仏桑華(ぶっそうげ)咲く天のうてなから飛び降ります白い衣裳は能の舞台か
ら借ります八万四千字が祈る曼荼 羅の南麓で世界から真言を集める花
かごの徒歩の列が続いていま す疲労 が怨嗟に変わり怨嗟が疲労に代
わり果て眼下にもう終わっ た都市を見て いると不意に涙が湧いてくる一
人の聖人です神通力 はもうありません苦行は ヒマラヤ山脈に捨ててき
ました静かな心臓 の音が水流を 転読し清冽 な空気にふれると思い
出すことと言っ たら修行の日 の奥の 院の失敗 や浅瀬での禊ぎの
手抜きです 洗うのですか なだらいに手 をひらひら 泳がせて快楽
は無限の 向こうから 望遠鏡でこちらへ呼 び込むのです 明けない地
壇の 暗部が未明という よりほの明るく て朱塗りの地底がそ っと覗く
基部の 火山の砂があえか な肌の羽 に匂いを立てました そこからは
冷気です南 無かんなづきをゆ るや かに竹取が元年 の半分で待った
街の幻影は旧い 古代から新しい 面へすこし動く計 画の高地の互いの
海峡の嵐山が大悲 を乗せる奪うかたちの芸能者に もだえは破線の系図の
嫌疑を打つ桟橋崩壊賛 歌は比叡をいくつか下 り業務はひたすら恐竜のの
ど元で探すこと朽ち果てた 天使の骨草の 深い大文字の高度を斜面で受け
止める経文は華厳も法相もお しなべて 包む三千の眼の祈りです災いを許
しません認めませんないのですない 災いが降り注ぐ読経に影がありませんま
れびとのあとから南無阿弥陀仏
(迷路を出られない自分を図示します。9月25日に『東歌篇――異なる声』〈反抗社出版、カマル社発売〉を出しました。5〜7月の期間、ずっと調べていたので、書いたのは8月の短い時でしたが、記録そして記憶としては正確さを押さえたと思っています。思いだけ大きくて、ちいさな「明日の神話」です。和合亮一のツイッターを、私は出来ませんが、紙媒体でも追いかけられるという感じはのこせたでしょう〈今回は宣伝です〉。「水の泡」かも。)