製本かい摘み ましては(64)

革で装丁された本が、過ぎし良き時代のもの、あるいはそれに憧憬をあらわすに限らないことを知ったのは、鳥居昌三さんが私家版で刊行した2冊の革装本、北園克衛詩集『重い仮説』(1986)とジョン・ソルト詩集『Underwater Baclony』(1988)を見たときだった。銀座にあった山口謙二郎さんのTBデザイン研究所で、1990年代のはじめのころだと思う。謙二郎さんは函を数回ふって大理石の丸テーブルの上に本を出し、「ほら」と手渡してくださった。どちらもカーフ革による総革装で、表紙に色を抑えたシンプルなモザイクがなされている。つややかでわずかの弾力を感じさせるカーフ革を緊張で汗ばむ指で触れるのは気がひけたので、いったんテーブルに置いて指先をシャツでぬぐい改めて手にすると、あまりの軽さに驚いた。本文は和紙、なにしろ束が薄くて、どちらも10mmに満たなかっただろう。質感や装飾、実際の重さもさることながら、この本に連なる人の軽やかさが感じられて、革装は重厚貴重絢爛高価との思い込みはことごとく覆され、いわば"革装"のモダニズムにさらされた幸せな瞬間だったと思っている。

この2冊は季刊「銀花」98号(文化出版局 1994夏)で、鳥居さんを紹介したページに写真が掲載されている。「日本ひとめぐり 本工房の主人たち」という特集で、美術史家の気谷誠さんが書いている。鳥居さんは海人舎という屋号で私家版を出しており、革装本は7冊、ご自身の詩集『化石の海』(1985)を皮切りに2番目3番目が前述の2冊であった。いずれも和紙に刷ってソフトカバーで100部ほどを刊行し、そのうちの数部を装幀家の大家利夫さん(指月社)に依頼して仕立てている。鳥居さんが北園克衛の「VOU」の同人でもあったことから、気谷さんは北園の詩集への情熱を鳥居さんが引き継いでいるとし、北園が編集を担当した「書窓」(昭和14年 特集:現代書物文化)にも触れている。北園は、C.ジャナンやJ.クレッテによる装幀論を自ら訳してフランスの造本芸術を紹介し、黄、黄緑、グレー、黒などのモロッコ革を直線的なデザインでモザイクしてタイトルの『DOPHNE』の文字を電光掲示板のように配したピエール・ルグランの革装本を写真で掲載した。気谷さんは《おそらく彼にとって、造本芸術の中心地であったフランスの豪華な装幀は、理想の装幀を夢想するときの核であり、また同時に、触れようにも触れ得ない、彼方の美であったに違いない》と結んでいる。果たして北園はどう感じていたのか、残されたエッセイなどに私はまだそのヒントを見つけていないが、自身の手による実験の範疇におさまらない"革装"は、少なくとも当時の北園が向く先にはなかったように思う。おもしろいのは「書窓」のこの号に北園が寄せたエッセイだ。「未来の書物」と題して、写真とマイクロフィルムについて書いている。前者はのちの「プラスティック・ポエム」につながる。

さて『重い仮説』は、北園亡きあと、それまで全集には収録されていない作品の中から鳥居さんが選んだ4点をおさめ、大家さんが30部仕上げている。表紙のモザイクは北園のイラストで、そのイラストを表紙にした紀伊国屋書店のPR誌「机」(8巻1号 1957.1.1)が、世田谷美術館の「異色の芸術家兄弟 橋本平八と北園克衛展」(2010.10.23-12.12)に展示されている。兄弟の出身地である三重の県立美術館から巡回しており、北園が手がけた装幀やデザインも一覧できる。図録もすばらしい。デザインワークをまとめた章扉に置かれた言葉も、これまたすばらしい。《私の「理想の装幀」というものは、必ずしも、私個人の独創的なデザインの上のアイデアを反映しているという意味ではない。......それはどういうものかと言えば、ただそこには、その書物の著者名と書名があるばかりであるといったようなものである。......幸いにも今日ではブック・ジャケットがそういう役目を果たすことになっている。そういうわけで、最近の書物には、このジャケットに相当の費用をつかう傾向が強くなってきているが、このことによって、本当の本の表紙の方のデザインが閑却された形になっている。このチャンスを利用して、装幀家は、清新な理想の装幀を実現しているといったような言い方をしてもよいのではないかと思う。「装幀を感覚する」『朝日出版通信』4号(朝日新聞社 1961.12.20)より》。ただいま2010.12.01、今朝の朝刊のコラムにあってもなんら違和感はない。

11月、茅場町の森岡書店では《私は、北園克衛をどう見るか。How to look at : kit katを通じてデザインのプリンシプルを学んできました》というデザイナーの山口信博さんの「How to look at : kit kat 山口信博の北園克衛コレクション/展」があった。評論家で詩人の金澤一志さんを招いたギャラリー・トークの最後、信博さんがしみじみとこう言っ た。「あのペラペラ感、あの小ささ。年をとっても豪華にならないのは、立派だなぁ、見上げたもんだなぁと、思いますね」。北園の詩集はどれも小さい。いくつかあげると『白のアルバム』普及版(1932 厚生閣書店)縦175mm×横135mm、『若いコロニイ』(1932 ボン書店)縦84mm×横123mm、『円錐詩集』(1933 ボン書店)縦185mm×横146mm、『黒い火』(1951 昭森社)縦144mm×横118mm、『煙の直線』(1959 國文社)縦178mm×横148mm、『空気の箱』(1966 VOUクラブ)縦174mm×横113mm、『白の断片』(1973 VOU)縦178mm×横148mm。名だたるデザイナーはなるほどいつかは豪華本を作っている。もし自分がデザインを職にして自由のきく仕事がきたなら、一度は豪華にやってみたいと思うだろう。北園はデザインにもすぐれていたが詩人であった。あのスタイルが、もっとも自分が思う通りのかたちなのだろう。

信博さんのようにデザインやアート、ほかに建築、音楽など詩以外の関心から北園に惹かれる人は多い。金澤さんはそれを可塑性という言葉でお話しになった。北園自身は常に紙の上、それも見開きにどう美しく配するかを考えて詩を書いてきたわけだから、文字をばらしてタイポグラフィの素材にされたり曲をつけられたりするのは好まなかっただろう。でもかたちをどう加工したところで変わらない「北園克衛の詩」に確信があったから、かまわない、こだわらない気持ちもあったのではないだろうか。『重い仮説』も、北園の可塑性が鳥居さんに作らせたと言ってみたくなる。総革本にしてあの、ペラペラ感。手にした瞬間を思い出すたびにまた鳥肌が立つ。鳥居さんは、前述の「銀花」の取材時すでに体調をこわされていて、刊行前の1994年4月25日に亡くなった。それを書いた気谷誠さんも、2008年9月22日に急逝されてしまった。改めて、残念でならない。