今年はトラ年ということで、ジャワ舞踊(音楽)とトラの関係を無理やり探してみる...と、マチャン・ゴンベmacan ngombeという名称の、太鼓及び舞踊のスカラン(フレーズ)に思い至る。マチャンはジャワ語で「トラ」、ゴンベもジャワ語で「飲む」、ということで「酔っぱらいのトラ」という意味になる。日本でもトラというと酔っぱらいのことを言うけれど、トラと酔うことの間には何かイメージの連想が働くんだろうか...。
ところが、このマチャン・ゴンベという名称は一般的ではない。このスカランは、普通はウディ・ケンセルwedi kengserと呼ばれていて、有名な音楽家マルトパングラウィットが書いた太鼓奏法の本でも、また私が師事した何人かの舞踊の先生にも、そう呼ばれている。ウディ・ケンセルのウディはジャワ語で「砂」の意、「ケンセル」というのは踵を上げずに、床を滑るように移動するやり方で、砂が風や水などによって流されていく様から連想された語である。このパターンは、ガンビョンという舞踊の太鼓奏法で、一番最後に使われることになっている。ちょっと滑っては止まり、またちょっと滑っては止まり...という風に動く。(そう言われても、想像できないと思うけれど。)ガンビョンは、もともと太鼓奏者の繰り出すリズム・パターンに合わせて半ば即興的に踊る舞踊で、このパターンが来るともうおしまいという合図になり、最後にガンビョン共通の終わりのパターンに移行して終わる。
ガンビョンは元々は民間の、レデッと呼ばれる流しの女芸人が踊っていた(だから即興的なのだ)、品の良くない舞踊だったが、マンクヌガラン王家に取り入れられて洗練され、今のように、高校生も踊れるような、健全な舞踊になった。宮廷に取り入れられた際に、卑猥な振りは別のもので置き変えられたり、振付パターンが固定されて作品化され、舞踊に「人が生まれてから死ぬまでの各段階を象徴している」といった哲学的な意味が付与された。だから、最後に出てくるウディ・ケンセルは、人生の段階に喩えると、死を前にした老衰期に当たる、ということになる。
けれど、流しの女芸人の舞踊とくれば察しがつくように、ガンビョンに出てくる振付には、実はエロティックなニュアンスが満載である。ウディ・ケンセルではなくて、マチャン・ゴンベという名称を教えてくれたのは、元ラジオ局所属の有名な太鼓奏者(仮にW氏としておこう)だが、いまだに、W氏以外にこの名称を知っている人には出会っていない。W氏は、ガンビョンの各パターンは性行為の各段階を暗示している、と言う。ここまでは、ガンビョンに関する論文(ジャワ人が書いたもの)にも書いてある。W氏は続けて、マチャン・ゴンベというのは、最後にコトを終えてぐったり疲れた状態を表しているのだ、と言う...。ということは、ゴンベは酒に酔っ払ったという直接的な意味ではなくて、ぐったり疲れた状態ということなのか...。しかし論文にはそこまで書いてなかった。そもそもマチャン・ゴンベという名称でもないし。
マチャン・ゴンベという名称もあるんだろうかと、私は、当時太鼓のレッスンを受けていた芸大の若い先生に聞いてみた。この先生は、「自分は聞いたことがないけれど、語の雰囲気からして、レデッの人たちが使っていたのかもね」と反応した。なるほど、言われてみればそんな気もする。「W先生は大ベテランだし、在野での経験も広いから、そういう呼び方も知っているのかもしれない。」でもさすがに、この男性の若い先生に、「W先生は、このパターンには、コトを終えて...という意味があると言っておられたんですけど、聞いたことありますか?」とまでは聞けなかった。だが、聞いたらニヤニヤと反応してくれた可能性もある。
というわけで、ガンビョンという舞踊は、こんな風にダブル・イメージがある舞踊なのである。W先生が裏の意味を語ってくれた様子が今も思い出されるけれど、こんな猥談をしながら、昔の演奏家や踊り手は楽しんでいたのだろう。マチャン・ゴンベという動きのパターンは、コトが終わった後の疲労状態を表現するために作られたというよりも、動きが創られてから、それを見て周りの人達が妄想をふくらませていき、それにつれて、人によっては妄想を強調するように振りを変えていったのだろう。
新年早々の話としてはどうかという気もするけれど、トラにちなんだお話ということで御免こうむりたい。
蛇足だが、このマチャン・ゴンべの踊り方にはいくつか種類がある。太鼓の手の1フレーズは、A(滑って止まる)とB(ずっと止まる)という2種類を4つ組みあわせるのだが、私が師事した3人の舞踊の先生(所属がバラバラ)は皆違っていた。それぞれが、AABA、ABBA、AABBのパターンを主張する。最初の場合だと、滑って止まり、滑って止まり、止まったままで、また滑って止まる...が基本のパターンで、これを何フレーズか繰り返すことになる。どの先生も「要は太鼓に合わせりゃいいんだ!」と言い、それぞれの先生が口ずさむ太鼓のパターンは確かに動きと一致しているが、その太鼓のパターン自体が3種類ある。これ以外にも、例えばABABとかを主張する人だっているかもしれない。多分、Aパターンだけ、Bパターンだけというのはないだろうと思っているが。