5月、NYに行くことになった。核非拡散条約の見直し検討会議NPTが開催される。昨年オバマ大統領が、「アメリカは、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として行動する道義的責任がる」とし、「核兵器の無い世界の平和と安全保障を追及するという米国の約束を表明する」と宣言した。
アメリカの大統領がいうのだから、核兵器が本当になくなるかもしれないし、5年に一度のNPTの会議でも、核兵器廃絶に拍車がかかるのではないかと期待する。日本からも多くの被爆者の方々が、高齢化したこともあり「これで最後だ」とNYで核廃絶を訴えるために渡米したのだ。私も、歴史的な瞬間に立ち会いたいとNYへ出かけることにした。
直行便は席が無く、ミネアポリスで乗り継ぐことになったが、出鼻をくじかれた。僕のパスポートには、シリア、イラク、ヨルダンなどのアラブ諸国のスタンプがたくさん押してある。「なんですか、これは。こちらへきてください」僕は、別室に連れていかれ、4時間くらい尋問され(というよりは、待ち時間がほとんどだったが)なんとか無事に入国はさせてもらったものの、乗り継ぎ便を逃してしまった。同盟国のはずなのに、ひどい扱いである。
それでもNYにたどり着くと、NGOの主催のワークショップなどに参加したのだが、国連の事務総長の講演も聞きにいった。場所が良くわからず、案内の人に片っ端から聞いてまわっていると、なぜか一番前の席に案内してくれた。隣には、広島からやってきた森瀧春子さん。彼女は、核兵器廃絶とともに劣化ウランの廃絶運動も積極的にされている。
「バンギムンさんに要請書をわたさなければ」という。
「アポとっているんですか」
「いや、忙しくて、時間が無かったのです。」
そりゃ無理でしょう。何とかしてあげたいのだが、僕は、事務総長には会ったことも無いのである。
実際、SPらしき人が何人か、客席の前に陣取って監視している。立ち上がって写真を撮ろうとしただけで、注意されるのだ。これでは、近づくのも難しい。現在の事務総長は、なんとなく存在感が無いような印象を持っていたが、スピーチそのものは素晴らしかった。要請書をわたすのなら、降壇する瞬間が狙い目。SPの目をごまかすのには、僕がSPになればいいのだ。
「森瀧さん。今ですよ」僕は、彼女に耳打ちすると、たちあがって、彼女をエスコートした。「さあ、こちらです」
その瞬間、道が開けた。SPは、森瀧さんのことをSPにエスコートされた要人だと思ったのだろう。100メートルの直線をだれもさえぎらず、降壇する事務総長に真っ直ぐとつながったのだ。森瀧さんが事務総長に書類を渡し終えたころ、要人たちが握手を求めて殺到した。作戦は見事成功!
5月2日には、核廃絶を求める大規模なデモがあり、日本人もたくさん詰め掛けて、盛り上げた。それに参加したけど、翌日の新聞には、なにも出ていない。さびしい限りである。
先日、NPTの再検討会議は、最終合意文書を発表した。「中東地域の非核化に関する決議」の実施に関して、国際会議を2012年に開くことを盛り込み、イスラエルによびかけた。案の定イスラエルは、参加しないといっている。核兵器の廃絶、まだまだ道は遠い。