東日本を襲った地震、津波、原発事故の三段重ねが、ちょっとやそっとじゃ収束しないとわかってきた3月の終わり。来月には中学生になる息子を連れて兵庫県伊丹の実家に帰った。
帰った途端に「東京も大変でしょう」とみんなに言われて「大変だと言われても、なんとなくあきらめムードで」と答えるしかなく、被災地ほど痛めつけられてもないし、大阪ほどのんびりもしていられない、という微妙な立場に言葉数が少なくなる。
正直、計画停電や電車の間引き運転、買い占めや自粛ムードで落ち着かないのだが、日々の暮らしは地震前とほとんど変わらない。変わらないのに、毎日の余震や放射能についての報道、これから先本当に仕事はあるのかという不安で、知らず知らず緊張が体の中に蓄積しているような気がする。
そのことにはっきり気がついたのは、今回の帰省中、仕事の関係で一泊だけホテルに泊まったときのこと。あまりの肩こりに観念して、マッサージをしてもらった。背中を丹念に押されて、肩が凝っていることを思い知ったのだが、それ以上に気持ちの方がまいっていたらしく、「相当凝ってますね。いろいろ大変だったんじゃないですか?」と声をかけられた瞬間に涙があふれてしまったのだ。不覚にも、という言葉がすっぽりと当てはまる瞬間だったが、うつぶせ寝の枕に顔を押し付け悟られないようにして「いやあ、あっはっはっ」と意味もなく笑う。そして、笑いながら、「こうしてリフレッシュできたのだから、明日からは、東京でこれまで以上に節電に励もう」などと思ってしまっていることが嫌で嫌でしかたがない。ああ、悔しい。なんで俺が。