うちの近所には時々狸だのハクビシンだのが出没する。いつぞやは路地の角でばったりと遭遇し、顔を見合わせることがあった。ちょうど、その角の正面が警察署だったのが不思議な縁である。
狸はときどきご近所さんとしても会うのだが、狐にはとんと縁がない。テンやオコジョといったよほど珍しい動物の方が出遇った回数が多いのだから、縁遠いと言た方がよいのかもしれない。そのうち、きつねの近所にでも住んでみたいと思うのだが、どなたかきつねの近所に住まわれている方は情報をお教え願いたい。
きつねと言えば、毎月青空文庫のランキングをのぞく楽しみもきつね絡みだったりする。新見南吉には2つのきつねの話がある。ひとつはご存知「ごんぎつね」悲しいいたずら狐のごんの話である。もうひとつはきつねの親子の姿を描いた「手袋を買いに」で、この2作が上位ランキングに必ず入っている。私の肩を持っているのは「手袋」の方で自分で登録したくらいに好きな話だったりする。そして、毎月、この2作のランクの上下を見ながら勝っただの、負けただのを一人楽しんでいるのだ。ただし、「手袋」には弱点があって、手袋が不必要になる夏場には分が悪い。今年の夏の暑さが、実は私のささやかな楽しみを左右している。
さて、例にもれず、私も連休から数名の作家と密にお付き合いして、作品読みに没頭(すると実ははかが行かないのだけれども)する羽目になった。そのひとり、田中貢太郎は怪奇もの、怪談ものの収集、紹介者として有名だが、中国の怪奇もののなかに、狐の嫁を貰う話が多数でてくる。面白いのが、狐は嫁に貰っても、狐のところには嫁は出さないらしい。中には親しくしていた狐と、そこに自分の妹を嫁に出さないということでいざこざになり、最後は狐の娘を子供の嫁にもらって一件落着なんて話も出てくる。
いくつも読んでいると、ふと、狐とは別の民族なのではないかと思い当たった。そう言えば、西域の少数民族地域にはいまでも欧州系の掘りの深い民族が暮らしている。どちらかと言えば、顔の輪郭が丸く、タヌキ顔のモンゴロイドに対して、いかにも、ひげを蓄えたキルギスあたりのおじさんはきつね顔と言われれば見えない事もない。
そこで思い出したのが、現中国政権の勧める民族融和策であった。伝え聞くところによると、漢民族の若い男性に、少数民族の女性との結婚を勧めているのだそうだ。これが漢民族の女性に少数姻族の男性との婚姻となっていないところがまさにきつね式。今も昔も、きつねとの付き合いは変わらないのかもしれない。
そう言えば、中島みゆきの歌に、狐狩りの唄があったなあ。と、ふと、アマゾンを検索に行く。