十年ぶりという大雪が天窓をすっぽり覆っているせいか、久しぶりの拙宅は妙に薄暗く感じます。この庭も垣根の向こうの中学校の校庭も、見事に深い雪に包み隠されていて、引っ越し祝いに頂いたヒイラギだけが、必死に雪から頭をもたげようとしています。
メールでもチェックしようと階下に下りコンピュータをつけると、見たこともない画面が現れ、突然コンピュータの奥底にしまってあった先月ボローニャで演奏したドナトーニの練習風景の録音がかかりました。どこか間違って触ったかと録音を止めると同時に、新着メールの着信音が鳴ったのでメールを開くと、ドナトーニ作品の演奏依頼でした。亡くなって随分になるのに、案外その辺をフラフラしているのかと思うと、愉快な気分になります。
カナダのマニャネンシから久しぶりに連絡があって、積もる話に思わず花が咲きます。こんなとき、スカイプで顔を見て話せるのは楽しいものです。92年に初めてイタリアに来たとき、最初に会った作曲家がマニャネンシで、彼は当時シエナでドナトーニのアシスタントを長く務めていて、ドナトーニとの関わりはとても深いものでした。ですからどちらともなくドナトーニの話になり、ドナトーニの名著「Questo」を英訳したいと思っている、と聞いてびっくりしました。ちょうど自分も邦訳したい、しなきゃいけないのではないか、とこの所ずっと思っていたからです。
彼曰く23ページまで英訳したけれど、イタリア人でさえ難解な内容だし、何となく意味は訳せても、「彼の言葉」までは訳せず挫折していたと言うので、もう10年前に「Questo」の前書きだけ邦訳して、到底無理だと投げ出したのにそっくりだと笑ってしまいました。100パーセント訳すのは不可能でも、70パーセントでも訳せば、70パーセントは伝えることができる。0パーセントと70パーセントでは大きな違いだ。そうすれば将来誰かが興味をもって、自分よりもっと上手に訳してくれるかも知れない。お互いそんな風に励ましあって、少し勇気が沸いてきたところ。
ボローニャ・テアトロ・コムナーレのマッチャルディからのメール。
「本来なら文化と発展に寄与すべきところ、今の劇場ときたら政治と役立たずばかりが跋扈している。我々関係者の務めは、そんなあるべき姿を目指して粛々と仕事をすることだと思う」ボローニャのコムナーレに来る前、マッチャルディはトリエステのヴェルディ劇場でソルビアティの新作オペラを成功させています。そんな話をソルビアティとしているとき、最初に彼が言ったのは、「このオペラの目玉は経費が安いこと。場面は転換しないからセットは一つで済むし、合唱もない。とにかく安くできる良いオペラを作ることを目指したんだ。お金をかけなければ新しいプロダクションは出来ない、という固定概念を壊したくて」。実際ソルビアティのオペラは素晴らしいものでした。緊張感もあり彼の音楽もとても自然にオペラに溶け込んでいて、劇的要素も充分でした。
ミラノの州立オーケストラ、ポメリッジの音楽監督になったフェデーレと連れ立って、ビゼー「アルルの女」初演版をポメリッジの定期に聴きに出かけたとき、彼が背筋をぴんと伸ばし、初めて音楽を聴いた子供のように目を輝かせてビゼーに聴き入る姿にある種の感激を覚えました。
「ビゼー氏がどれだけすばらしく書けたか!とんでもない才能だよ!
打楽器はもちろん、グランド・ピアノと縦型ピアノが一つずつ、ヴァイオリン7本にヴィオラ1本、チェロ5本にコントラバス2本、ホルンが2本にサックスが1本、フルートを除いて木管は1本ずつという奇妙な編成から、まるでフル・オーケストラのような響きを引き出して、大合唱を支えます。
「目をつぶって聴いてみろよ。この編成なんて到底信じられない!魔法だよ!」
演奏会の真最中に興奮してこう話しかける音楽監督もどうかと笑いましたが、彼のような特にオーケストレーションが上手な作曲家から言われると、さすがに深い言葉です。確かにイタリアはとんでもない不況で、文化やそれも音楽の打撃は想像を絶するものです。そんな中でも信念を持ち肯定的に生きる友人たちはみな輝いていて、活力や生命力に満ちているようにおもいます。
先日のボローニャの演奏会でも、劇場のオーケストラがあれだけ心を砕いて現代作品を演奏する姿をみて、思うところが沢山ありました。最初の練習が始まる前に、駆け寄ってきた演奏者たちが「普段うちらは椿姫とかやっていて、こんな難しい譜面読めないんです。譜面だって貰ったばかりで」と不安そうに話していましたが、実際鳴らしてみればそれは見事で音楽的でした。こんな世知辛い時世ながら、音楽を通して元気をもらうことがたびたびあって、嬉しくなります。
先日ちょうど40歳の誕生日にはサンマリノで大雪のなかクリスマス・コンサートをしていました。前半はサンマリノの童声合唱を伴奏して、後半はニーノ・ロータ。なにしろサンマリノは小さな国でサンマリノ人だけで大オーケストラは出来ないので、イタリア人も多数混じっているのですが、初めの練習にでかけると、セカンド・ヴァイオリンのトップ裏が先日のボローニャのコムナーレのヴァイオリンのおじさんで、会うなり「いやあ先日はお世話になりまして! 凄かったねえ」と声をかけてくれました。何でも今年は子供たちから率先して合唱をすることになったとのこと。昨年一緒に演奏して愉しんで貰えたかなと少し嬉しくなりました。1年ぶりに会うと、子供たちはみんな随分大きくなっていて、声もよく出るようになっていました。
ニーノ・ロータ特集の演奏会の最後を飾るのは「アマルコルド」。このフェリーニの名作はサンマリノの隣にあるリミニの街が舞台で、題名「アマルコルド」も今も使われる方言の言い回しです。「アマルコルド」ではリミニ出身のフェリーニが自らの青春を赤裸々に綴りますが、この辺りの国民性は映画そのままで、ミラノあたりからやってくると正に外国です(たしかにサンマリノは実際外国なのですが)。ですから彼らにとって「アマルコルド」は文字通り心の故郷なのでしょう。携帯電話の着信音が「アマルコルド」になっている人も何人も見かけました。
もう今年も終わりだなんて何だか信じられない気がしますが、気を取り直しとりあえず熱いシャワーで目を覚ましてレッスンに出かけることにいたします。