911から311

イラクの少女アヤは、6歳の時にがんになり片足を切断した。今は12歳になって、9月から中学校に行く年頃の少女になっている。その間彼女の成長に合わせて、義足の支援を続けてきたが、一方で、足を失った子どもたちはイラクにたくさんいて、彼女だけしか支援できない僕たちが情けなく、後ろめたくもあった。

震災が起きて、6ヶ月経ったが、震災直後に彼女からもらった手紙があり、ローカルスタッフにどんな事が書いてあるの? ときいても、「日本への感謝だ」ということであまりきちんと訳していなかった。改めて、アラビア語が堪能な加藤君というのに頼んだところ、ああ、あの小さな少女がこんなに成長しているんだと感動したので、全訳を皆さんにも読んで欲しい。この6ヶ月、イラクと、東北を歩いて感じたのは、戦争も、震災も、人びとが受ける苦しさは、全く同じだ。「地震や津波は必要だった」という人はいない。しかし、イラク戦争は、「必要だから支持した」というのが政府の見解だ。イラクの人たちの苦しみを、今始めて僕たちも実感できたのではないだろうか?日本の責任は大きい。期せずして911からも10年が経った今年、日本が復興して目指す国は、世界に平和をもたらす国になって欲しい。

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バグダード陥落
2003年3月20日、アメリカがイラクを占領するためにやってきた。国を壊すために、そして市民を制圧するために。イラク市民をアメリカの下にしばりつけておくために。陸も、海も、空も、イラクのすべてが取られてしまった。混乱の中でイラク市民は相争うようになってしまった。2003年4月29日、バグダードは攻め込まれた。バグダードは暗い墓場のようになってしまった。あの時から「アル・カーイダ」がイラクに入ってくるようになった。彼らのために爆発やテロ行為がたくさん起こるようになった。お年寄りや女性、そして子供がたくさん犠牲者になってしまった。放射能が原因で、爆発の煙が原因で、戦争のゴミが原因で多くの子供が犠牲になってしまった。

私もその中の一人。6歳の時、右足にガンを患った。放射能が原因だ。でも私の国には治療がなかった。薬や治療に必要な道具は盗まれてしまっていた。でも日本の支援のおかげで隣の国に治療を受けに行くことができたの。神様のおかげ、そして日本のみんなのおかげで治療を終える事ができた。ハムドリッラー。

地震と津波
日本で第二次世界大戦以来と言われる程とっても酷い悲劇が起こってしまった。これまで世界の国々に支援の手を差し伸べてきた日本が今、災害に見舞われている。神様にお願いするわ。日本のみんな頑張れるように。私はイラクの子供達の代表として、日本のみんながこの試練を乗り越えることができるようにお願いする。かつてイラクの子供達が辛い戦争や病気の時を乗り越えたように。

私達は日本のみんながこれまでイラクを、特にイラクの子供達を助けてくれたことに本当に感謝しているの。インシャーアッラー、悲劇が過ぎ去り、安寧がこの平和な国を包むでしょう。世界中の人々に優しさを届けてきたこの国を。だから世界中にお願いするわ。みんなですべての力でもって、そして手に手を取って素晴らしい友人である日本を助けてあげてって。彼らが困難を乗り越えられるように。

アヤ・ドリッド12歳