2010年11月から12月上旬にかけてリマで行われる「国際現代音楽祭」に招待されたのをきっかけに 11月からペルーに来ています この音楽祭は今年で8年目で 在ペルーのスペイン大使館とスペイン文化会館が主催しているため毎年ペルーの作曲家とスペインの作曲家へのオマージュが行われ 国内外から招かれた招待演奏家たちによってそれらの作曲家の作品が演奏される 今年もヨーロッパ各国&南米から演奏家が来ていた
「オマージュされている作曲家の作品は 最低一曲はプログラムに入れて下さい」と契約書にも書かれている しかし 今年の作曲家(スペイン人のほう)は かなりひどかった いわゆる現代音楽祭に出て来るような作曲家ではなく 作風はロマン派&印象派だった ギター作品はスペイン風ドビュッシーみたいな 何かうさんくさい感じで とにかく弾くのが嫌だった
音楽祭の主催者は昔からの知り合いなので直接メールで聞くと「いやー、頼むよ、仕方ないと思って 弾いてくれよ」と言っていた しかし この主催者は一度も音楽祭に顔を出さなかったので 結局音楽祭期間中は一度も合わなかった この人は他に国際ギター音楽祭と、作曲コンクールを主催しているが あまりに手を広げすぎたため 各イベントが適当になり ギター音楽祭の方は問題が起きてクビになったらしい
音楽監督も前からの知り合いなので「あまり 弾きたくないんだけど・・」と聞くと「やっぱりね、どの出演者も皆弾きたくないって言ってるんだよ。まあいいよ、弾かなくて全然OK、だってこれはどうみても つまらんない曲だしね。それに作曲者は君のコンサートの前日に仕事でスペインに帰ってしまうから、問題ないよ」と言っていたので 結局弾かなかった なら契約書に書くなよ と思ったが・・
一方オマージュされているペルーの作曲家Francisco Pulgar Vidalは以前からの知り合いでEdgar Valcarcelを通して知り合った 彼は作家でもある ギター作品はこれまでに書かれていなかったので 今回は弾く作品がないなあと思っていたら せっかくだから何か書いてくれるという事になり 書き始めたが「オマージュ」という事で 色々な所からインタビューや講演など引っぱりだこになり ストレスだろうか 音楽祭前に脳卒中で倒れてしまった 彼は81歳 よくある事みたいだが 年配の作曲家がオマージュされると 大体死んでしまう Edgarl Valcarcelもオマージュされたとたんに死んでしまった
倒れてしまったので 彼のギター作品は夢と消えた かと思っていたが 何と 倒れた日の午前中に作品を書き終え 国立音楽院で働いている写譜屋の所へ譜面を持って行っていたらしく 写譜屋から譜面をもらった 数日して倒れたFranciscoを訪ねたら ベットで寝たきりだったが 思ったより後遺症はひどくなくて 記憶もわりとはっきりしていて私の事も顔をみてすぐにわかってくれた 書き終えた作品の事をだいぶ心配していた 言葉はよく聞き取れないが 何とか会話もできたので そこで新作を弾いてみてコメントをしてもらった コンサートの日は(初演の日) 必ず聴きに行くからと言っていたが やはり来なかった そのコンサートではSylvano Bussottiの1999年の作品(ギター作品では一番新しい)Ermafroditoも演奏した もしかして南米初演かな と思っていたが イタリア人ギタリストのElena Casoliが2010年にコロンビアで演奏していた と後で知った 今日 2011年2月22日 作曲家Fransiscoと会ったが だいぶ回復していて 歩けるようになっていたし 昔ルイジ・ノーノがリマに来て 会ったときの思い出話などをしていた
1年ぶりにペルーに来たが ペルーは今 大変貌中であると思う リマに限って言えば この10年本当に大きく変わった しかし 貧富の差はもの凄い さらに大きくなるのではないだろうか
金持ちは 超金持ち 高級車に乗って プール付きの家に住んでたりする 夏には浜辺付きの家を買ったりする 海を買ってしまうという発想が ペルー的で笑える(本当は笑えない) どうしてだろう 何をしたら一体こんなに金持ちになれるのだろう と興味を持って 色々な人に聞いてみると 鉱山で金を掘っている とか 麻薬を売っているとか そういうのが多い
一方貧しい方は何も持っていない 今回もだいぶ田舎を旅したが ある村で土木作業員が近くにいたので彼の給料を聞いたら 4日で20ソーレスと言っていた つまり給料が1日180円くらいという事になる 180円(5ソーレス) リマでは ランチ一食分 バスには5回乗れる 一般観光客がリマで泊まるようなホテルは1泊約80ドル 私がその村で泊まった所は1泊180円
自分には 超金持ちの友人もいる 一方とても貧しい友人もいる その狭間と言うのは 辛いが これがペルーなのだろうと思いつつ 何もできない 目の前にいる貧しい人 物乞いをしている人に100円あげても どうにもならない 道を歩けば格100メートルごとに物乞いがいる 無力
