引っ越した友人に大好きだというホッキョクグマの写真集を送ると、荷物に囲まれて途方に暮れてます、ホッキョクグマのように身ひとつで生きられたらいいのにね、と返事が届く。おりしも年内最後のゴミ収集日の前日で、まったくそうだと掃除を終えて、夕方、三遊亭鳳楽『文七元結』を聞きに行く。腕のいい左官屋だが博打好きの長兵衛の家は着るものもみな質に入れていて、案じた娘がこっそり吉原へ身売りに出向いたその翌日、賭場で身ぐるみ剥がれて半纏一枚で帰って来た長兵衛が、娘に会いに行くために女房が着ていたたった1枚の着物を借りるのだ。身ひとつに着物1枚ずつではじまる一家の話、生きられぬわけはなさそうだけど......。
身ひとつで生きられないなら身ひとつで死ぬこともできない。野見山暁治さんが『四百字のデッサン』に書いた椎名其二の言葉を思い出す。《何て人間はぶざまなんだ、鳥や獣のようにひっそりと自分だけで『死』を処理できないものなのか》。虐殺された大杉栄のあとを受けてファーブルの『昆虫記』第2〜4巻を翻訳した椎名其二(1887-1962)は、のちにパリで製本を生業にした。晩年は息子に妻を託して自らはパリ郊外の知人の別荘で1人暮らし、最後は身寄りのない者となのり自ら病院へ入って息をひきとったそうである。
蜷川譲さんの『パリに死す 評伝・椎名其二』には椎名が製本をはじめたいきさつが描かれている。妻子を抱え生活に困窮していた戦後のパリで、40年来親しくしてきたヴラン書店の店主に突如こう告げたそうである。「今度、製本屋をはじめる」。道具も技術ももちろん客などあるわけがない。手元にある古い本をばらして綴じ直して糊づけすることからはじめるつもりだと言う。店主からおよそ1万フランの援助を得て最低限の道具を揃えたが、知り合いの製本屋に秘伝だからと技術の伝授を断られ、やむなくひたすら自分の古い本をばらしてはその構造と技術を独学したらしい。元来器用でこだわりの人であったのだろう。数年で習得して客もつく。森有正もそのひとりであったが、だからといって豊かに暮らしたわけではない。
《たまに椎名さんの好きな本なぞが入りこむと、パリ中を歩きまわって色や模様の選択が異常にうるさくなり、約束の日までに出来上がるということは先ずなかった。 そんなにお客を困らせるぐらいなら、誰か傭ったらどうですか。とあるとき、私は山積みになったままの仮綴じの本を眺めて椎名さんに言った。何気なく言ったつもりだったが椎名さんはそのとき真剣になっておこった。きみは私に搾取しろというんですかい。手に職をもち、人の生活をさまたげず、自分の働いた分だけの報酬を手にすること。これは椎名さんの信条だったのだ》(『四百字のデッサン』)
椎名が亡くなる1年前の様子は、やはり野見山さんが『遠ざかる風景』に書いている。弱った体でもはや仕事などできるはずもないのに、友人知人を廻って金を借り、すでに売り払っていた製本道具をまた買おうとしたらしい。《戻すあてもない大金を、なんだって平気で借りてきたのか。当座の生活費を借りる方が、老人の意には反しても、まだ迷惑をかけないで済む。今から金を返しにいきましょう......》。野見山さんはそう言って、《そのための協力をこばんだ》。『パリに死す』の中で蜷川譲さんはこの一節にも触れて、その判断は好きなようにさせる愛と尊厳が欠けていたのではないかと書いた。これを読んで愛だとか尊厳だとかを考えた。相手が老人であることが、なにか特別なことになるのだろうか。会ったときに33歳年上であっただけの、乱暴ではあるが大切に思う友人への愛と尊厳に満ちたそのままの言葉に思える。
『文七元結』は、真面目に働いて娘を呼び戻すためにと女郎屋の女将が長兵衛に貸した50両が、通りすがりの男・文七の身投げを思いとどまらせてさらに縁を呼ぶ話だ。見ず知らずだろうが親子だろうが人の命より50両が安いことは確かだ、そこにどんな理屈があるか。長兵衛はこしらえる腕に自信があるから、50両くらいなんとかなると考えてもいただろう。江戸で職人は「つくる」でなくて「こしらえる」と言ったと鳳楽師匠がまくらで話した。『元犬』では白犬が言う。ヒトとなれば裸じゃいれねぇ。腰に1枚巻いてだな、働かなくちゃあいけねぇんだ。角館生まれで日仏を行き来した其二親方を主人公に、新作落語『巴里製本』なんて聞いてみたい。