ニセ札をつかまされたまま入ったエクアドルの首都キトは、中央アンデスの4000メートルから6000メートル級の山々に囲まれ、標高は2850メートルあります。
キトからバスで2時間のオタバロというインディヘナが多く住む町で、大規模な市が開かれているというので行ってみました。ここでアルパカのセーターを買おうとしたときにニセ札をつかまされたということがわかったのです。そのニセ札はだれでもすぐ見分けがつくほどの稚拙なつくりだったのですが、日ごろドル紙幣など使わない私には気がつくはずもありません。うーん、エクアドルに来てまでババ抜きをするはめになるとは思いませんでしたが、何度か試してだめだったら記念にもって帰ることにしました。
エクアドルを有名にしているのは北半球と南半球を分ける赤道がここにあり、エクアドルという国名は実はスペイン語で赤道のことなのです。キトから北に約22キロ離れたサン・アントニオ村に赤道を示す赤い線がひいてあるので行ってみました。ここは今では大きな公園になり、たくさんのレストランやおみやげ屋さんがあります。公園中央には大きな記念碑が建ちその前に赤い線がありました。多くの観光客がこの線をまたいで記念撮影をしています。
しかし、ガイドブックには書いてありませんが、この赤い線は本当は違うのです。実はここから250メートルほど離れたムセオ・ソァール・インティ・ニアンという小さな民俗博物館の中に本当の赤道は存在しているのです。何年か前に計り直したときにこの事実が判明したのですが、すでに大きな公園や記念碑を造ってしまった後なので、公にはされなかったようです。なのでこのことを知らない人も多いのですが、口コミで広がり知っている人は知っているということになってしまったのです。記念碑の守衛さんに「本当の赤道のあるムセオはどこ?」と聞くと「あなたも知ってるの」という顔ですぐ教えてくれました。いったん公園を出てぐるりと回りこんだ場所にその小さな博物館はありました。
ここには口コミで知ったたくさんの人が来ていました。そしてオープンスペースになっている博物館のなかほどに赤い線がひいてあり、その上でガイドがいろいろな実験をやってくれました。そのひとつは、台所の流しのタンクに水と木の葉をいれ、赤道の真上と北側、南側と3箇所で水の落ちる様子を観察するのですが、北側でやると木の葉は水とともに左回りで落ちていき、南側だと右回りで落ちていき、真上だとどちらにも回転しないでまっすぐ落ちていきました。
赤道とは地球の北極と南極の間の自転軸と垂直になる点を結んだ線のことで緯度0度、全周は約4万75キロメートルになります。赤道上は年間を通じて日射量が最も大きいため、付近では上昇気流が生まれこれが熱帯低気圧、すなわち台風やハリケーンになるということですが、ここまで顕著に木の葉が左右に回り、赤道の真上ではまったく回転しなかったのには正直びっくりしました。私はいま、ひょっとしてすごい場所に立っているのではないかという気がして少なからず興奮してしまいした。
次の日はキト生まれでメキシコの壁画運動にも参加していたというオスワルド・グアヤサミンのアトリエに行きました。フィデル・カストロ、パブロ・ネルーダ、メルセデス・ソーサなどの肖像画をはじめとして、インディヘナや労働者、キトの街並みなどいろいろなテーマで多くの作品が展示されていました。そんな中でも民衆の苦しみ、怒りなどを鋭く、力強いタッチで描いた作品が印象的で、特に「手」だけを描いた13枚の連作はそれだけで民衆のすべての生活、思いなどを物語っているようで心に残りました。彼の黒を基調とした鋭い線は非常に鋭角的で、一見冷徹とも見えるそのタッチはかえって対象物に対する冷静な観察眼を感じさせ、私にはとても興味深かったです。
次の朝、ホテルでの清算に例のババを使ってみました。20ドル紙幣3枚の真ん中に挟み込んだのです。ドキドキしながらなにげなく手渡しました。ヤッター、成功です。こうしてババはみんなに嫌われながらエクアドル中を旅してまわるのでしょうね。
