんなイケメンなわけではありませんっっ! 本当に申し訳ありませんっっっ!

......といっても(ふう)、いわゆるスマートなイケメンに限らないっていうことなんですけどね(あはは)。

やはりそもそもオトメンのみなさんは「男らしい」わけで、そんでもってその源泉は「体育会系」だったり「スポーツマン」だったりするところにあるわけで。そうすると、一方には「さわやか系」があって、もう一方には「濃ゆい系」がありまして。もちろん「ストイック」な方面もありますよね。(ちなみにオトメンは草食系男子ではないのでなよっとした人はいません。)

それで個人的な経験上、そのどちらにもプライヴェートでキュートな趣味をお持ちの方はいらっしゃるわけで。

とりあえず思い出せるだけのあらゆるスポーツマン&アスリートの方を頭に浮かべてください。それからそのどなたもオトメンでありうると考えてみてください。ぬいぐるみが好きだったり、料理が趣味だったり、甘いものが好きだったり......あんな人も......こんな人も......

......ええと、ご想像できましたでしょうか。そういうわけなんです(他意はありません)。

私ですか? う〜ん、昔から「さわやか」だとはよく言われましたが、ルックスの方は「大久保くんの顔もそんなに悪くないよ!」などと微妙な励ましのお声をいただくくらいなので、まあその程度なのでしょう。ただ身だしなみはみなさんしっかりなされるので、お見苦しくはないと思いますよ(にこっ)。

あとそのスポーツマン的側面からもうひとつお話をすると、元々が元々のため、何事にも根性論や精神論がまかり通ってしまうところがありまして。たとえば私は今ダイエットをしているわけですが(先月参照)、「食事制限+運動」というほぼ正面突破のような方法を欠かさず二〜三ヶ月続けてしまった挙げ句、もう早くも「6kg」減量していたりしてしまうわけで。

まったく我ながらわけがわかりません。なかなかダイエットできずに試行錯誤してその果てにお手軽なダイエット法でも発見してここで報告してちょっと話題にでもなれればいいななどと考えていたのに、簡単にダイエットできてしまっては何のネタにもならないじゃありませんかっ! ある意味、私自身が最大の敵か!(書き手として)

そうなんですよね、そういえば黙々とトレーニングとか練習とかやってたわけですから、ダイエットもそりゃ黙々と続けてしまいますよね。自分を甘く見てました。「こつこつ」とか「黙々」とか大好物なんでした。

何ということだ! 大誤算だ!

しかし手を抜くことなどできないのです。それだけはおのれが許さないわけでして。そうするとネタにならない上に、あんまり人にもお勧めできないことになってしまって。(ダイエットの秘訣=根性、って人をバカにするのもいい加減にしろって感じですものね。)

......本当に、困った話です。

  【おまけ】

Q.『オトメン(乙男)』のドラマが始まるということですが、それに関連して大久保さんのお仕事は増えていたりするんでしょうか?

A.いやいや、世の中そんなに甘くはないですよ。今まで通り、節約とやりくりを駆使する割と最底辺の生活です。ただ、昔からの傾向ではあったのですが、キュートでファンシーな感じのお話をいただくことが最近多くなったかもしれません。

Q.やっぱりぬいぐるみとか好きなんですか?

A.あ......はい、好きです。でもやっぱり買うのは恥ずかしいですし、あとぬいぐるみの趣味がちょっと歪んでます。何か怪物とかモンスターのぬいぐるみとか。そういうのの方が。かわいい一辺倒なやつよりも、ちょっと強そうなやつとか。

Q.少女マンガとか読みますか?

A.たまに。そんでもって号泣します。

Q.こんな連載してて恥ずかしくないんですか?

