製本かい摘みましては(72)

新宿二丁目、階段であがったビルの四階の小さな部屋に入ると、うずたかく積まれた新聞に埋もれるようにして、床に座ったひとがいる。しゃばっ、しゃばっ、と、新聞をめくる音。たまった古新聞を読み直している、らしい。壁の二面には新聞が几帳面に貼られており、手前のテーブルにはまとまった量の新聞が置いてある。奥にノートパソコンとインクジェットプリンタ。新聞をめくっていたのは写真家の岸幸太さん。これまで東京の山谷、横浜の寿町、大阪の釜ヶ崎でくりかえし撮影してきた写真を新聞紙に出力して、一冊の本を作っているのだ。写真展「The books with smells」(2011年8月23日〜9月30日)の会場である。

小さくプリントした写真を片手に、写真家は古新聞を延々めくる。記事の内容、レイアウト、色に、どの写真をどう重ねるか。決まったら、新聞は断裁することなく実物をそのままプリンタにセットして一部ずつ出力する。写真はすべてモノクロだ。黒字に白で抜いた記事の太文字はどんな写真が重ねられてもよく目立つ。逆に写真の小さな白地が、小さな記事の小さな文字を引き立たせることもある。広告写真と一体化したところもあるし、写真を重ねていないところもある。おもしろい。

とはいえなにしろ「新聞」だから、記事を読んでしまう。東日本大震災の記事が目立つ。まもなく半年。忘れたつもりはない。だが、おはようを言い、コーヒーを飲みながら新聞を開く毎日の朝は、昨日までを忘れることに違いないことも知る。気が遠くなる。テーブルから離れて、壁に貼られた作品を見る。一歩二歩と後ろに下がると、写真に写るひとびとが飛び出して見えてくる。新聞の文字がテレビのテロップ、というよりはナレーション、というよりは、雑踏のざわめきとして聞こえてくる。遠くなった「気」が戻される。

「The books with smells」は最終的に、新聞紙100枚に両面出力した400ページ前後を糸でかがって本に仕上げるそうである。インクがのることで新聞紙には今のところハリを感じるが、これから日々朽ちてゆく。期間中様子を見ながら、いくつかの選択肢からその方法を探すようだ。「本」に仕上げたあとの展示については知らないけれど、めくられるための「本」であることに違いはない。大きな読み台のようなものに置かれてしゃばっ、しゃばっとめくられて、多くのひとの汗と脂を吸うのが似合う。本文を保護するとかまして飾るとか、そのための製本は不要だろう。