いまやペルーで最も重要な観光地であるクスコでは 外国の企業家が土地を買い占め高級リゾート地を作っている 1泊400ドルとかいうホテルもざらである ペルーの物価から言えばとんでもない額だが 無論そこに行くのは外国人観光客
アヤクーチョのある村で25歳の夫婦が「外国人はペルーに来て、ペルーはいいね、何でも素材があるし、安い、パラダイスだ、とよく言うが、我々にとっては全然パラダイスではないね むしろ最悪な国だね」と言っていたのが印象的で 確かに 全然パラダイスでもないし それどころか その国の田舎に住んでいる彼らはまっとうな生活すらできていない 搾取され それで終わり
外国人的視点で見ると ペルーは地理的に アンデス、海岸、アマゾン 3地域があり 食材は大変豊富 天然ガス、石油、鉱山(金、銀、他) 何でもあるじゃないか と思うが しかし 根本的に それらを使って商売ができる人間というのは限られている そこでも また 金持ちが さらに金持ちになる というシステムが出来上がる 大体 物(資源)があっても 日当180円の農民 教育を受けていない貧しい農民が その資源を利用して田舎の村が経済成長する などという事はまずあり得ない 音楽や文化を見ていてもそれを感じる 物(素材)は大変豊富だが それを使って何をすればいいのかすら考える余裕がなく ただ単にその瞬間にパッと売れる音楽やお土産品を作る というアイデアが発生する
ある村では「鉱脈が見つかれば 村なんて簡単に乗っ取られる それに反対すれば殺される、相手が機関銃持ってるのに こっちは石でしょ どうしろっての?」とも言っていた これじゃあ反体制派のテロ組織が生まれても不思議はないだろうなと思った 実際そういった田舎の若者には 毛沢東、マルクス、レーニンの思想に夢を見て 革命を起こしたい と考えている人もいる そこには彼らが他の一般教育を受けていないので それ以外のインフォメーションを一切持っていない という事実もある つまり「今の政府は悪い このままでは我々は永久に貧しい 政府からは忘れられている 毛沢東やマルクス以外に我々の生活が良くなるシステムは存在しない」センデロの思想以降は 潜在的にそうインプットさせられている傾向がある これも田舎の村々に学校ができて ちゃんとした先生が田舎にも行くようなシステムにならないと変わらない
また90年代にフジモリ大統領の行ったセンデロ掃討作戦によって 実際に彼らの親や親戚が虐殺されているため 反フジモリ派はもの凄く多い 当時は 軍が村に行っても誰がテロリストで誰が一般人だか判断できないので とりあえずその場にいた人を全員殺害したらしい ある村は 男は全員殺害されたり 村が消えたりもしている テロリストに協力しない者はテロリストに殺害され 軍が来たら軍に殺害された 「フジモリのせいで一体どれだけの孤児が生まれたと思う? 大統領が最大の殺人犯だ その娘が今度大統領選に立候補している この村に来てみろ!」と言う人は少なくない 首都と そういった田舎では色々な意味で天と地ほどの隔たりがある
一方 旅先で聞いた話 ある村ではコカのお祭りというのがあり(この場合の「コカ」は葉っぱの事ではなく コカインの事) お祭り期間は村中でコカインを吸っている 通称TIERRA DE NADIE(誰の土地でもない=無法地帯)と呼ばれるこの地域は 畑一面にコカの葉を栽培して コカインを作り アメリカをはじめ世界各国に売っている こう書くと なんだか秘密情報っぽいが そこら辺の人は誰でも知っている事で 宿泊した宿で働くおじさんが言っていたが「いや〜あそこは凄いよ 飛行機が飛んで来るんだよ、それでさ、空から箱をポンッと落とすの、お金が入った箱 今は センデロが麻薬組織のガードマンをしてるから 皆武装してるのよ 警察なんて文句言ったらすぐ殺されちゃうんだよ そういうのってニュースにも出ないから 地元民しか知らないんだけどね まあとにかく色々あるのよ」これもまた田舎の現実で 貧しい人々が見つけた手っ取り早い収入源である しかし それすらも誰かが後ろで操り 搾取しているというのが現実 誰かはその日生きるためにコカインを作り それによって誰かは儲かり 誰かは廃人になったり また誰かは死んだり 誰かは殺したりしている 他人事ながらかなり重いテーマである&人間全然平等ではないという現実を見た
旅をすると色々な事を学びます よく「かわいい子には旅をさせろ」といいますが 本当にかわいい子には あまり旅をさせないほうがいいような気もします 旅による とでも言いますか「知らぬが仏」という言葉もあります