A.恥ずかしいですよっ! いつももだえ苦しみながら書いてるんですっ! ......でも、頑張ります(基本、負けず嫌いなので!)。


メキシコ 便り(23)エルタヒン遺跡と土のピラミッド

メキシコには、テオティワカン、チチェンイツァーをはじめとし、まだ発掘されていないものも含めて、6000の遺跡があると言われています。それらの遺跡を調査、発掘するために若い日本人研究者たちが活動しています。そんな彼らが「メキシコ文化研究会」というグループをつくり、2007年、2008年、2009年の秋から春にかけて連続講演会を日本大使館領事部で開催しました。「国際都市テオティワカンとその住居」「サアチラ王朝史」「モンテ·アルバン衰退後のサポテカ文化」「ミステカ·アルタ」など、とても興味深い内容で、私もかかさず参加しました。

そんな中のひとつ「タヒン遺跡を歩こう」で、講演者のkさんが「おまけの話です」と話をされたのですが、ベラクルスの近くのテハールという村で、最近土のピラミッドが発見されたというのです。私はその、おまけの話に興味津々、土のピラミッドと、もちろんエルタヒン遺跡を見るために、ベラクルスに行くことにしました。

まずエルタヒン遺跡のある、ベラクルス州パパントラへ。メキシコシティーから朝9時のバスに乗り、着いたのが3時。ここからミニバスで30分のはずが、1時間余りかかり遺跡には4時過ぎに到着。入り口のおじさんが「明日もまた来ていいよ。タダで入れてあげるから」と、いうので、安心して中に入りました。

ここには、窓の窪みが365個あり、カレンダーになっている、壁がんのピラミッドや、17の球技場、タヒン様式といわれる、エントレラセスという交錯文様やボルタスという、渦巻文様のレリーフがたくさん残されています。球技場では、フエゴ・デ・ペロタという、神に捧げるための競技が行われていました。これはちょうどサッカーとバスケットボールを足したような競技で、足と腰とひじだけを使い、ゴムでできたボールを、競技場の中央上方につけられた、直径30センチ程の輪の中を通すというものなのですが、その輪までが、4、5メートルあり、あんな上にある小さな輪に、よく手を使わずにボールが入るなあと、感心してしまいました。

南の球技場の北東に、勝ったチームのリーダーを人身供犠するために殺しているレリーフがあるのですが、そのあまりの鮮明さに、ちょっとショックを受けてしまいました。神は負けた者の血など欲しないということで、勝者のリーダーが生贄になったのだといわれていますが、私ならわざと負けるだろうな、などと思いながら遺跡を後にしました。

エルタヒンの研究を13年間続けている、先の講演会の講師kさんと食事をした時、彼に「本当に、勝者のリーダーが生贄にされたのですか?」と、聞いてみました。すると彼は「神は敗者の生贄など欲しないという考えもありますが、生贄の衣装が立派なので多分勝者だろうといわれていますが、本当のところは分かりません」と答えられました。その他にも、いろいろ質問したのですが、答えはいつも「そういわれていますが、本当のところは分かりません」ばかりなのです。

確かに誰も見てきた人はいない訳ですから、本当のところは分からないのは当然でしょうが、私は「考古学って、地道で長い時間のかかる大変な学問だと思っていましたが、ひょっとして、結構自由で、イマジネーションを際限無く働かせることのできる、楽しい学問なのではありませんか?」と聞いてしまいました。すると彼は「そうなんです、親父にも、お前のやっている事は、誰も見てきたもんはおらんのやから、好きなように解釈しとったらええ、楽な仕事やな、と言われました」と、笑いながら話されました。

しかしそんな彼も、奨学金をもらいながらの生活は苦しいらしく、発掘やガイドのアルバイトをしているそうです。でも実直で生真面目な彼のガイドとしての説明は、いつも「そういわれていますが、本当のところは分かりません」ばかりで、私は「発掘はともかく、ガイドの仕事は向いていませんね、だって観光客は、はっきりとした説明を聞いて納得したいのに、いつもあなたの様に、本当のところは分かりません、ばかりではね」と、つい言ってしまいました。すると彼は「そうですよね」と、納得したように、苦笑いしていました。

そんな彼のエルタヒンに関する、いろいろな説明を思い出しながら遺跡を見学した次の日、ベラクルスからバスで、1時間のテハールに行きました。土のピラミッドは、ラ・ホヤ遺跡と名付けられているのですが、タクシーの運転手に聞いても、道行く人に尋ねても分かりません。すると雑貨屋のおばさんが「ああ、セサリオさんの家ね」と教えてくれました。

