Uさんに20年間続けた番組の資料を借りた。雑誌のいくつかが猫のひっかき傷でやられている。Uさんの匂いのするものをこうする癖のある猫だったらしい。文藝春秋のある号は裏表紙から数ページが等高線を描くように破られている。なにかで濡れたのだろうか。臭いはない。間にティッシュペーパー、というか、ちり紙が数枚はさんである。水分を吸わせたのか。もうこれは捨てていいかな、でも念のためと中を開くと押し花。ワレモコウ? これがなにか「事件」の証拠品ならばテレビ的にはじゃじゃじゃじゃーんだが、Uさんに聞くと「押し花の趣味なんてないない。なんだろうね」。
ジェラルディン・ブルックスの『古書の来歴』(武田ランダムハウスジャパン)は、サラエボで見つかった貴重な古書を修復するために、留め金の跡、羊皮紙の間にはさまれていた蝶の羽根の破片やワインの染み、塩、毛などから当初の装幀を探るもので、その過程がおのずとボスニアの歴史をたどることになる。ワインの染みがついたのは1609年、わずかの血が混じっていたこと、塩の結晶は1492年、スペインの浜辺で波をかぶってできたこと......。一流の古書鑑定家は全てを鑑み、すなわち〈汚れも含めて、あらゆる点でほんものそっくりの複製本〉を作ることが可能になる。そして2002年、オーストラリア人である古書鑑定家はモートン湾のイチジクの種を落す、ほんものの証しに。
川村二郎さんの『孤高 国語学者大野晋の生涯』(東京書籍)に、大野さんが父親について語る言葉がある。〈おやじが昔の大学にあったような書写だけをする「写学生」の仕事にめぐり合っていたら、きっと幸せな一生を送れたと思うな〉。砂糖問屋を継いだ父親だったが商売はうまくいかず南画や書にひたるばかりで、子供の目には疎ましく手を上げたこともあったらしい。昭和25年、研究のために『仮名遺書』を模写しなければならないと父親に話すと「私がやりましょうか」。和紙を朝顔やザクロの花の汁で染めて原本に似た紙をつくることから始めたという。〈父親にそんなことができるとは考えたこともなかったから、目を疑った。見事なできばえに言葉がなかった。それからは模写は全部父親に頼んだ〉。雑誌であれ稀覯書であれ、ホンモノであれ複製であれ、紙の束である本一冊ずつが持つ寿命を思う。