掠れ書き12(『カフカノート』の後に)

シアターイワトで4月16日と17日の2日間、3回公演した後で、それについて考えてみる。

客席を4隅に配置したのでステージは十字型になり、ピアノが中央奥にあり、反対側に白い机、その上にノートが1冊。中央に低い白い台、これはベッドにもベンチにもなる、ピアノの傍には白い梯子。これらはすべて平野甲賀の構想と制作。

練習はまず歌を一節ずつ全員でうたうことからはじまった。次に全員でテクストを朗読する。それから各断片を分担して読み、あるいは歌い、ノートのページをめくって交代する。読み手以外の3人は、自分で考えた動きをためす。それらの動きをその場にいあわせた全員が見ながら、すこしずつ修正していくが、細部まで決め固定することは避けて、その場で変える余地を残す。こうして二日目には全体の通し稽古ができるまでになった。演出家はいないから、一つの視点ではなく、様々な視点を組み合わせて、ゆるい約束ごとができていく。それでも、全体を構成し、台本を書き、作曲をした時の予想がまずためされることになる。

朗読は一節ごとにイメージを作っていく。それは意味や感情を通した解釈ではなく、ことばのリズムと、呼び起こすイメージの変化をたどっていく。そこに動きと音楽の層がかさなり、ずれと相互作用を起こす。読むのは自分ではなく、遠くから聞こえてくる声を伝えるだけ。動きは自分の表現ではなく、操り人形のように全身が連動して、突然始まり、突然終わる。楽器の音は最小限の音の身振り。これらはスタイルではなく、身体技法から入り、その場の状況に対応して、内側から声を含む自分の身体の動きを観察し、空間のなかで他の動きを関連づけながら位置や動きの方向が決まる。というのは外側からみた結果論だが、じっさいには意識の遅れをできるだけなくして、予備動作なしに瞬発する動きを想定している。カフカのアフォリズム「目標はあるが道はない、道と言うのはためらいだ」とはちがって、目標も道もない、偶発的なできごとに対して、ためらいもなく、別な偶然で応えること、と言っても、これこそすぐにはできない、訓練がいる。それは強制はできないし、それに方法や技法を統一する必要も意義もない。なにかに意味をもとめるのは、人間的なまちがいかもしれない。偶然に現れ、また消えていくさまざまな現象が衝突し、思いがけない一時的な関係が生まれては変化し消滅する空間と時間の場を設定して、そのなかでひとつではなく、多くの重なりあい、矛盾する動きが見られるようにする。

以前の二回の試みの後で、第3の版を考えたとき、最初と最後に置く断片だけは決まっていた。その時は、最初の断片で災害から逃げる翼を使わず、死者たちや神々とともに町にとどまる老人の話は、偶然地震の後になったが、もともとアフガニスタンやイラクでの無意味な戦争から思いついたことだった。最後の断片のオドラーデックは、ヨーゼフKの処刑の後に生き残るかのように思われた「恥」のように、ちいさくささやかであることで、この無意味な世界に無意味な死をこえても残る「無」すれすれの不安と気がかり。

白い木彫りのオドラーデックがステージの上方から見下ろしている。平野甲賀が余震のあいだ彫り続け、それはジャコメッティの彫刻のようにやせ細っていった。最後の断片になると、それがゆるやかに回転する。観客はほとんど気づかない。

このテクストと音楽と行為によりながら、演劇でもオペラでもない、作品でさえないこころみは、練習に近い。逆に、その練習は練習ではなく、毎回少しずつちがう上演とも言える。いつまでも未完成で、いつでもやりなおせるあそび。

それはクラシックや現代音楽コンサートの聴衆や、ジャーナリズムや音楽批評をあてにしてはいない。1960年代の草月アートセンターや、1980年代の水牛通信のように、まずシアターイワトという場があり、そこにかかわる人びとのネットワークを創りながら、そのまわりにすこしずつひろがっていく、Ustream中継やYouTubeなどインターネットは記録として残るが、人びとの集まる場は、ばらばらの個人的電子空間で代替はできない。一時的な相対的自律空間は永続はしないで、制度に取り込まれる前に消滅し、不意に別な場所に現れる。カフカのノートになるこころみは、オドラーデック的存在様式を発見することになった。

最後に当日のプログラムノートの引用:
『カフカノート』はカフカのノートブックから集めた36の断片の束であり、カフカについてのノートでもある。
1990年の批判版全集のテクストにより、ドイツ語原文と日本語のどちらでも上演可能。日本語訳は、パラグラフ、句読点、歌の場合は音節数もできるだけ原文に近づけた。

ノートブックの白紙の空間は、心のなかの小部屋であり、行く手の見えない道であり、小動物の走りと囚人の処刑場、日常の闇の時間でもある。
そこににうごめく夢魔の人文字の活人画。
だれとも知れぬ声が語り、時には歌声がきこえる。
楽器が声の線をなぞっていく。
全体はささやかな生命に落ちかかってくる災いにはじまり、生き残っていく不安に終わる。