そこにタクシーで行くと、セサリオさんの親戚の人だというおじさんが「自由に見ていいですよ」と言ってくれたので、大きな敷地の中に入りました。ありました。ありました。高さ5メートル、幅10メートル、奥行き5メートル位の小ぶりの土のピラミッドが。半分位は崩れているのですが、階段の形がはっきりと見てとれ、確かにピラミッドです。

2年前に発見されたとかで、詳しいことは何ひとつ解っていないので、これからの調査を待たなければならないとのことですが、ここは個人の敷地なので、まず政府がこの土地を買い取ることから始めなければいけません。しかし、何せメキシコのことです、何事にもゆっくりで、まだ何も始まっていないそうです。ピラミッドの多くは、石でできていますが、これは土です。早くしないと、いつまでも野ざらしにしていたのでは壊れてしまうと、私一人がヤキモキしてしまいました。


クラシック音楽超初心者ガイドなど

さて、コンサートに通っているとときどきいろいろと周りの声が聞こえてくる。つい最近も、近所に座っていた初老の夫婦が、「最初の曲は知ってたけど、次の曲はよくわからなかったなあ」などと話していた。これが非常にレアな、演奏機会の少ない曲ならばまだしも、シューマンやベートーヴェンやスメタナなどでもそうなのだから、まあ、不勉強と言えないこともないが、いまさらクラシック音楽の勉強もないだろうから、音楽鑑賞のための超初心者向けのガイドなどを書いてみようかと思った次第。

まず、バッハとか、ハイドンとかいった作曲家の場合には、音の繰り返しを楽しむことになるから旋律に乗って、じゃんじゃんじゃん繰り返しなどと頭の中でやっているとだんだんと気持ちよくなってくるものだ。まあ、モーツアルトなどは独特の揺れなどもあるので、わからなくなったら寝てしまえば間違いない。

ベートーヴェン、だのブラームスだのはその点、ちょっと難しい。なまじ旋律やら難しい繰り返しやら、趣味趣向がちりばめられているので、こいつらはとりあえず何曲か聞いて、パターンを覚えてしまおう。だいたい、演奏機会の多い曲なんて数曲だから、それらを全て、「クラシック100曲集」といったようなタイトルのCDで覚えてしまえば、やっつけるのは簡単だ。

そのあと出てくるマーラーやらブルックナーといった作曲家はとにかく長いのが難点である。あまり聴く機会のない人間が聴くととにかく暇な旋律の繰り返しが多い。まあ、よく聴いてみれば、どこかの誰かの曲からパクった旋律が出て来て暇つぶしも可能なのだが、最初のうちはとにかく飽きると思う。(いやあ、偉そうに言うが、私だって学生時代はこいつらの長い曲には辟易していたものだ)仕方がないので、眠くなったら寝るのが一番だろう。そのうち、音の羅列や音階の移行に面白さや美しさを感じる時がやってくるかもしれない。まあ、私の場合はそこまで20年くらいかかったので、時間がない人は適当にしといた方がいいだろう。

そのほか、サティだとか、ラヴェルだとか、ドヴュッシーだとかいった作曲家はとにかく寝てしまうに限る。そのために、テンポの揺れのある曲を書いてくれたのだ。できれば、寝椅子の用意されたホールがいいだろう。(私はうまくチケットが取れたことはないので、実際に寝椅子のホールで寝た経験は残念ながらない。ま。その分、普通のホールではときどき意識がなくなっているけれど)

ロシア系のプロコフィエフやらショスタコービッチやらは近づかない方がましだと思うが、もし、演目に入っていたら、きれいな旋律(メロディー)を聴こうと思わずに、どんどんどん、とか、ばんばんばんとか、ビートを感じるようにすればいいだろう。こいつらは、ほとんど、ロック、特にハードロックの世界に住んでいる。美空ひばりではなく、ハードロックやパンクの世界だと思えばまちがいはあるまい。縦乗りに興じていればそのうち気持ち良くなる。

現代音楽はもっと世界が違っていて、音楽ではなく、「音」として、何を感じるか? の世界に入って来る。いわば、怪談のヒュードロドロの世界である。音楽ではなく、音として、感じるべきだろう。などと難しい事を考えなくても、最近ではドラマのBGMでこの系統の音楽は多用される傾向にある。そうドラマのBGMなのだ。そう思えば、結構面白くなるに違いない。