このあと、キトのバスターミナルから4時間、高山列車に乗るためにリオバンバに行きました。ここは6310メートルあるチンボラソ山やカリワイラソ山(5020メートル)に囲まれた2750メートルの標高の場所で、エクアドルの中央にあり心臓部部分にあたる都市です。アンデス山脈を列車の屋根に乗って汽車で走れるというので人気が高く、私も乗ってみようと来たわけですが、8ヶ月前に日本の若者が屋根に乗っていて、トンネルで頭を下げずにそのまま激突し亡くなったそうで、それ以来屋根には乗れなくなっているということでした。しかし、よく考えると危険きまわりない話ですよね。いくら見晴らしがいいといっても犠牲者がでるまでそのままで走っていたことの方が不思議なくらいです。以前は地元の人も利用していたその鉄道も今では完全に観光客だけになり形も汽車というよりは、バスが線路の上を走っているような変な感じになっていました。
ちょうど次の日出るという汽車を予約し、その日は6310メートルのチンボラソ山の途中まで登れるというので行ってみることにしました。リオバンバからバスで約1時間、アレナルという場所で降ろしてもらい、そこからジープで第1避難所まで行きます。ここがちょうど4800メートル、そしてそのあと5000メートルの第2避難所まで徒歩で登るというものでした。リオバンバの街から見ていたチンボラソ山は頂上に雪をいただいたとても美しい山でしたが、実際来てみると緑の木など一本もない石ころだらけの乾いた山でした。ジープで送ってくれた運転手はくれぐれもゆっくり登るようにと注意をして帰っていきました。4800メートル、富士山より1000メートルも高いところにいるのだと思うとちょっと感動しましたが、そこからが大変でした。運転手に言われるまでもなく、ゆっくりでないと、歩けたものではありませんし、一歩づつ深呼吸をしながらでないと前には進めません。おまけに細かいじゃりが多くて油断するとすぐ滑ります。注意深くひとあし、ひとあし、大地を踏みしめるようにして歩きました。そしてとうとう着きました、5000メートル地点です。わずか200メートルの登山でしたが、地上5000メートルの空気の薄さだけはしっかり体験できました。
山の頂上は雲がかかり、はっきりとは見えませんでしたが、雪の白さだけは目に焼きつきました。それにしても5000メートルのところにいても息苦しくもないし、頭も痛くならないのは、きっと2200メートルという高さのメキシコで暮らしているからでしょうね。今では高山病とはまったく無縁の身体になりました。
次の日の朝、8時のバスでアラウシに行き、そこから高山列車に乗り込みました。何回かのスイッチバックを繰り返しながらその汽車?バス?は山肌を縫うように走るのですが、他の観光客は谷底を見ながらそのスリルを楽しんでいるようでしたが、コロンビアで本当に恐ろしい山道を5時間あまりもバスで移動した私にとって、レールの上を走るバスは安全そのものでちっともスリルなど感じませんでした。そのためこの「悪魔の鼻」という恐ろしげな名前のついた場所を見に行くという高山列車の旅は、私にとっては真新しい感動とはなりませんでした。
12時半に汽車はアラウシにもどり、そのまま1時のバスでガラパゴス諸島への基点となるグアヤキルに行きました。約3000メートルある高度差をバスは下っていきます。途中のプルミラという村のあたりは、山が段々畑ではなくパッチワークのようになっています。見ている段にはきれいですが、ここで働く人たちにとって斜面での労働は本当にきついだろうと思いました。
バスは夕方5時半にグアヤキルに着いたため、その日はガラパゴスへのツアーも探せなかったので、セビッチェ(魚介類のレモン和え)を食べてホテルでゆっくりしました。ここはマングローブガニをはじめとして、魚介類がとても豊富で安く食べられるのです。
