しもた屋之噺(114)

庭の大木は、5年前に住み始めた頃とは比べ物にならぬほど立派になりました。葉の間を通り抜けてゆく風の音に思わず心がなごみます。六歳になった息子も、毎日この大木を満足そうに眺めてから、教材の付録で送られてきたプチトマトの栽培キットに水をやって、日々の成長ぶりを自慢します。そうして、庭の大木は素敵だが、家が樹や葉に覆われると、きつつきが家に穴を開けるので困る、と少し困った顔で話してくれました。

彼は東京では先月小学校に入学しましたが、ミラノでは最後の園児生活を送っていて、拙宅から幼稚園のあるスカラブリー二広場まで5分ほどの距離を歩きながら、他愛もない話に花が咲きます。

「どうしてお父さんは土日にレッスンをするの」。
[みんな週末が都合いいからさ。昨日いたミーノだってボローニャから来たんだ。ボローニャは遠いんだよ」。
「どうしてミーノはボローニャから来るの」。
「ミーノがボローニャの近くで生まれたからさ」。
「ボローニャの近くで生まれたのは、自分で決めたからなの」。
「自分で自分が生まれるところは決められない気がするけどね。お前がミラノに生まれたとき、自分で決めたわけじゃないだろう」。
「じゃあ、おそらがミーノはボローニャに生まれるように決めたの」。
「そうかもしれないね」。
「おそらには神さまがいるんでしょう」。
「いるかもしれないね」。
「じゃあ、神さまが、ミーノはボローニャに生まれるように決めたの」。
「もしかしたら、そうかもしれない」。
「この間死んじゃったキアラのおばあちゃんも、おそらにのぼっていったんでしょう」。
「ああ、そうだったね」。
「おそらにいって、雲の上でキリストと一緒にいるんでしょう」。
「死んだらみんなおそらにのぼってゆくんでしょう。それで雲の上にいったら、みんな翼が生えるでしょう」。
「そうかもしれない。自分だったら翼はいらないけどね」。
「どうして死んだらおそらにのぼってゆくの」。
「生きているうちに頑張って働いたから、神さまがもう休んでいいよっていうんじゃないのかな」。
「じゃあ、ふわふわの雲のソファーでみんな休んでいるの」。
「そうかもしれないね」。

先日、サンマリノでハイドンのスターバト・マーテルを演奏する機会に恵まれ、その美しさに言葉を失いました。ハイドンは大好きな作曲家ですが、表現力の深さではどの交響曲でもスターバト・マーテルには劣るのではないかと思うほどの圧倒的な美しさで、かけがいのない経験となりました。

実は当初、楽譜を読み始めても、なかなか曲を理解できずに実に苦しい思いをしたのです。ずっと納得がいかず腑に落ちないストレスと、自分が間違いを犯している確信だけが頭にこびりついていて、漸く全てが氷解したのは本番前日の練習直前でした。

譜読みの間も、リハーサル中ひきずっていたフラストレーションのお陰で、答えのヒントが見つかったのでしょうから、今回ばかりは自らの拙さに感謝もしましたが、ほんの少し視点をずらすだけで全く違う鮮やかな世界が目の前に現われることに驚きもし、自らの役の重さを痛感しました。勉強するたびに思うけれども、自分が知りうる唯一の絶対的事象は、自分が何も知らないということだけです。

「スターバト・マーテル」はご存知のとおり、磔刑に処されたキリストの足下で悲嘆に暮れる母をラテン語で綴った宗教曲ですが、「スターバト・マーテル(母が居ました)」は、そのまま「スターバ・マードレ」とイタリア語で読め下せます。このように、このラテン語のテキストは読みやすくイタリア語に逐語訳出来ることもあって、リアリティがより強く感じるのでしょう、時に直截な表現の歌詞につけられた端麗な旋律に当初は戸惑いましたが、歌手や合唱の皆が言葉にこめる思いが音の宇宙を覆いつくすのを目の当たりにしました。

今回こうして手探りながらハイドンを勉強していて、自分がこの165ページの楽譜に救われていることを、何度となく感じました。日本のさまざまな出来事が頭を巡っていて、毎日送られてくるニュースに暗澹となりながら、家族はもちろん、友人や近所の子供たちを思いました。ブラウン管の中で燃え上がる神戸の街を呆然と眺めていた時と同じ、自分は安全な場所で何も出来ない虚脱感は、つい無意識に音楽を否定する思考へ流れそうになります。

演奏会当日は浜岡原発が全て止められて、福島では原発で作業していた男性が急死しました。サンマリノに出掛ける前日は、母の故郷である足柄のお茶からもセシウムが検出されていました。万感を込めて日本の皆さんのために演奏するというのとは凡そ反対で、ただ楽譜を無心で読み、全てを放下して演奏しながら、自分が救われているのを実感しました。だから自分は音楽を否定してはいけないと思ったし、他の誰かにとってもそうであって欲しいと思い、音楽へ感謝の気持ちをどうか演奏者の皆さんと分ち合わせてほしい、とリハーサルの終わりにお願いしました。

独唱で招かれていた、アルトのルチアとテノールのバルダサルの夫婦には、一ヶ月前に女の子が産まれたばかりで、嬉しそうに甲斐甲斐しく乳母車を押すルチアのお母さんが付添っていました。ルネッサンスのマリア像を思わせる美しい卵型の頭と、柔和で憂いを帯びた顔のルチアは、たびたび部屋の隅で微笑みながらお乳を上げていて、はち切れんばかりに張った乳房に赤子を優しく抱えた女性の姿は母性に溢れていて、ヤコポ・ダ・トーディが綴ったと伝えられる「スターバト・マーテル」のテキストと重なる存在でした。

教会のキリストの足元で、彼女が「命ある限り、お前の下で磔刑の苦しみを分ち合わせておくれ」と歌ったとき、言葉に出来ない神々しさに包まれたのは、恐らく演奏者や聴衆誰もが感じていたに違いありません。70分を超える演奏が終わって気がつくと、演奏者や歌手、聴衆がみなさめざめと泣いていて、強靭な音楽の前で、一人ひとりそれぞれの人生が立ち尽くしていました。

(5月25日ミラノにて)