新聞紙にプリントして写真集を作りたいという写真家がダミーを持って店にあらわれた。ママのひろみさんに聞いていた青年だ。大きな手できれいに切りそろえた新聞の束にいくつか写真がプリントしてある。大振りな判型と厚みが肝らしい。プリントがきれいだ。どうすれば新聞紙によく定着するのかプリンターを使い込んでいるのがわかる。新聞紙を使うとひとくちに言っても日付や記事や図版に自分の写真をどう組み合わせるかが見せどころで、ダミーとはいえすでに方々の新聞紙が集められていて、ダミーとはいえ大量の写真の中から選ばれた一枚ずつがにくい感じで組み合わされている。おもしろい。こんな感じで写真展に合わせてまず一冊作りたい、さてどうすれば「本」になるか――。ダミーのような方法でプリンとしたものを使う前提での話から始まったが、いあわせた面々が紙の大きさや材料やプリントや展示の方法やらをひとつずつ却下してアイデアを出しているうちに飲み過ぎて、どんな結論になったのか忘れた。ただこのダミーの感じがとてもよくて、このままでいいんじゃない?このままがいいよ。どうして本にしなくちゃいけないの?「本」って何?一冊だけ作るのならこれが「本です」って言い切ればいい。みたいなところをループしておひらきだったような気がする。
今秋、東京国立近代美術館の鈴木清写真展『百の階梯、千の来歴』に写真集のダミーが展示された。鈴木清(1943-2000)が生前刊行した8冊の写真集のうち7冊は自費出版で、いずれも自身によって繰り返しダミーが作られていたそうだ。ここで展示されたのは『流れの歌』1972・『修羅の圏』1994・『デュラスの領土』1998のための写真集のダミーと、『天幕の街』1982・『天地劇場』1992のための表紙案。展の図録に寄せたマヒル・ボットマンさん(2008年にオランダで開かれた鈴木清展を企画したオランダ在住の写真家・キュレーター)によると、オランダ展の最後の準備に清の妻・洋子さんと作品の保管室にいるときに洋子さんが見つけたのが処女作『流れの歌』のダミーで、おそらく〈存命の間はほとんど閉じられたままだったのだろう〉とある。折れた付箋、乾いて剥がれたセロハンテープのあと、コピーの切り貼り、色とりどりの書き込みで、紙はやぶれ、つぶれ、ゆがんで、ぐったりとぼっさりとした背をわずかに蓄えた紙の束である。いったいこの紙束はどれだけ写真家になでられ、めくられ、そうして一緒に時間を過ごしたのだろう。写真集になってしまえばそれは読者のものである。この写真家はそのすんでのダミーを完全にするまでの時間をたっぷりかけて自分の写真たちを独占し、その住処の設計図を描いていたように思える。余白も言葉もなにもかも、その家の主人となる愛する写真たちのため――妬ましい時間の痕跡だ。
青年写真家のことを思い出していた。あの夜見た紙束は何度目かのダミーの完成直後で書き込みもなくきれいな直方体をしていたが、展が近づくにつれてくたくたになっていることだろう。どんな読み手にも決して知ることのできない、妬ましい時間を宿す"本"の話。