まあ、などとバカなことを書いてきたが、実は意外と美術の世界にも通じることが多い。

具象から抽象へ。パターンからカオスへ。ちょっと先に進みたい気になったら、芸術論を学ぶと面白いだろう。きっと、老後の20年では済まないくらいに広い面白い世界が広がっているに違いないから。


ジャワ舞踊の美・境地を表す語

たとえば能ならば「幽玄」、利休のお茶なら「わび」というように、芸道ではそれぞれ目指すべき理想の境地が、簡潔な語で言い表される。では、ジャワ舞踊で追求すべき境地は、どういう単語で表されるのだろう。ここではいくつか挙げてみたが、これらはジャワ舞踊だけではなく、ジャワ人の行動様式やジャワ文化一般を語る上でも重視な単語だと言える。

●バニュ・ミリ(banyu mili)
ジャワ語でバニュは水、ミリは流れるという意味で、水が流れるような様をいう。ジャワ舞踊の動きの流れるような滑らかさ、しなやかさを形容するのに使われる語。

●アルス(alus)
アルスはジャワ語で、インドネシア語ではハルス(halus)という。アルスとは自己抑制された状態で、物腰が柔らかく優美にふるまうさま。反対語はカサール(kasar)で、自己抑制ができず、粗野にふるまうさまを言う。ラーマーヤナ物語でたとえると、ラーマ王子がアルスで、ラウォノがカサールなキャラクターである。染谷臣道の著書で「アルースとカサール ―現代ジャワ文明の構造と動態」というのがあるように、アルスとカサールはジャワ文化を理解する上で最も基本的な概念だと言える。

●スメディ(semedi)
スメディとは瞑想に入って精神集中した状態のこと。サンスクリット語のサマディsamadhiからきている。ちなみにサマディを音訳すると三昧(ざんまい)になる。本文では三番目に挙げたけれど、「目指す境地」を表す語としてはスメディが最もふさわしいように思う。舞踊の実践は一種の瞑想のようなものだと考えられている。

●スメレー(semeleh)
スメレーはおだやかで落ち着いたという意味。ジャワ舞踊の良し悪しを評価する場合に、最もよく使われる語だと言える。スメディも同じような意味で使われているように感じるが、辞書で見ると、スメレーには「神を信じ、神に身をゆだねた」と言うニュアンスがあるようだ。スメディという語には、瞑想修行によって到達してゆく過程が意識され、その過程を経て得た安寧な心の状態がスメレーなのかも、と思ったりする。

●スピ(sepi)
スピはインドネシア語にもあり、人気(ひとけ)がない、寂しいという意味。これを舞踊の境地を表す語として使う人は少ないかも知れないが、私の師はスメレーと並んでこの語を使った。訳語としては「静寂」が一番ぴったりくるような気がする。喜怒哀楽の感情や我執を超越した無の境地、寂々たる境地なのかと思っている。

●ウィンギット(wingit)
これは古代ジャワ語(カウィ語)の語彙で、あまりなじみがないかもしれない。これも舞踊の境地を表す語として使われることは、あまりないように思う。辞書では「寂しい(sedih)、つらい(susah)」と意味が説明されているけれど、私が師たちと語り合った中においては、この語は「超自然的なものに対する恐れ、畏れ」というような意味で使われる。たとえば「ブドヨ・クタワン」という即位記念日の時にしか上演されない宮廷舞踊は、精霊を統括する超自然界の女神と王の結婚というテーマを描いていると同時に、王国に災厄がもたらされないようにという意味をこめて上演される。そのような、目に見えない世界からもたらされるものに対する畏れの感情がウィンギットなのだ。

私は、宮廷舞踊のうち男性舞踊はスメディな境地を求めようとし、女性舞踊はウィンギットなものを表現しているように思う。それは宮廷における男性と女性の舞踊家の本質的な立場の違いに由来する。もともと宮廷の儀礼舞踊としてあったのは女性舞踊の方で、儀礼の供物、魔除けとしての性格が強い。宮廷女性舞踊に見られる、息の長いフレーズ、高音部から低音部へと上昇下降を繰り返すこと、古い曲に見られる転調、クマナという楽器の単調なリズム...これらトランス状態を引き起こしそうな要素もまた、ウィンギットなものを表現していると私は思っている。

