つれづれに

さて、何から手をつけようか迷っている。とりあえずは、思い付いた話から。

都響のコンサートではちょうどインバルが来日中のため、インバルの新譜が大々的に取り上げられていたが、実は同時に今年の小林研一郎指揮の「わが祖国」が早々とリリースされている。昨年のキャンセル騒ぎから大きく取りざたされた久々のコンビのライヴだったが、大抵のライヴ音源は会場の盛り上がりとは裏腹に、冷静に聴き直すとあらららとなることも少なくないのだが、少なくともこの一枚は上出来だった。ゆったりと入った二台のハープの演奏から名演の雰囲気はしていたのだが、聴き直してなおいいと思うコンサートは珍しい。最近のヒットである。

先月、札幌に行ったところで終わったが、札幌では奇しくも札響でエリシュカの指揮でスメタナの「わが祖国」を聴いた。エリシュカの「わが祖国」はN響で今年聴いているから2度目だが、若いオーケストラがいいパフォーマンスだったと思う。エリシュカが指揮をすると相変わらずチェコ節なのだが、安心して聴ける名演だったと思う。

その数日後に、毎年日本にやってくるパーヴォ・ヤルヴィ指揮でシンシナティ交響楽団のコンサートを横浜で聴いた。アメリカのオーケストラらしい非常に機能的な演奏だったが、一番面白いと感じたのは演奏ではなく、そのステージの上がり方だった。「ステージ集合」という感じで、時間が近づくに従い、オーケストラメンバーがばらばらとステージ上に集まって来る。で、最後にコンサートマスターが定刻になってでてきて、じゃ始めましょうか? という感じに始まるのだ。その様子を見ていて、「ステージ集合」というタイトルで音合わせに音や練習の音も含めて指示をした曲(パフォーマンス)ができるのではないかと思った。

さて、いくつかのコンサートを聴いていて、ふと、オーケストラと指揮者との関係がかわってきていないかと気になった。おそらく、オーケストラのいるステージ(段階)によって、オーケストラに必要な指揮者の関与は違うのではないだろうか? 例えば、自分たちの音がまだ決まらない若いオケにはトレーナータイプの指揮者が必要だろうし。ある程度、音の出せるオケならば、客の呼べる指揮者を招へいして、稼ぎにつなげる必要があるだろう。指揮者に対する要求が違えば、必要とされるスキルももしかすると違って当然なのだろう・猫も杓子も有名指揮者を! という時代ではないでしょ?

最後に、JASRAC70周年のパーティから飛び出した発言にはびっくりした方も多いだろう。まあ、このところ沈滞気味だったのだから、ちょうどよいタイミングで話が再開できてよかったと言えるかもしれないと思ったりもしている。私は個人的には次の点だけ変われば、70年に延びてもいいと思っている。
その1:著作権継承者はその著作権を延長、相続等をするに当たっては、文化の発展に寄与するために相応額の税金を払うこと。
その2:著者の死後、著作権が切れるまでの間で、過去10年以上出版されていない著作は商業的な資産価値がないものとして、以後、ネットなどで使用する場合には著作権フリーとすること。
あくまでも商用となっている権利を無理やり剥奪しろとは言わないが、使われていない権利は公に返してもいいように思うのですが?