ヨルダンに、イラクから治療に来ているガンの男の子、ムハンマッド君がいる。1歳半のときにガンになったのだが、イラクでは助かる見込みはまずないからというので、借金をしてヨルダンまでやってきたのだった。僕たちもいろいろと面倒を見てあげた。4年間の闘病生活を終えて、いよいよイラクに帰ろうというのだが、これまたお金がない。日本でカンパを集めて、なんとか彼らが出発する前にお金を届けてあげた。
2007年の終わりには、ヨルダンのアパートは家賃が高くて大変だというので、内職をやってもらうことにした。プレゼントに使う布製の袋を作ってもらおうというわけ。西村陽子さんが、指導にあたった。「針仕事なので、小さいムハンマドが触ったりして怪我しないか心配だった」と言っていたが、お母さんを始め、家族で作業を行ってきた。お父さんは、イラクでは学校の校長先生をしていたというが、ヨルダンでは仕事がなく、毎日ブラブラしている。それですっかり針仕事が気に入ったようで、刺繍した布切れを自慢げに見せてくれたりしたものだ。
ムハンマド君の最終的な検査も異常なく、ガンを克服。帰国の準備が始まったところで、事故がおきた。お父さんがほったらかしにしておいた針を、お母さんが踏んでしまったのだ。先っぽの7mmくらいが折れて足に刺さったままになっている。手術をして取り出そうとしたが、うまくいかない。お父さんは、喜んで携帯電話で動画を撮影していたが、あまりのえぐさに卒倒してしまう有様。二回の手術も結局、先っぽが見つからず、そのまま帰国することになった。
帰国の前日、西村さんが呼ばれていってみると、お母さんがうれしそうに、靴を見せてくれた。なんと7.5センチのヒールだ。「転んだらどうするの、運動靴で帰ったら」と西村さんが諭すと、「あなたは、こういう靴を履いたことがないの?」と逆に白い目で見られたという。確かに、西村さんがこういう靴をはいておしゃれしているのを見たことがない。問題は、怪我した方の足が腫れ上がって靴が入らないのをどうするかだ。西村さんは、靴を足で踏んだ状態で、ゴムで縛り、古靴下をかぶせることに。
不思議なことに、イラク人は、旅に出るときは、精一杯のおしゃれをするのだ。そんなこんなで夜が更けていき、結局鞄に荷物を詰め終わったのが朝の5時だという。お母さんはダウンしてソファで寝てしまい、子どもたちは、日の出を見て、「太陽が出てきたよ」とこれから旅に出るので興奮して大騒ぎ。7時になっても、お母さんはなかなか起きてこない。
なんやかんやいっても別れのシーンは感動的で、やはり涙もこぼれるものだ。朝の8時に、車が迎えに来ることになっていたので、僕も感動的なシーンを一目見ようと待機していたが、そんな時に限って、日本からの電話。あわてて、外に出ると、既に車が去っていった。
西村さんに様子をたずねると、「センチになっているような余裕はなかったですね。お母さんは、最後に日本語で「さよなら」といってましたけど。子ども達も泣いてませんでした。」
他のイラク人の家族も見送りに来ていたが、彼らがおいっていった品物を誰がもらうかでもめていた。