メキシコ便り(28)コロンビア

太古から続く悠久の時を感じさせてくれたギアナ高地をあとに、コロンビアの首都ボゴタに着きました。ここコロンビアは外務省の「渡航の是非を検討するように」という通達が出ているため、みんな非常に危険だと思い行く人が少ないのでしょうか、ほとんど旅の情報がありません。私のガイドブックにもボゴタの地図もなければ、地方都市の記事も3箇所しか載っていません。それもほんの少しです。日本にいて外務省の通達だけを見ているとコロンビア全土が危険だらけといった印象を受けますが、実際毎日そこで暮らしている人もいるわけだし、確かに外務省が危惧するような危険な場所も多くあるでしょうが、そうではない静かな場所もたくさんありそうで、これは行ってみなければわからないのではと常々感じていました。

ボゴタはアンデス山脈の東、標高2600メートルの高さにある近代的な高層ビルとコロニアルな建物が混在する人口700万の大都市です。コーヒーの国だけあって多くのコーヒーショップが軒を連ね、パン・デ・ケソ(とてもおいしいチーズを焼きこんだ丸いパン。1000ペソ、日本円で約50円)を食べながらコーヒー(日本円で70円から100円)を飲む人たちがくつろいでいます。また博物館、美術館がたくさんあり内容はとても充実しています。その中のひとつ、黄金博物館に行ってみました。

ボゴタはスペイン人がやって来る前、高度な文明を築いたチブチャ族の都があったところで、彼らの首領は金粉を体に塗り、黄金の装身具をつけ儀式に臨んだということで、これがエル・ドラド(黄金郷)伝説を生み出したといわれています。この博物館には金製品2万点余りが展示され、ヒョウやワニ、鳥などの動物や人物などを表現したその細かい細工には目をみはるものがありました。

「黄金の部屋」と名づけられた部屋に入ると中は真っ暗でインディヘナの音楽だけが流れています。しかし一瞬、電気がつき、明るくなったかと思うとまわりはすべて金、金、金。光り輝く黄金でデザインされた流れるような文様は丸い部屋全体がひとつの美術工芸品のようです。私は、金は派手すぎてあまり好きではないのですが、このときばかりはその美しさに見とれてしまいました。

また、コロンビアのメデジン出身のフェルナンド・ボテロが自らの作品やコレクションを国家に寄贈して造られた「ボテロ寄贈館」もダリ、シャガール、ピカソなど多数の有名どころが並び、なかなか見ごたえのある美術館でした。ほかにもディエゴ・リベラ、フリーダ・カーロ特別展を開催していた国立博物館など何か所か回りましたが、それぞれ展示に工夫がこらされ、センスのいいミュージアムが多かったように思います。

夕方、通りを歩いていると楽しげな音楽が流れてきました。アルパ(ハープ)とギターをかかえた辻音楽師が3人で演奏しています。よく見るとアルパをひいているのは少年です。これがなかなかうまかったので声をかけてみました。彼は13歳のオルマン君でお父さんとその友人との3人でコロンビアの大衆音楽ジャネーラを演奏しているとのことでした。そのうちに知り合いの人が通りがかり、みんなでマラカスなどを持ち演奏を始めました。私にも歌えとうながすので一緒にアドリブで声をいれました。自分たちが楽しんでいるだけにしか見えないにもかかわらず道行く人はお金を入れていきます。ちょっと不思議な気分になりましたが、とても楽しかったです。

お父さんと一緒にその場にいたオルマン君の友人のファン・デビッド君、11歳は日本にとても興味を持っているらしく、ずっと日本について質問してきます。コロンビアでも日本の漫画が多く放映されているので日本に親しみがあるということですが、その質問内容はなかなか高度で「なぜ日本はエレクトロ技術が高いのか」などと聞いてきます。11歳のコロンビアの少年にそんな質問をされるとは思っていなかったので、ちょっとびっくりしながらもわかりやすく説明するのに四苦八苦してしまいました。

そういえばインターネット・カフェで日本のニュースを読んでいた時にもカップルから声をかけられ、日本についての質問攻めにあいました。そして別れ際に漢字で自分の名前を書いて欲しいといわれ、茉莉亜(マリア)、辺羅留土(ヘラルド)と書いてあげると大喜びされ、二人は大事そうにその紙きれを持って帰りました。こんなに日本から遠い国で、日本に興味を持っているコロンビア人に会えてちょっとうれしくなった1日でした。

次の日、ボゴタから北へバスで1時間半のところにあるシバキラの町に行きました。ここには岩塩の鉱山があり、塩で作られた教会があるのです。中に入ると塩の大きな十字架がある礼拝堂がたくさんあり、この鉱山全体が教会になっています。今では別の鉱山で35人が働いているだけということでしたが、この十字架を見た時、多くの礼拝堂をつくった人たちは、暗い鉱山の中での厳しい労働の安全を神に祈りたかったんだろうな、などとちょっとつらい気持ちになりました。

その夜、夜行バスに乗り太平洋岸に近いコロンビア第3の都市カリに行きました。朝5時半に着き、ホテルを探して落ち着きシャワーを。ボゴタは寒かったのにここは暑い。じっとしていても汗が噴きでてきます。街の中心のマリア公園では珍しくかき氷屋さんがあったので思わず食べてしまいました。バナナやマンゴーをいっぱい入れてくれて1000ペソ(日本円で約50円)安いです。