●マヌンガリン・カウロ・グスティ(manunggaling kawula gusti)
カウロは僕(しもべ)/臣下、グスティは神/王、マヌンガリンは合一という意味。本来は、神と神の僕たる自分との合一という宗教的な意味だったのが、ジャワ社会では次第に、神と同一視される王と家臣の間の理想的な関係を言うようになった。ジャワ舞踊に関して言われる場合は、もちろん本来の「神との合一」という意味である。この言葉、あるいはこの言葉がベースにある「ロソ・トゥンガルrasa tunggal」などは、舞踊作品の題名などで意外によく使われている。ただその分だけなんだかキャンペーン用語のようで、観念的で実感性に乏しくなっている気もする。


泥濘クロニクル

ぬめり、ぬめる、泥濘の
田んぼの土こねた泥に
埋めようか
水はって溶かそうか
経文つぶやく
筵敷いたリヤカーの
握りの錆は

ぬめり、ぬめる、泥濘の
冷たい足の指
と指
のあいだに
滲み出る
とろりとした
青い土よ――「よ」はいらないな

内地の土と、内地の泥に
思いつのらせた
もと水呑百姓の
開拓植民の
住みつかなかった子どもが
燃やす
扉あかない納屋と
理由の数々

曲がる腰の痛み吸いあげ
稔る穂
のきらめく、ゆらめく
八月の田んぼの空に
名はなくて
ぬめり、ぬめる、泥濘の
名づけ替えられた
土地の声に
耳澄ましても

なに・いま・さら

困惑顔かな
ピンネシリは


記念日

今年は、JIM-NETができて5周年。2004年6月、バスラから医者が来日して話を聞いているうちに、みんなで力を出し合ってイラクの小児がんの支援をしようよということになったのが6月9日。それから5年間よくも続いたと、大概、5周年記念パーティを盛大にやるものだ。しかし、気がついたら「今年は5周年だなあ。何かやらなければなあ」と思うも時すでに遅し。会場も空いていないし、記念出版といっても今からじゃ到底間に合わない。確かに、5とか10というのは歯切れがいい年であるが、残念ながらチャンスをのがしてしまうのである。

イラク戦争がおきて、すでに6年がたつ。5周年というわけには行かなかったが、6という数字にこだわれば、小学生が入学して卒業するまでが6年間。そこで、イラクの子どもたちがこの6年間の戦争をどう乗り越えたのか、あるいは、途中で命絶えた子どものことも伝えたいと、絵本『おとなはなぜ戦争をするのII イラク編』(新日本出版)を作った。親子で読んでほしい。

イラク戦争が始まり、緊急人道支援を行っている時に出会った子どもたちは、6年もたてば成長している。びっくりしたのは、バグダッドの音楽バレエ学校に通っていたスハッドちゃんだ。お父さんは、学校の守衛をしていたので、音楽学校に住みこんでいた。最初は、学校の脇の小屋に、お父さん、お母さんと兄弟5人で暮らしていたが、バグダッドが空爆され、小屋は爆弾で炎上してしまったので、その後は校舎の中にある、小さな部屋をあてがわれて暮らしていた。 イラクといえば、今はイスラーム教が強くなっており西洋音楽なんて、あまり考えられないかもしれない。レオタードを着て踊るバレエなんていうのも、どうなのだろう。しかし、2002年から2004年にかけて私がバグダッドを行き来していたころは、子どもたちはピアノやバイオリンを演奏し、「くるみ割り人形」を踊っていた。

バグダッドは、アッバース朝の頃に音楽の理論家もたくさん出現したようだ。しかし、2002年、イラク人の音楽家にとって音楽は神にささげるものではなく、サダム・フセインにささげるものに堕し、子どもたちはといえば、サダムを称える歌ばかり歌っていた。

2004年以降バグダッドは治安が悪くなった。特にシーア派の民兵組織は、イスラームに厳格でない人々を粛清し始めていた。アルコールを販売するものは殺す。イスラームで威厳のシンボルになっているひげをそる散髪屋は殺す! パンやも殺す? 医者も殺す?? さすがになんでもかんでも殺していくようなやり方は住民にそっぽを向かれてしまった。

