今年もジャワ舞踊の公演を、だんじり祭りで有名な岸和田の岸城(きしき)神社で行った。今年の中秋の名月は9月22日だが、満月は23日ということで、23日の公演となる。今回も私の独断と偏見に満ちた感想をメモしておきたい。
第2回ジャワ舞踊&影絵奉納公演「観月の夕べ」
日時■ 2010年9月23日(木・祝)
場所■ 大阪府岸和田市 岸城神社(雨天の場合は社殿)
内容■
ワヤン(影絵):ハナジョス、西田有里
ジャワ舞踊ジョグジャカルタ様式:佐久間ウィヤンタリ、佐久間新、ジャワ舞踊リンタン・シシッ
ジャワ舞踊スラカルタ様式:冨岡三智
主催■ 岸城神社、ジャワ舞踊の会
共催■ 特定非営利活動法人 ラヂオきしわだ
後援■ 在大阪インドネシア共和国総領事館、岸和田市教育委員会、岸和田文化事業協会
昨年は落語の物語の中でジャワ舞踊が展開するという構成にして、新しい物語を作ってもらったのだが、今年はハナジョスが新しく構成した影絵「スマントリとスコスロノ」に、舞踊を挟み込むという構成にしてみた。当初は影絵は影絵、舞踊は舞踊で別に上演しようと考えていたのだが、ハナジョスの提案でそういうことになる。もっともこの物語に合うような既存のジャワ伝統舞踊はないので、場面の雰囲気に合いそうな舞踊を当てはめることにする。舞踊は佐久間さん夫妻と2人の舞踊教室の方々、それに私。
公演は神社の境内ですることになっていた。社殿への階段の上がり口に影絵のスクリーンを立てて、社殿の奥に向かって影絵を上演し、舞踊は社殿前の庭、影絵スクリーンの前で上演し、観客には舞踊の場を取り囲んで半円形に座ってもらおうと思っていた。しかし、9月23日といえば、前日までの猛暑日が嘘のように大雨となった日で、大阪南部には竜巻注意報まで出ていた。結局、断念して社殿内で上演する。
社殿内では野外のように配置するのは不可能なので、踊り手は拝殿の檀上で踊り、影絵はその下、石畳の上に設置した。この際に、ダラン(人形遣い兼語り)や伴奏する音楽家が観客側にくるようにセッティングしたのだが、「影絵と言うのに、なんで影の側から見ないの?という声があった。言われてみればそうなのだが、ジャワで長く生活した者には、これはちょっとした盲点である。ジャワでは影絵は本来、祖先の霊に対して上演するもので、祖先霊たちは影の方から、人間は人形の側から見る。ジャワではそれが当たり前なので、影絵を上演するときに、スクリーンを壁にくっつけてしまって、はなから影など出来ない、ということも少なくない。
今回は影の裏あたりに少し空間が空いてたので、ゴロゴロという、物語が脱線して途中休憩のようになる場面で、一部の観客がこちら側に座りに来ていた。私も「裏から見るときれいですよ」と言われて裏に見に行って、確かにきれい...と感心した。影絵人形の精巧な透かし彫りが、影絵の側からだととてもきれいに見える。実のところ、私自身もジャワで影の側から見ることはほとんどなかったのだが、やっぱり影の側を見せてもきれいだなあ、静謐な感じがするなあと改めて教えられた。けれど、これは日本で、しかも神社の中で見たからそう思っただけなのかもしれない。そういえば、今日は満月というだけではなく、お彼岸の日だし...。人形遣いや演奏者がいる側にいると、ジャワでは演者同士の下世話な掛け合いがいやでも目に入ってくるので、こんなしみじみとした感じにはなりにくいなあ。
その影絵の上演は、ダラン(人形遣い兼語り)のローフィットさんと、彼とユニットを組む佐々木さん、プラス西田さんという、なんともミニマルな編成である。本当にそれで手が足りるのか?と思ったが、みな八面六臂の活躍で複数の楽器を担当していて、意外に人数の少なさを感じさせなかった。ジャワ留学していた頃は、ガムラン音楽や舞踊はともかく、ワヤンだけは日本でできまいと思っていたが、こんなやり方もあったのだなあと感心する。
ジャワではワヤンは一晩上演するが、今回はワヤン部分だけで1時間、舞踊をはめ込んで2時間半の上演である。ゴロゴロではローフィットさんは日本語を交えたものの、あとはずっとジャワ語の語りである。しかも、このスマントリとスコスロノは軽いノリのお話ではないので、正直どこまで楽しんでもらえたのか不安だったのだが、それなりにジャワの雰囲気は味わってもらえたようである。
さて、佐久間さん夫妻の舞踊は「ブクサン・スリカンディ・ビスモ」。女性の舞踊スリカンディが、敵方の高潔の士、ビスモを倒すマハーバーラタの一シーンを描いている。このシーンはワヤンオラン舞踊劇では人気がある演目なのだが、スラカルタではウィレン(2人による闘いの舞踊)形式にアレンジされたものがない気がする。師匠からも、そういう演目があったと聞いたことがない。ビスモなしの、スリカンディの単独舞踊として振付けられた作品(ルトノ・パムディヨ)はあるのだけれど...。私が今まで見たワヤン・オランではビスモというと小太りのおじさんが演じていることが多かったので、細身のビスモというのがなんだか新鮮だ。やっぱり細い人の方が高潔の士に見えるなあ。
で、私は自分の作った作品「妙寂アスモロドノ・エリンエリン」を生演奏で上演した。これはスコスロノが亡くなるシーンに当てたのだが、もともとこれは亡くなった人を忍ぶ曲として留学中に作ったもの。マルトパングラウィットというジャワを代表する作曲家の曲なのだが、この曲を聞いたとたん、この舞踊のテーマが思い浮かんだのだった。後から聞けば、マルトパングラウィットもまた、誰か亡くなった人のためにその曲を作ったらしい。私は全然そのことを知らなかったのだが、ジャワで上演したときに、何人もの人がそう教えてくれた。そういう曲趣だし、またこれは他の舞踊曲と違って、もともとフル編成ではなくガドン(室内楽的小編成)の曲を想定して振付けたので、3人ガムランでも演奏できて効果もあるだろうと思って、生演奏にする。私が踊っているときに、ナンマイダブ・ナンマイダブ...とお祈りしていたおばあさんがいたよと言ってくれた人がいたが、本当だろうか...。
というわけで、今年の観月の夕べも無事終わり、ほっとしている。この公演を境に一気に秋になりましたね...。