頭のなかに、ちっちゃい人を作ると、ときどき役に立ちます。
そのちっちゃい人は、基本的に誰かの真似をします。誰でもいいのですが、たとえばあなたがプレゼントを渡したい人なんかがいた場合、その人の真似をしたちっちゃい人に、いろいろなものを試みにあげてみましょう。
すると喜んだり悲しんだり怒ったりするのですが、そのなかでいちばん嬉しがったものを、実際のその人にプレゼントしてみると、「えっ、どうしてわたしの欲しいものがわかったんですか?」などと言ったりします。
ちっちゃな人は、巻き戻しもできます。その人の何かの行動や発言がわからないとき、それをくるくると戻してみると、その人が物を考えた瞬間にたどり着きます。すると最初にあった意味のことがわかるようになります。
隠していることもわかります。あることがあって、それをごまかそうとしてしゃべったり動いたりしても、そのちっちゃい人を巻き戻せばやっぱり、ごまかそうとしたことそのものがつかめます。ただし、それを口に出したりすると、相手が隠そうとしていたことなので、自分の思い通りに行かなかったと怒ったり感情的になったりするでしょう。
それは、最初にあったものが悪いことでも、いいことでも、たいして変わりはありません。自分のなかをのぞかれたみたいな気分になっちゃいますからね。のぞいたのは、こっちのなかにいるちっちゃい人なのですが。
相手がしゃべっているときに、その真似をしたちっちゃい人が、先に言葉の最後まで言ってしまうことがあります。早いときは全体の4分の1しか進んでないのに、ちっちゃな人が先んじてしまいます。そのときは向こうがしゃべり終わるまでとっても暇で、ぼーっと待っていてもいいのですが、頑張ってそのあいだにいい返事を考えるか、もしくはその時間に別のことを考えて有効に活用してみてもいいでしょう。
けれども、ちっちゃい人がいると、相手に質問するのが手間だと思うようになります。実際に聞かなくても、ちっちゃな人に聞けば答えは返ってくるので、それで済んでしまうのです。わかるわからないというレベルのことならいいのですが、とりあえず何らかのやりとりをすることがコミュニケーションとして大事な場合は、我慢してわかっていてもやりましょう。
まあでも、相手の言ったことが自分以外のみんなにわからないときは、あえて本人に聞き直すよりも、ちっちゃい人からわかったことをみんなに伝えてもいいかもしれません。それも円滑な人付き合いのひとつかもしれませんし。それに、相手もあなただけには伝わった、と思ってくれますからね。
また、ちっちゃい人は未来を予測することがあります。限りなく起こりうることをちっちゃな人に投げて、とんでもないことが始まってしまった場合は、それがなるべく始まらないように取りはからわなければいけません。わかってしまったことを見逃すことはできませんからね。ちっちゃい人は、あなたを面倒ごとに引きずり込むこともあるのです。
ちっちゃい人を、いじめてはいけません。元はどうあれ、ちっちゃい人はあなたの頭のなかにいるので、あなたそのものでもあります。いじめると、自分が傷つきます。そもそもちっちゃな人に嫌いな人の真似をさせることは、嫌いな人とずっと付き合うことと同じなので、嫌な人の真似をさせた上でいじめるなんていうことは、実にやっかいです。
では、ちっちゃい人と遊ぶことは? 実際に遊びたいけど遊べない人の真似をさせた上で、そういうことをすると楽しいかもしれません。けれども、そのことは自分の頭のなかだけで、ひっそりとしておくのもマナーかもしれません。遊ぶ内容や性質によっては、なおのことそうでしょう。それに、楽しいことに引きずられて、ちっちゃい人は真似をすることをやめてしまうかもしれません。誰かと遊んでいるようで、本当は自分と遊んでいるだけだったりして。
ちっちゃな人に頼りすぎると、ちっちゃい人の真似がうまくなりすぎると、本当の人がつまらなくなることがあります。主に気持ちのレベルで。もちろん身体は別物なのでそのあたりはちっちゃい人が本当の人に勝てないところではあるのですが、気持ちが大事だという人には、きっとつらいことでしょう。相手の人がつねに変わり続けたり、成長し続けたり、謎の多すぎる人だったりすると、そういうことはないのですが。
ときどき。
自分のちっちゃい人と、相手のちっちゃな人がつながってしまうこともあります。それはそれで、たいへん不思議で、わりと面白いことなのかもしれません。知らないうちに勝手にちっちゃい人が生まれて、ひとりでにもうひとりのちっちゃな人とくっついてしまっていることもあるそうです。
でもでも、ちっちゃい人が優秀すぎると、なかなかそういうことも起こりにくくなるみたいですけどね。何ともむずかしい話ではあるようですよ。