自分は当初何も知らずに演奏家としてふらふらと旅をしていましたが 旅とは 本来そういうための事ではないと知りました 旅の途中の道路で 目の前のバスが横転した時は 運転手と一緒にそのバスの乗客の救出に行き 横転したバスから子供を引っ張りだしたり ひもでバスを起こしたり 途中で土砂崩れがあれば 雨の中スコップを持って 道路整備を手伝ったり 走っている車のタイヤが外れれば 修理を手伝ったり もはや演奏家である事などは一切忘れ 生き残る事だけ終止考えていました 次回は是非 バスではなく歩いて旅したい とすら思いました 基本的に飛行機での旅では現状をよく知れない 車でも スピードがとても早い よく知りたいなら 徒歩が一番 自分がこう書いても なかなか理解はされないでしょうが あれを見ればわかります 今回はLimaからPuquioという町へバスで行き そこから色々な村にふらふら寄りながらHuamangaまでたどり着き その後Sarhuaと言う村に行きました
この旅の前には 12月後半から1月までイタリアに行きました これはまた色々な意味で別世界でした 私は近年Sylvano Bussottiの作品に興味があり 演奏会のプログラムに入れていましたが ぜひ本人に会ってみたいと思い ミラノに行きました イタリアの事は何も知らないので指揮者の杉山洋一さんを頼ってミラノに滞在し Bussottiと会い 作品について教わる事ができました 作者に会ってみて だいぶ作品への印象も変わり 弾きやすくなりました 杉山さんのおかげで ミラノでコンサートをさせていただく事もできました コンサートの一部ではSylvano Bussotti作品だけを弾き 作者本人にも来て頂きました またギタリストのElena Casoliさんもコンサートに来て下さり 知り合うことができたのは とてもうれしかったです ミラノのLimenMusicでは高橋悠治作品とBussotti作品、ペルー音楽を録音し ネットで動画が配信される予定です
観光目的で行ったのではないので 一切観光はできていませんが いつか経済的に余裕ができたときは ぜひ観光もしてみたい と思います
ミラノに着いて数日したある日 ローマに住んでいるペルー人の文化活動家から突然メールが入り ローマでコンサートをする事になりました ペルーを代表するアンデスの村出身の作家Jose Maria Arguedasは今年で生誕100年で世界各地でオマージュが行われています ローマのカピトリーニ美術館でもArguedasへのオマージュがあり そこでコンサートをしました 今回お金に余裕もなかったですしローマに行ける予定は全然なかったので 演奏で招待される事ができてとても幸運でした ローマでも観光はしていませんが 演奏したカピトリーニ美術館は少し見る事ができてとても素晴らしい美術館でした
ローマには イタリア人でありながら40年近くアンデス音楽を演奏し研究している人達がいます Trencito de los andes(現在はIl Laboratorio delle Uova Quadre) というユニットです CDや噂でしか知らなかった彼らと連絡を取り 会う事ができました 彼らの家に行き パスタを食べながらだいぶ話しましたが アンデス音楽を まったく異なる視点から考え(考え続け)「超アンデス音楽」を作り上げている人達であるという事を知り大変驚かされました 今のアンデス音楽のレベルから言えば 彼らのやっている事 考えている事というのはあり得ないようなレベルで 誰もあんな仕事はできないし 真似できないどころか 何をしているのかすら なかなか理解されないような事をしています 頭のいい物理学者と哲学者がアンデス音楽を考えているような そういう感じ こういうタイプ こういう方法が存在するとはそれまで考えもしなかったので とても参考になりました
印象的だった彼らの言葉は「100年以上も前から世界中の研究家がアンデスへ行きアンデスの素材(石)を探している 始めは石拾いがとても面白いが 次第にそれを基に何かを作り上げるという作業があまりに難しいという事に気がつき 皆あきらめ 別の事をする もしくは石の標本を作って終わりにする(採集、採譜) しかし そんな採集した物は 結局役に立った事が無い 我々は 拾った石ころをただひたすら磨く 磨き上げダイヤモンドに仕上げる もしくは彫刻する というような作業を長年してきた」
彼らは自らが採集したアンデス音楽を極限に再現するために Partitura Micronia(ミクロ楽譜)と言う 新しい記譜法を発明した それは3枚の譜面が6秒足らずの時間で流れると言うもので 生演奏は不可能 多重録音によって行われた彼らの録音でしか聞き得ない音となっている 録音主義者で 常に前人未到な完璧な録音を残して来ているが ヨーロッパ各地 南米各地でも公演を行っている
こうした 偶然の重なりで イタリアでは 現代音楽とアンデス音楽を勉強しました イタリアでの思い出は他にもたくさんありますが 中でも ミラノの「タマネギパスタ」と「人参パスタ」は鮮明に印象に残っています