矛盾

最近、いろいろといらっとすることが多い。別のタイトルでもっと刺激的な話を書こうかとも思ったが、全ての根源が「矛盾」なのだと気付いたのでこのタイトルにしてみた。先月も吐露したが、私の見方は万事が万事、斜め向きである。斜めで見たときにこんな見方もあったのねと温かい目で見てもらえれば幸いです。

例えば、自然エネルギーと言ってもなにを示しているのかよくわからないのだ。日本は恵まれているといわれる水力にしても、過去からの歴史は綿々たる自然破壊の歴史であった。多くの自然環境がダムの下に沈み、多くの遺伝子資源が失われてきている。以前から矛盾に思ってブツブツ文句を言っていた東京電力の「尾瀬で自然保護」キャンペーンだが、もともと東京電力は尾瀬にダムを建設するために付近の土地を買い占めた背景がある。幸いにしてというか、東電の思惑が外れたというべきか、尾瀬は自然保護運動などの結果残っただけの話で、別に自然保護のために東電がナショナルトラストよろしくCSR(企業の社会貢献)の一環で購入したものではない。逆に言えば、水力を再開発するといえばすぐに尾瀬で開発計画が進められる(すでに土地は購入済み)し、全国で尾瀬のような話が噴出するに違いない。

もともと自然科学の世界の人間だったので、そうでなくても、小規模な砂防ダムの建設で世界唯一の生息地をなくしたと見られる植物の話はいくつもできる。結局のところ、自然エネルギーなどといっても所詮は人工物を作る限り、どのようなものを作っても自然を破壊することには違いない。例えば、何回かの推進策で一時はブームのようににょきにょき建設された風力発電所だが、結局は作ったけれども回らない風車が続出し、環境問題や経済問題(投資資金が回収できない)、景観問題などを引き起こしたことを大都会の人たちは知らないのだろうか。都会の人工物の中なら風力発電の風車は気にならないのだろうが、自然景観の中でみる風車は異様の極みでさえある。

また、海上に建設するともいうが、海洋動物、特に音波を重要なコミュニケーションに使う海獣や鯨類に対する問題が生じないことを確かめているとも思えない。最悪こうした問題に関する研究を行い、環境アセスメントを行えば、建設までに数十年単位の時間が必要になるに違いない。ただし、「自然エネルギーがいい」と主張する人たちからそうした問題に対する対応策のひとつも聴いたことはない。まあ、だいたいにおいて、火力で代用などと、少しまで大騒ぎだったダイオキシンだの、CO2だの満載の手段を持ち出してくるのだから考えているはずもないのかもしれない。要は、大局的に見ていないその場しのぎの思いつきに過ぎないのだろうけれども。

「何とかムラ」なる言葉もよく一方的な呼び方だ。本来、発電所で作られる電力の恩恵など全く関係のないところに都会に作るのだから、その迷惑料も含めて利益還元するというのは妥当なのではないだろうか? そうでなければ、誰も直接利益の得られないモノを引き受ける引き受け手も現れないように思う。そうであれば、補助金漬けなどと批判せず、「どうもありがとう」「いつもお世話になっております」と頭を下げればいいように思う。少なくとも電気問題では、発電所を持たない、電気を多少なりとも使っている人たちは謙虚になるべきだろう。そういう関係がいやなら、エネルギー不要の生活をして見るか、自分で自分の分のエネルギーを作り出してみればいいのだ。

全体的に「なんとかムラ」「御用なんとか」と他人にレッテルを貼りたがる人間の話は信じないようにしている。しかし、そうして見直すとなんとも社会に出回っている情報の空虚なこと。

また、いたいけな少女に「正常な子供を生めますか?」なる質問をさせた下種な大人がいたらしいが、相手が学者であることを念頭においてこうした質問を発したとすれば相当な策士だと思う。「正常な」をどのように理解するかが問題だが、先天的な障害だと理解すれば、何もなくとも先天的な障害を持った子供が生まれる可能性があることはわかっている。専門家であれば、そうした可能性を考えて「絶対に大丈夫」とは言えないはずだ。そういったことまで考えて、回答に窮する質問を組み立てているのであれば、なかなかに策士だと思う。ただし、人間としては下種な部類だ。(主義貫徹のためには手段を選ばないという面で)

しかし、私は専門家ではないので、「はい。大丈夫です」と言ってしまおう。理由は、通常時に、妊娠に際してもともと先天的障害を持った子供ができる可能性がある程度あるにしても、それを問題にして妊娠を悩む親は滅多にいないからだ。そうでなくても、生まれた子供は親にとっても社会にとっても大切な子である。そこに「正常かどうか」などという概念を持ち込むこと自体が人道として許されないことだろう。だからこそ、悩むべき問題はないのである。

実際には、放射線の被曝が原因で遺伝上の問題が生じるという仮説は、長年の広島、長崎の被爆者に対する綿密な追跡調査の結果から否定されている。「ピカがつく」と称して、被爆者に対して婚姻などで差別する長年の風評被害があったと聞くが、それ は単なる思い込みであり、正されるべき悪癖である。それを本来、良識があるはずの人道的に原発被害を心配しているする人たちが主張しているということは実に矛盾に満ちている。今回、子供だけでそうした考えを持つとは思えないから、そうしたことを吹き込んだ大人は、福島のひとのほかに、全ての風評と戦った広島、長崎の被爆者に対して、己の不徳を恥じて懺悔をすべきではないだろうか?

それとも、長年の追跡調査の結果からヒバクシャを風評の呪縛から解き放した研究結果を否定し、御用なんとかと称して、無視を決め込むのだろうか? 結果として、信じてしまった妊婦がせっかく授かった命を中絶するような事態になったとしても平気でいられるのだろうか?

こんなことを考えていると、全国でなくならない「いじめ」の根っこが透けて見えるように感じられてならない。ストレスを感じるとなんとなく自分と異なるもの、弱い立場にあるものを攻撃したくなるのだろう。それがいじめを呼び、被爆者差別を呼び、いま新たな原発事故の二次被害を生んでいるのだろうと思うと非常に悲しい。

無責任に情報を垂れ流すマスコミを含めて、いま、大人は自分の行動を冷静に見直すべきではないか?

あの大震災から半年が過ぎた。