時差と時間

3月にクアラルンプールに行ったときの話を再び。

マレーシアの時間は日本より1時間遅れに設定されている。けれど、マレーシアとほぼ同じ経度帯に分布しているインドネシアのジャワ島やスマトラ島は、日本との時差が2時間遅れのゾーンになっている。だから、ジャワ島では、1年を通して午前6時頃に日の出、午後6時頃に日没なのに、クアラルンプールでは午前7時過ぎでもまだ暗くて、午後7時半でもまだ明るい、ということになってしまう。

こんな風に時差を決めたのには、政治的な配慮もあるみたいなのだが、ここでは、まあ真相はどうでも良い。それより、時差の設定がずれると、感覚がちょっと狂うものだとあらためて感じる。驚いたのが、国立劇場の開演が午後9時だったこと。マレーシアではこれが普通らしい。インドネシアでは、夜の公演は午後8時に開演する。

聞いてみると、マレーシアでは午後9時開演にしないと、イスラムの人たちが日没後のお祈りと食事を済ませて家を出てこれないから、ということだった。イスラムでは、日の出や日没の時間を基準に、お祈りの時間帯が決められている。確かに、午後7時過ぎまで外が明るければ、お祈りの時間は7時半頃になる。インドネシアではちょうど6時半頃に皆お祈りするから、夜8時に開演できるのだ。

こう書くとマレーシアの人達は宵っ張りに見えるけれど、日の出が遅い分、やっぱり朝も遅い。私が出席した会議は朝10時から始まり、午後1時から昼食だった。本来の時差、つまりインドネシアと同じ時間に直すと、朝9時から会議開始、午後12時から昼食をとっていることになる。でも、インドネシアでは、会議は朝8時から始まるものだった。これだけ見ると、インドネシア人は勤勉に見える。

金曜日にマレーシアの国立芸術大学を訪問したとき、金曜は昼11時半過ぎからイスラムの一斉礼拝があるから、早く行かねばと思って焦ったのだが、それはインドネシアの話。マレーシアでは、この礼拝は午後1時頃からしか始まらないのだった。

けれど、これは「何時から礼拝が始まる」と考えるから、ややこしくなるのだ。日の出/日没後、何時間以内にお祈り、と考えれば、インドネシアの人もマレーシアの人も、それにアラブの人たちも、1日を同じようなお祈りのリズムで刻んで生活していることになる。

それだったら、マレーシアでの挨拶はどうなるのだろう。インドネシアではだいたい朝9時頃になると「こんにちはselamat siang」という挨拶になり、午後2時過ぎになると、もう「こんにちはselamat sore(soreは夕方の意味)」となり、午後6時で日没頃になると「こんばんはselamat malam」となる。マレーシアでは午前10:00頃から「こんにちは」なのだろうけれど、会議が10時始まりという国ならまだ「おはよう」かな、午後6時頃ならまだ「こんにちは(sore)」かな、と想像してみたりする。

時差の設定がずれると、なんだか生活時間帯がえらくずれているような気になってしまう。朝早くから会議するインドネシア人が勤勉な田舎者に見える一方で、夜遅くまで演劇を見ているマレーシア人が宵っ張りの都会人みたいに見えてくる。両国の仲が悪いのは、案外、こんなところにも理由があるかもしれない。