そんな時期なので、音楽を学んでいて、日本とも関係があることがわかると、宗教的にもけしからんし、金持ちだと思われ、誘拐されて身代金を請求されることも考えられたから、一切連絡を取らなかったが、最近治安がよくなって、いろいろな情報が入ってきた。スハッドちゃんの家族は、音楽を今でもやっているというのである。遠くから車の送り迎えつきで通ってくる他のクラスメートに比べて、この一家はとても貧しい。今のイラクでは、音楽を続けていくことは難しいだろうと思っていたのが、なんと、最近ではオーケストラに入って、五つ星ホテルで演奏をしたりすることもあるそうだ。バグダッドはここ数年間、世界で一番地獄に近い都市といわれてきた。そんな中でも、音楽をやっていたということが、とても僕には感動的だったのだ。彼らが、送ってきてくれた写真は、5人兄弟で、バイオリン、オーボエ、ウード、カーヌーンという西洋とアラブの楽器を取り混ぜて演奏している姿。一体どんな音が奏でられるのか、ますます聞いてみたくなったのだ。

ふと思い出したのだが、僕が海外で活動を始めたのが、ちょうど今から15年前。僕はイエメンで内戦に巻き込まれたし、友人はウガンダで内戦に巻き込まれていた激動の時代。ということで、この本は、15周年特別記念出版ということで。


子規に萌える

7月3日朝日新聞の朝刊に、正岡子規の直筆の選句集「なじみ集」がみつかったというニュースが載っていました。これは、存在することは確かなれど、いままで見つかっていなかった「幻の書」だったのだそう。

いやぁ、すごく面白そうなんですよ。子規が直々に選んだ、漱石や虚子ほか、子規に「なじみ」のあった門下生ら約90人の俳句と自身の俳句が674ページも! それだけでかなり萌えます! そう、まさしくこのニュースを読んだ時の興奮は「萌え!」(笑)。

子規ははたして、どのような言葉や感覚を面白いと思っていたのか。ビビっときていたのか。これは知りたいですよ。好きな作家やミュージシャン、役者、デザイナー。彼らが、どんな本をや音楽やファッションを好むのか、食べモノは...飲み物は...? そういうものを知り、触れてみたい。そんなファン心理! 子規はエッセイ『墨汁一滴』に仔細に食べ物の好みについては書いてくれていて、実はそれを読んでからというもの、閉店直前のタイムセールで刺身3〜4パックで千円になるのを狙う回数が増えていたりする(子規は刺身好き)。

記事に紹介されていた、「なじみ集」でみつかった子規の新句にぐっときたので、ひとつご紹介します。

  しにゝ行くためにめしくふこじき哉

歴史上の人物などに入れ込む女子を「歴女(れきじょ)」などと呼ぶらしいですが、「俳女」も増えてほしい。一緒に子規に萌えてくれる女子、いませんか!? 文学的解釈だのなんだの、さらりとかわして、ただその言葉や設定(背景)の関係性に妄想たくましくときめきたいのです。

なじみ集を子規が編んだのが、だいたい25歳から28歳くらいだと言われています。私もまもなく25歳。100年前の同年代の感覚、楽しみですな。


しもた屋之噺(92)

朝起きて窓を開けると、ミラノの空気がとても爽やかに感じられます。夏が近づき、街から人がずいぶん減ったからでしょう。今はまだ夜も明ける4時過ぎ。鳥のさえずりと共に、日本でいう秋虫の声が涼しさを誘います。半袖で寝ていると寒くて目が醒めてしまいます。

愚息の夏休みも兼ね、東京に戻っている家人に子供を任せ、一ヶ月ほど仕事に集中するため単身ミラノに戻っていますが、初め1週間根をつめて生徒を教えた以外、殆ど誰にも会わず机に向かうのみで、何か書くといっても、その間頭を過ぎったことを思い出すくらいしかできません。