メキシコではいろいろ悪い噂があり、私はおまわりさんを見ると避けて通るのですが、ここのおまわりさんはちょっと違って本当に親切です。私が果物屋さんを探してうろうろしていると、声をかけてくれそこまで連れて行ってくれます。そして別の場所をたずねても「そこだとタクシーが便利だ」とタクシー運転手を探して私を目的地に連れて行くよう指示してくれます。メキシコでは考えられない、もう感激です。メキシコのおまわりさんは、その体ではとうてい泥棒など追いかけられないでしょうというおデブさんがいっぱいですが、カリのおまわりさんは背が高く、すらっとしていて、とてもかっこいいおにいさんでした。

次の日の朝6時半のバスで南に9時間、サン・アグスティンに行きました。ここは紀元前3300年ごろから紀元前3000年くらいに起こったといわれているアグスティナ文化発祥の地で多くの石像が残っています。馬でしか行けない場所があり、四方に散らばった遺跡を5時間かけてめぐらなければなりません。乗馬はまったくやったことがないのですが、馬は初心者でも乗せられるように調教されていると聞き、乗ってみることにしました。

朝9時、ガイドに助けてもらいながら生まれて初めて馬に乗りました。何とか乗れましたがものすごく怖い。しかし馬は始めはゆっくり歩いてくれるので、少しずつ慣れてきました。慣れるとなかなか気持ちがいいものです。

まず最初に訪ねたエル・タブロン遺跡にはアントロポソモルファといって半分人間、半分動物の石像があり、顔は人間なのですが、口がジャガーというなかなか興味深い相をしていました。チャキーラ、ラ・ペロタ、エル・プルタルと順に緑に囲まれた山の中の遺跡をめぐりました。赤や青の色がわずかに残っている男女の石像は、まるでお墓を守っているかのようにその前に立ち、なんだかけなげでとてもかわいらしかったです。このころには馬にも大分慣れ、馬上からガイドに質問する余裕も出てきていました。

しかし、帰り道、馬は登りになると、勢いをつけるためでしょうか、急に走りだしました。ヒェー怖い、あぶみを力いっぱいふんばりましたが、振り落とされそうで生きた心地がしません。おまけに私の馬は道の真ん中を走らず、わきの草がいっぱい生えているところを走るのです。そこには木があり枝が張り出しています。顔を枝にひっかかれそうで、恐ろしいといったらありません。頭を低くしながらなんとか走り抜けましたが、もうくったくたになりました。

そしてその夜はもう悲惨。体中痛くて、おまけにお尻の皮が直径3センチほど剥けているではありませんか。でっかいバンドエイドなんてないし、シャワーをするとお湯がしみて痛いし、もう馬なんて2度と乗りたくないと思ってしまった私の乗馬初体験でした。

体中サロンパスだらけで眠った次の日、考古学公園に行きました。ここはきれいに整備され多くの石像が展示されています。特に小高い丘になっているアルト・デ・ジャバパテスは一面芝生で360度の眺望がひらけ、緑あふれた美しい中に石像たちがかわいらしく立っていました。ここの警備をしているエルネストはいつも一人なのですが、この仕事をとても気にいっていると話してくれました。というのはこの丘はいつもさわやかな風が吹き、その風にふかれながら勉強できるからということで、英語を独学しているそうです。スペイン語と英語の両方で書かれたガイドブックを見せながら、ここ以外のコロンビアの遺跡についてもいろいろ教えてくれました。

次の日、国境越えをするため朝6時サン・アグスティンを出発。乗り合いタクシーでピタリートへ。ここからバスでモコア、パスト、国境の町イピアーレスまで行くつもりだったのですが、モコアからパストまでがすごい道で時間がかかり、イピアーレスまでたどりつけませんでした。2、3000メートルはあるだろうという高い山を、バス1台がやっと通れる幅だけの、ガードレールもないじゃり道をのろのろと曲がりくねりながら登って行くのです。もし対向車とぶつかったらどうするの、と思っていると途中2時間ほど行くとトラックと鉢合わせしました。両方の運転手がなにやら話しあって、結局トラックの方がバックしましたが、もしバスの方がバックするのだったら恐ろしくて身も凍ってしまっていただろうと思います。バスの窓の下は目もくらみそうな深い谷。怖くて怖くて下を見ることなどできません。無理やり眠ろうとしましたが、何せガタガタ道、揺れて揺れて眠ることもできません。運転手に「なんて怖い道なの、あと何時間かかる?」と尋ねていると一人の女性がとなりに座るように言ってくれ、途中でお菓子も買ってくれました。彼女は病院に行くため月に1度このバスに乗るそうですが、私は2度と乗りたくないと思いました。

パストで1泊したあと、次の日早くイピアーレスへ行きました。国境ではたくさんの両替商がたむろしています。ここで余ったコロンビアペソからドルに両替をしたのですが、どうも受け取ったお金が少ないような気がして自分の計算機でやり直しました。すると両替商の計算機に細工がしてあったのでしょう、33ドルもごまかされていたのです。そのことを指摘すると「ばれたか」というようなばつの悪そうな顔をしながら33ドル渡してくれましたが、転んでもただでは起きぬ小悪党。なんとその中に偽札をまぜていたのです。