い、石―― 翠の水晶66

「氷晶石を水にいれると、見えなくなります」と、ものの本に、
書かれているので、私はおまえを水浴びへ連れて行く。 石は、
もうじき、わたしの視界から、見えなくなるのだ。 石よ、
ユング自伝には、「わたしが石の上にすわっているのか、
それとも、わたしはかれがすわっている石なのか」とある。

大盤石あり、その石に小さな穴がある。 成弁(=明恵)が、そのなかにはいり、
思うに、「出ようとしても出られない」。 義林房と、縁智房とが、この石の、
うえを通り過ぎる。 「おい、義林房よ、どうしたらこの石を出られるのか」と、わたし。
義林房は誦文(じゅもん)をおしえて、成弁に唱えさせる。 連歌みたいな誦文だ。
  いざなきの......

これを唱えていると、大きな氷晶石が日に溶け出して、
誦するにしたがい、すこしづつ消えて行く。 消えおわり、頭と顔とが、
ようやく出てくる。 出おわるとまた石が消えて腰のあたりに到る。
まだすこしのこる石を、なんとかして脱ぎ捨てると、
あとにのこるは私の抜け殻なのか、それともわたしなのか。


(明恵『夢記』と、河合隼雄『ユング心理学と仏教』岩波現代文庫2010(原本1995)とより。河合のエピローグには世界で著名になった「1000の風」が引用されている〈私の墓石の前に立って......〉。氷晶石〈cryolite〉はグリーンランド産が知られており、Na3AlF6というハロゲン化鉱物。私を探さないでください。)