どうしてもこうも自分は愚鈍で肝が小さいのか。呆れるのを通り越し、感心するくらい気が弱いわけですが、自らに対する不信感が相当根強いのでしょう。本当は4月末までに仕上げるはずの新曲を作曲したいのに、来月と再来月の本番の譜読みがこわくて仕方がない。それから先の譜読みはさておきと諦め、ともかく最低限の粗読みだけでも片付けてからと決めて、と昨日までで9曲くらい、立続けに譜面を読んでいますが、気が小さいからなのか、一曲につき予想の倍から4、5倍の時間がかかってしまいます。先日東京で、ライブラリアンのIさんと話していて、何とかさんなんて、最後の一週間くらいでささっと読めてしまうのよ、と聞いて本当に落ち込みましたけれども、基本的なソルフェージュ能力の違いですからどうしようもありません。本当はそうでなければ生活は成立しないのでしょうが。

自分が振るわけではないからと安請け合いしたグルッペンでさえも、譜面を開いてみると、勉強せずには目も耳も到底付いてゆけないことがわかり、泣く泣く、リズムの近似値表を作り直して、計算機片手にテンポ間の比率計算を始め、全ての音符を譜割し、各フレーズに音部記号を書き込み、ようやく頭のなかでオーケストラの音が鳴るようになってきました。144ページのスコアにたったこれだけのことをするのに、毎朝夜明け前から机に向かってどれだけ日数がかかったか、情けなくて書く気も起きません。

ただ、少しずつ音が鳴るようになってくると面白いもので、「おお懐かしい! 実験音楽なんて言葉を思い出したのは何十年ぶりか」などと独りごちつつ、当初ただ異様に複雑としか映らなかった楽譜が、古典的な意味で実に音楽的にできていて、意図を実現すべく作曲者がどれだけ細部に心を砕いているのかが分かり驚嘆しました。何より端的に、音楽が美しいことに心を打たれました。それが、現実としてどれだけ実現できるのか、聴こえさせられるのか。彼のとんでもなく強靭な意志が、演奏者をじっと見つめているのを感じます。

ですから、演奏家はマゾヒズムがなければ務まらぬ職業だろうか、などと今回は真剣に考え込んでしまいました。一つずつ無心で音を拾ってゆきながら、写経をするときはこんな心地かしら、などと失敬を頭が過ぎりましたが、自分が指揮するのでなくて良かったと何度溜飲を下げたことか。

今からもう10年近く前、ノーノのプロメテオをエミリオと一緒にヨーロッパツアーをしたときのこと。指揮者2人と四方にばらまかれたオーケストラ演奏に包まれ、2時間近くもの無限の音響体験を経て、最後に聴衆と演奏者が到達するエクスタシーがあったとすれば、グルッペンはそれを記号化、論理化して、20分というフレームに信じられないエネルギーをもって凝固させた感があります。こうして見れば、ノーノはどこまでも人間臭く、汗や涙が充満するオペラ文化そのものだけれど、シュトックハウゼンは、ストイックで宗教心にすら通じる透徹で高邁なきざはしを、めくるめく音たちが昇りつめてゆく気がします。それは我々の手には到底届かない、北方ゴシックの燦然たるファサドのようなもの。

続いて武満さんの「ノスタルジア」と「地平線のドーリア」を、引込まれるまま貪るように読み、いかに自分が武満さんを理解していなかったか、痛感させられました。この2作品にしてもそうですが、武満さんは時代を経て作風ががらりと変化したとばかり信じて疑いませんでした。調性がどちらも変へ調なのは偶然としても、全体の構造や和音、フレーズ、どれもが実に緊密な関係があるのは、こういう機会でもなければ知らなかったかと思うと恥ずかしいばかりです。

いつか書きましたが、ドビュッシーに等しく武満さんにとってタクトゥスは不変で、その不変のタクトゥスがルバートするのならば、一見まるで違う譜づらの「ノスタルジア」と「ドーリア」も身体を通う血は同じでなければならない筈です。何より音が美しく、ピアノで弾いていて、何度も鳥肌が立ちました。半終止のように響く「ドーリア」の19小節の印象的な和音が、36小節から38小節にかけ、聴き手も耳をもぎ取りイ調に解決する瞬間の表現力など、静謐だけれど、途轍もない迫力だと思います。

