言の葉のはなし

さて、本屋を歩いていて、最近面白い本を見つけた。「カタログ・チラシ キャッチコピー大百科」(ピエブックス)という本なのだが、キャッチコピーが延々と集められている本。たしか、以前にも広告批評かなんかの別冊か何かで同じような趣向の本を見た気もするが、これもなかなか面白い。面白いと思えば買ってしまうので、我が家にはおかしな本が興味のままに集まってしまう。この本もさっそくコレクションに加わってもらった。わたしって、なにものなんでしょうね?

ぱらぱらとキャッチコピーを見ながら思うのは、昨今話題の著作権で考えると非常にややこしい本であること。例えば、「少女よ、大志を抱け」というキャッチコピー(単純に裏表紙に書いてあって目に付いただけなのだが)は、これだけで著作物と言えるのでしょうか? まあ、この文だけでも、札幌農学校のクラーク博士の「少年よ、大志を抱け」のパクリだというのははっきり分かる文であり、なんとなく、そこらじゅうで同じことを言う人間はたくさん居たようにも思うが、どうなんでしょうね。

要は著作物というのはわかっているようでいて、わかっていない難しいものということだろう。実は同じ様に悩んでいる著作物がもうひとつある。

没年から、来年、著作権保護期限切れになる著者を追っていて、ふと、今年は60年安保から50年も経っていることに気付いた。その騒乱の中で亡くなったある著者の本が当時のベストセラーになっている。私などはまだ生まれてもいない時代で、70年安保の最中、虎の門病院の小児病棟の病室から眼下を行進するデモ隊を見ながら、これからどうなるのだろうと不安になった記憶がある世代だから、イデオロギーも何も関係ないのだが、本を読みながら、若者らしい純粋な価値観や正義感があふれていて、時代の息吹を知る上で、面白いテキストだとは感じた。ただし、寄せ書きのような形態をとっているその本は、どうみても、複雑な著作権処理が必要そうで全体を通して電子テキストにすることは憚られるのだ。

で、結局、思ったのは、なんともこの世は著作権で考えるのはややこしいということだった。昨今、電子書籍が注目されているらしい。しかし、そもそも、あまりきちんとした契約書を結ぶことが少ない日本の出版慣習の中で紙の本から問題なく電子の本が作れるケースは少ないだろう。

なぜ、フェアユースなのか?なぜ、著作権保護は長すぎると困るのか?それはややこしい本が現れた時によくわかる難問題なのだ。ちなみに、うちの過去の共同著作物の分担執筆者2名の現住所がまだわかりません。現実の世界は、著者存命中からややこしいのです。