次の日、旅行会社でツアーを探しましたが、ほとんどいっぱいで空きがなく、あきらめかけたのですが、なんとかいろいろ探してくれて4泊5日、1373ドルのツアーが見つかりました。それにしても高い。さらに島に入るために10ドル、国立公園の入園料として100ドルかかります。しかし、大型船だとこれより100ドルは高く、おまけに4ヶ月前からいっぱいだということで、より安い小型船が見つかっただけましと考えて泣く泣く申し込みました。
ガラパゴス諸島はチャールズ・ダーウィンの生物進化論の展開のきっかけとなった島としてあまりに有名ですが、大小133の島があり4島に人が住んでいるだけであとはすべて無人島、「動植物の楽園」と呼ばれています。ここにしかいない動植物が多く生息し、間近でそれらが見られるということで、世界中からの観光客がひきもきらないのです。毎日450人が入島するそうで、一番多いのが米国人で年間5万人、次にドイツ、イギリスと続くそうです。私もその中のひとりなのですが、こんなにわんさか押しかけて本当に自然は守られているのだろうかと少し心配になってきました。
こんなことを考えながら旅行会社を出たあと、セミナリオ公園に行きました。ここは別名イグアナ公園といわれ、多くの陸イグアナが放し飼いにされています。いますいます、たくさんのイグアナがのそりのそりと歩いています。そして、木々の上にもイグアナがいっぱい、じーと前を見ています。大人もイグアナも極自然にくつろいでいるようでしたが、子供はやんちゃです。イグアナの尻尾をもってぶらさげ、ふりまわそうとしています。やっぱり子供って残酷ですね。
次の日の朝8時グアヤキルの空港からガラパゴスのバルトラ島の空港へ、ここからバスとフェリーを乗り継いでプエルト・アヨラ港に行きクルーズ船に乗り込みました。同じ船のメンバーはガイドのルイスとクルーが7人、客はカナダ人2人、ドイツ人1人、米国人の若者3人と一組のカップル、スイス人のカップルと私の合計11人。簡単なレクチャーや自己紹介のあとノース・セイモア島に行きました。
ガイドのルイスに先導され島に上陸するとアシカ、陸イグアナ、海イグアナ、グンカンドリ、アオアシカツオドリなどがいっぱいいます。2匹のアシカの子供が砂にまみれ、たわむれている姿は本当に愛らしいです。アシカは特に人なつっこく人間に近づいてきます。グンカンドリは求愛するとき口の下にある赤いフクロを大きくふくらませます。真っ青な足をしたアオアシカツオドリは孕んでいるときは足の色が白っぽく変化します。海イグアナはみんな海の方をじっと見て動きません。しかし、これは彼らの体温が低いため、海ではなく太陽の方を見ているのだそうです、などなど興味深いルイスの説明を聞きながら島中を歩きました。もちろん触れてはいけませんが、すぐ手の届くところに珍しい動植物の数々。それもまったく人間を怖がらずに暮らしています。何回かのシュノーケリングでは大きなゾウガメやアシカと一緒に泳ぎました。小さなペンギンが一生懸命泳いでいるのも目にしました。そして潮を吹く大きな鯨にも遭遇しました。
ソンブレロ島ではお産をしたばかりのアシカの親子がいました。お母さんのおなかのあたりには血がべっとり。すぐ横には生まれたての赤ちゃんが懸命におっぱいを探しています。そして少し離れたところに一匹の赤ちゃんアシカがポツンといました。お母さんはいったいどこにいるのだろうと心配になり、あたりを見ましたがそれらしいアシカはいなくて、いまだに気にかかっています。
ラビダ島ではひからびた鳥の死骸が落ちていました。そしてたぶんアシカでしょう白骨がたくさんころがっていました。以前のように人間による乱獲はなくなりガラパゴスの動植物は保護の対象で、1964年に開設されたダーウィン研究所により調査や絶滅に瀕した動物の繁殖などがおこなわれていますが、自然の摂理のなかでの生存の厳しさは変わらないし、また人間が変えることはできないでしょう。そういう意味でガラパゴスはあくまでも自然体で存在しているのだと感じました。