今頃気がつくのは悲しいが、でも知らないままでいる方がもっと悲しい。これで由としよう、毎日何度そう思いながらやり過ごしていることか、考えたくもありません。

それこそ武満さんを勉強していた頃かとおもいますが、気分転換にユーチューブを眺めていて、偶然目にしたフリッチャイの「モルダウ」に、食欲を無くすほど衝撃を受けました。名演や素晴しい演奏家は枚挙にいとまがありませんが、自分の皮膚感覚に途轍もなく近いことを、果てしなく遠い高みで実現しているのを見ると、いくら自分が凡庸だと分かっていても、最早それすら意味を成さないのではと訝かしみたくもなります。

まったくもって悲観主義者ではありませんが、もし生活がかかっている家族がいなかったら、実際まだ音楽を生業にしていたかどうか怪しいところです。これも流れですから逆らったとて仕方ないと諦めておりますが、正しいかどうかは甚だ疑問ではあります。あと数曲、9月までの譜読みが残っていますが、大方雰囲気が掴めたこの辺りで颯爽と気分を変え、シャワーでも浴びて作曲に勤しむことにいたしましょう。

(7月27日ミラノにて)


七月のコンサート三つ

まずオーケストラアンサンブル金沢メンバーとの室内楽。ひさしぶりのバッハのクラヴィーアコンチェルト、だれも知らないハイドンのトリオ37番など。統制されず協調による合奏の、ゆるく束ねられたポリフォニー。室生犀星の詩6篇の朗読と室内楽のための作曲は、楽器の音色のずれた線と沈黙をはさんだ断片。他の日本の作曲家のようにオペラもバレーも書かず、オーケストラ曲もなく、音楽監督や教授などにはならず、賞とも無縁でいれば、ピアニストの趣味の作曲と思われているのだろう。

そのピアノだが、60年代以来、同時代音楽からしだいにクラシックに重点が移動してきた。一応の需要に合わせていればきりがなく、だれもききたくもない作曲などよりは、バッハかサティのように無害無益な音楽をやったほうが、クラシックファンの現実逃避の暇つぶしには向いている。もっとも日本の演奏家の弾くクラシックは、だれかヨーロッパ人が次に弾くまでの埋め草でしかない。こんなことでは、他の演奏家の手伝いをするなら多少の意味もあるだろうが、派遣労働者とおなじ、もっと安上がりの演奏家が出て来るまでのあいだでしかない。

水戸では作品の個展もあった。『高橋悠治の肖像』というタイトルは、ブーレーズとベリオに続く3回目と言われれば、聞こえはいいが、日本の作曲家たちとは何のかかわりもないし、だれも聴きにこないのが現実だろう。60年代のピアノ曲から最近の作品まで、オルガンやギターなど、ほとんど演奏する機会もない曲も演奏され、あたらしい演奏家たちとつきあうなかでそれなりの発見もあったが、これらの音楽はすべて過去のこと。じっさいに演奏してみると、いまはない「水牛楽団」のスタイルがいまでも新鮮だった。ここからやりなおして、ちがうところに行けるかもしれない。このどうしようもない世界のなかで、殺され死んでいったひとたちの記憶、まだない世界の兆しをはらむ響き、音の自律的なうごきと関係が織りだす変化の軌跡が、不安定なリズム、ゆれうごく線とわずかな彩りで一瞬浮かび、ずぐにまた消えてゆくような音楽の幻。

先月の小杉のための新作「あたましたたり」につづいて、さがゆきのための「眼の夢」を新宿ピットインで初演する。即興のために「書く」のはむつかしい。スタイルのちがいを透して見えてくる「かたち」を、どのようにあらわすか。いままで使ったどんなやりかたも、その場限りのものだったし、毎回考えなおしても、共通項も、基本原理もない。システムも方法もない。たえず変わる感覚もあてにならないし、定義も理論もありえない。といって、状況しだいでやりくりしているわけではない。共同体も信仰もイデオロギーも崩壊したいま、そこにはたらくのは、たぶん社会的な身体の姿勢とでもいうべき方向かもしれないが、それを語ることばはまだない。まだないものは、すでにないものと似ている。そこにあるものが、そこにないものを見せる鏡であり、ここに見えるかたちは、ここにないものの影にすぎないという、反歴史の行為。