羊皮紙を作った。見た目は極薄のおせんべいのようでかじればパリッと音がしそうだが、表面をなでると極々短いパイルを持つビロードのようななめらかさがある。折り曲げてみる。折っても折っても割れない。裂けない。油性、水性マジックやボールペンや筆ペンで小さく文字を書いたり、やすりで削ってみる。一部を切って水につけてしばらくおいたら、透明になって柔らかくなった。「皮」なのだ。『バチカン教皇庁図書館展』(印刷博物館 2002)の図録を開いてみる。書写の材料としては4世紀頃までパピルスが主であったが、紀元前2世紀頃から小アジアやヨーロッパで羊皮紙が使われ始めたこと、12世紀に製紙法が伝わったあとも15世紀頃までは王侯貴族や図書館・教会の蔵書には羊皮紙が使われていたことなどがある。図版を見ると、豪華な装飾や美しい文字が書写された、その地の色合いに俄然目がいく。
「羊皮紙を作った」と言ったが、下準備の済んだ材料と道具が用意された体験ワークショップでのことだ。場所は東京・赤坂の区民センターで、講師は「羊皮紙工房」の八木健治さん。この八木さんが、おもしろい。ご本業は翻訳で、「羊皮紙」を調べていたら日本ではほとんど売られておらず本格的に作る人もいないことから、自分でやってみるかと作り始めたそうである。今では羊皮紙の製作販売のほか講演なども行っており、その活動を伝えるウェブサイトがこれまたいい。文献に読んだことを自らの手足で確かめるために製作も調査も始まっているから、閲覧する人を羊皮紙の旅に誘い込む力がある。また〈羊皮紙の研究を勝手に「Parchmentology(羊皮紙学)」と名づけ〉たり、拡大したり燃やしたりUVライトをあてたり濡らしたりの実験もどこかユーモラスなのだ。その八木さんを講師に迎えたワークショップを企画したのは「東京製本倶楽部」。1999年に有志11名がたちあげた団体で、会報誌の発行のほかこうしたイベントも多く開催している。
ワークショップは、羊皮紙を触ることから始まった。「これは何だと思いますか?」八木さんが作った羊皮紙が次々に目の前に並ぶ。堅さや表面のざらつき、色などみな違う。「羊皮紙」とは羊と山羊ばかりでなくさまざまな動物の皮で作られているものの総称だ。だから「これらは何の動物の皮だと思いますか」と八木さんは問うている。ホルスタイン柄のような濃淡が見えるのは牛かなと見当をつけたくらいであとは全くわからない。八木さんは黄色っぽいのをさして「これは羊。皮膚に含まれるラノリンという脂肪の酸化で黄色っぽくなる」、ややグレーがかった白いものをさして「これは山羊。よく見ると毛穴が3つずつまとまっているでしょう」。鹿は非常に柔らかくなめらかだ。「羊皮紙」というより「獣皮紙」とでも呼ぶほうがほんとうはいいのだろう。英語ではパーチメント(Parchment)、特に薄いものをヴェラム(Vellum)と言うが、もともとは仔牛から作ったパーチメントのことをヴェラム(ラテン語の仔牛[Vitelus]が語源)と言ったそうだ。ちなみにパーチメントの語源は「ペルガモンの紙[Carta Pergamena]」、ペルガモン(紀元前2世紀に羊皮紙が生まれたとされる。現在のトルコ・ベルガマ)産の羊皮紙をローマ人がこう呼んだことにある。エジプトから得ていたパピルスが不足したペルガモンで、それまで使っていた「動物の皮」をより書きやすく耐久性のあるものにしたのが羊皮紙の始まりらしい。
現在もイギリスやイスラエルなどで作られている。八木さんが訪ねたヴェラムの製造工房のビデオには木枠に張った皮をグラインダーで豪快に削るようすがあり、壁という壁がそのかすで覆われていた。羊皮紙の製法は時代や地域によって異なるが、八木さんは12世紀のラテン語文献にある方法に沿って製作しているのだそうだ。自宅浴室に国内の食肉用の羊を扱う業者さんから買った塩漬けの原皮を広げて製作していく様子を写真で見る。まずは水洗い。塩と汚れを徹底的に落さないと、品質に影響が出るばかりか後で臭いに悩まされるそうだ。次に消石灰を加えた水に浸して毛穴を開き、頃合いをみはからって取り出して手やナイフで毛を取る。脂分をとるために再び石灰水に浸し、さらに浸水。この後、皮を木枠にぴんと張って表面をナイフで削り乾かす。今回のワークショップは、この木枠に張るところからである。
葉書大にカットされ、しっとりと水に濡れた「皮」がビニール袋に入れてある。これを取り出し、縦40センチ横30センチくらいの木枠に張っていく。木枠には12の取っ手があり、それぞれに紐、その先っぽに金具がついている。金具で皮を固定して、取っ手をくるくる回して紐を巻き取りピンと張る。これらの道具もみな八木さんの手作りである。どれも12世紀さながらと思えるようなシンプルな作りだ。ぴんと張った皮に専用のナイフを直角にあて、両面を削っていく。水分や脂などの不純物を搾り出すことでもあるようだ。どれくらいやるのか加減がわからずにいると、「きまりはない、最終的には厚いところの色が濃くなりそれが羊皮紙らしい風合いを生む、ビクビクせずに気が済むまでどうぞ」と八木さん。なるほど。気が済むまで削ったら(といっても数分)、余分な繊維や脂を吸着させて取るためにタルクをふりかけて軽石で磨き、次に白亜の粉をスポンジでこすり付ける。繊維に粉をすり込むことで不透明度を高め、インクののりもよくなるそうだ。全体を水で湿らせ、木枠の取っ手を回して皮をしっかり張り直し、自然乾燥したら紙やすりで表面を磨いて完成となる。
ぴんと張らずに乾かしたものを見せていただくと、くしゃくしゃにした分厚いトレーシングペーパーをテーブルに広げて両手で一度伸ばしたような感じ。放っといたらこんなふうになるのを、縦に横にぴんと張って繊維の流れを整えるのだ。他にも八木さんのコレクションの中から、大小の写本、製作途中の写本、折り畳まれたり穴を生かした公文書やトーラーの断片のほか、パピルス、粘土板に書かれたハンムラビ法典、鉄筆で蜜蝋に書くメモ帳などを見せていただく。中に恐ろしく薄く柔らかな羊皮紙がある。どれだけ丁寧に削ることだろう。逆に、あまりにもしっかり折り畳まれて開くのをためうほどの厚いものもあったが、この折り目は割れも裂けもしないのだ。冊子本には皮の両面を同じように、巻子本には片面だけ、大きい写本には厚く、小さい写本には薄く、公文書には丈夫にと、羊皮紙の仕上げかたはそれぞれ違う。ほんのわずかの体験ながら作業のあとで改めて実物に触れると、古く貴重なモノと思うばかりだった羊皮紙に生気と活気を覚えて身近になった。野を駆ける動物たちそのものと、関わってきたすべての人の息吹なのだ。