製本かい摘みましては(73)

葉っぱの落ちた柿の木の奥に大きな藁葺き屋根の家。日差しを受けて、軒下に並ぶ真っ白な和紙の端が浮いている。

  乾き反る和本表紙や百舌猛る

東京葛飾の日枝神社近く、水本小合上町で和本表紙作りを生業とする家を訪ねた石田波郷の句だ。波郷は昭和32年3月から江東区、墨田区、江戸川区、葛飾区、足立区にカメラマンとともに足を運び、季節ごとの風物や景色を文章と句にして読売新聞に掲載した。昭和21年に疎開先から親戚の家をたよりに江東区に移り、病を抱えながら焦土に得た畑を耕し幼い子供二人を育てて10年、低い土地にむくむくとわきおこる戦後を記録した。連載は115回にわたり、昭和41年に『江東歳時記』(東京美術)として刊行。なるほどこの本と地図を片手に、界隈を歩きたくなる。

この地での和本表紙作りは、天明元年に地元の名主細谷秀蔵が始めた。蔦屋重三郎など複数の得意先を抱えたが、のちに謡本の表紙や官庁の綴込表紙、帙畳紙(ちつたとう)などをてがけるようになって、支那事変をきっかけに家と謡本表紙作りの権利を買い取った一色さんが引き継いだ。生麩糊をひいたりロールで型をつけたりする行程を見学した波郷は、「古い大きな藁葺屋根の下でするにふさわしい仕事である」と書いている。

波郷は最初の句集『石田波郷句集』(昭和11年 沙羅書店)の編集装丁を自らおこなっている。村山古郷『石田波郷伝』(昭和48年 角川書店)によると、「俳句の上下は揃えず、ノンブルは日本数字、製本はボール紙抜きのクルミ本略装、本文はアンカット、化粧裁ちせず、函は一枚ボールの折畳み」「表紙は鳥の子紙で装釘され、句集名も著者名も文字は一切印刷されていず、真白」、山口誓子は「馬酔木」昭和11年2月号に「どっから見ても白面(パイパン)なのでパイパン句集だ」と評したそうである。

今秋、山本義隆さんの『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』(みすず書房)を手にして、なぜだかこの「パイパン句集」という言葉を思い出したのだった。表紙カバーと帯の地は白であるがタイトルも著者名ももちろんあって、際立ってシンプルでも気取ったものでもない。100ページの本文はゆったりと組まれ、1000円という値段が似合うように感じられた。「みすず」にと依頼されて書いたものが長くなってしまっておそるおそる渡したら、いっそのこと単行本にしましょうと言われたとあとがきにある。もしも「本」になれるなら、素っ気なく、なにげない装丁が似合うものでありたいと思う。今日は秋晴れのよい休日。工事の音に起こされた。ときおりの風に洗濯物がひるがえる。