クウェート解放20周年

2月25日は、クェート建国50周年、2月26日は、湾岸戦争終結、つまり、クェート解放20周年ということで、区切りのいい年だ。本来なら、日本のメディアも特集を組んだりするはずなのだが、チェニジアから始まった民主化の波がエジプト、リビア、バーレーン、イエメンと勢いを振るっており、クウェートの記事は、日本では全く報道されていない。

2月25日は、イラク全土で「怒りの金曜日」と称して各地でデモをやるという情報も入ってきたので、イラクからクウェートに避難し、記念式典を取材してみた。

アルビルからバーレーンで乗りついでクウェートにつく。街中が、クウェートの国旗色の電飾できれい。一方、イラクは、電気がなくて、生活の不便さを現政権にぶつけて、デモに参加している。この電気がイラクにあれば! この差はなんだろう。

まず、湾岸戦争メモリアル・ミュージアムに行く。ここの展示、ジオラマが面白い。プラモデルの展示に、効果音や、照明をかぶせて湾岸戦争の始まりから終わりまで、ナレーション付きで解説してくれる。昔作ってそのままになっているのだろう。ローテクだが、味がある。そして、多国籍軍の貢献を展示するコーナー。日本は、130億ドルを拠出したことと、自衛隊がペルシャ湾の機雷除去を行った写真が飾ってあるが、あまり目だたない。「日本はお金は出すが、血を流さない」と批判され外務省はトラウマになったといわれているが、展示を見る限り、立派に「軍隊」を派遣した国として扱われている。要は、日本の宣伝のへたくそさにある。しつこく130億円出しましたと言い続ければいいのに、今回の記念式典にも日本からの要人は来ない。

続いてイギリス。今回当時首相だった、ジョン・メージャーも式典に参加。エリザベス女王の写真も入り口に飾ってあり、存在感をアピール。しかし、アメリカ。一番貢献したのに、今ひとつ目立たない。多国籍軍の国旗の展示コーナーには、アメリカの国旗が外れてなくなっている。単に落ちてそのままにしておいたのかもしれないが、アメリカの要人が見たら怒るに違いない。なぜか、バングラディッシュの展示コーナーが、面積もひろく、目立つ。日本と同じように、戦後処理として、バングラ人が地雷や劣化ウラン弾の除去を行ったと書いてある。軍服も飾ってあった。

今回、20周年ということで、2003年以降のイラク戦争の展示を新しく加えたという。なんと、そこにはサダム・フセインの銅像の首が飾ってあった。アメリカ軍が引き倒したサダムの銅像から首を切り落としてプレゼントしてくれたという。こんなところに飾られていたとは。それだけでも見にくる価値はあると思うのだが、このメモリアル・ミュージアム、観客がいない! もったいない。

外では、クウェート軍の鼓笛隊が演奏していた。しかし、彼らはバングラディッシュ人だという。鼓笛隊だけでなく約5000人が出稼ぎでクウェート軍で働いているというのだ。クウェートにとって、今では、アメリカ軍よりもバングラ軍が頼りになるというわけか? 同じイスラムだし。クウェートの人口の三分の二が実は外国人労働者。特にバングラディッシュやインド人が多く、我々外国人が、街中でクウェート人と会話することなどめったにない。しかし、労働の質は優れている。なぜなら、文句を言ったらビザが取り上げられ本国にかえされてしまう。一ヶ月、200から300ドル程度しかもらえないが、この国の底辺を支えている。彼らが稼ぐ金は、本国では、大金であり決して貧困層には入らない。他のアラブ諸国のように、貧困が問題となってデモに発展することもないだろう。優れたシステムだ。

翌日、市民のデモがあるというので、タクシーを拾う。やはり、バングラ人。英語がなまっていてよくわからない。おまけに、ふっかけてくる。
「高い」
「何を言う。ここは危険だから、早く金を払ってくれ」
「危険だって? デモといってもみんな楽しそうに旗を振っている」
「ここは、危険だ。早く、金を払ってくれ」
もめていると銃を持ったクウェートの子どもたちがやってきて、運転手の顔面めがけて発砲した。2リットルくらいの水を蓄える事が出来る水鉄砲だ。イラク戦争から20年とはいえ、クウェート人の多くにとっては、単なるお祝い事に過ぎず、散々はしゃいだ後は、休暇をとって海外に遊びに行ってしまう人も多いという。湾岸戦争のときも、ほとんどサウジに逃げてしまっていた。やっぱりこの国は、バングラ人が支えている。