ジャカルタ市内からタマン・ミニ見学ツアー

いまさら何をお上りさんみたいなことを...と言われるのを承知で、今回はジャカルタのタマン・ミニ・インドネシア・インダー(麗しのミニ・インドネシア公園という意味、1970年代初めにスハルト大統領夫人が建設した)にツアーで行ったときのことを書く。

といっても、普通のツアーではない。10月5〜6日にインドネシア観光文化省が主催する国際セミナーで発表したときのエクスカーション・ツアーなのである。このセミナーには海外からの発表者の他、インドネシア国内の他地域から来た聴講者(なぜかスラウェシ島の人が多かった)も参加した。

昼食後、モナス塔の近くのホテルから貸切バスで出発。タマン・ミニの年配男性職員がガイドを勤めてくれたのだが、ベテランで人を飽きさせない。英語も流暢なだけでなくて分かりやすい。きっと、しょっちゅう国賓を案内しているのだろう。道路は渋滞気味だったが、そのおかげで、説明を聞きながらゆっくり写真が撮れた。タマン・ミニへの道中はジャカルタの幹線道路を通るので、タクシーでいつも通り慣れている。けれど、観光バスだとそれらより視点が高いので、ビルが林立する都市の風景を見渡すには、観光バスというのは非常にいい。それに町がとてもきれいに見えて、感動的だ。(実際に歩くと、地面の汚さやら、でこぼこ加減やらに腹が立つ...)

ジャカルタ市内ではどういう所を紹介するのだろうと興味津々だったのだが、意外だったのが(考えてみれば当たり前かも)、各省庁や各国大使館の建物の紹介が多かったこと。こういう建物は、たぶん普通の観光ツアーでは紹介されないのではないだろうか。私がよく行く教育省の建物は、他の省庁の建物と比べても古くてみすぼらしい。逆に立派だったのが、税務署。建物が3つも前後に並んでいて、後ろに行くにつれ、新しく背が高くなっている。人口が増えるたびに建て増していったのではないかと思われる。建物によってはいつ頃建てられたのかという説明もあって、ジャカルタの都市の成長が理解できる。違う意味で意外だったのが、ムスティカ・ラトゥという民間の化粧品会社のビルも紹介されたこと。インドネシアを代表する美容企業という位置づけなのかも知れない。それでふと、東京に来た国賓はどんな所に案内されるのだろう、と思う。

タマン・ミニの近くまで来たとき、「えー、今から46年前の9月30日夜にここから約2kmの所で政変が起こり、先日の10月1日(ツアーは6日)にそのルバン・ブアヤ(ワニの穴の意味、ここで6将軍が殺害された)で追悼式典が行われました...。」という案内があって、ぎょっとする。スハルト(この政変に関して限りなく黒い)時代なら、そんな案内は絶対なかったはずだ。しかし、虐殺の地の目と鼻の先に、国の顔であるタマン・ミニを建設していたとは。そうと知ると、タマン・ミニが一種不気味な贖罪の施設のようにも見えてくる。ここに来るたびスハルトの胸は痛まなかったのだろうか...。

タマン・ミニに到着。最初にバリ風の割れ門のある建物に来る。我々が到着するとすぐにその建物の前でバリ舞踊が披露され、終わると踊り子たちと一緒に記念写真、その後、中の博物館を見学。これが国賓案内の定番らしい。ただ、上演される舞踊はその時々により変わるらしく、バリ舞踊だけとは限らないそうだ。博物館には各州の民族衣装に民族楽器、農耕や漁労の道具、伝統家屋や舟のミニチュア、伝統儀礼のジオラマなどが展示されている。この展示品、特に民族衣装がかなり古びて照明焼けしてしまっているのが気になる。マネキンの顔も時代遅れなら、髪もバサバサで、触ると崩れてしまいそうだ。民族衣装というのは、他の展示品に比べれば、大体の外国人には興味が持てるものだと思うので、国賓をいつも連れて来るのなら、せめてこの衣装フロアくらい刷新できないものか...と思う。逆に良かったのが、ワヤン(影絵)人形の展示。ワヤン・グドク、ワヤン・マディヨ、ワヤン・ワハユ...などの種類ごとに小さなスクリーンがあって、代表的な人形がそれぞれ何体かずつ展示されている。ワヤン好きな人には物足りないかもしれないが、スクリーンの後ろには光源があって、人形の色や形がきれいに見える。

しかし、何度もタマン・ミニには来ているのに、私はこの建物に全然見覚えがない。ガイドの人は、普通の観光客は最初ここに来るはずだが、と言う。そこでハタと、ああ私は入場料を払ってここに来たことがなかったのだと気づく。このタマン・ミニには調査部門や伝統芸術イベントの企画部門などもあって、私はその事務所にしか来たことがなかったのだ。入口まで担当者に迎えに来てもらって事務所に直行していたので、こんな博物館があったとは知らなかったのである。

園内には各州の伝統家屋が再現されているのだが、全部を見て廻る余裕はないということで、スマトラ館だけに案内される。なぜスマトラかというと、ガイドの奥さんがスマトラ出身だから。道理で、この人は民族衣装コーナーでもスマトラ島各州の衣装の説明しかしてなかった...。普段はジャワ中心でしか物を見ていないけれど、こうやってスマトラだけに焦点を当ててインドネシアを見てみると、ジャワとは違う国を見ている気になる。実際、やっぱりスマトラはマレーシアに近いとつくづく思い、マレーシアに来たような気になった。インドネシアの人たちは、自分の出身地以外の所に行くと、やぱり違う国に来たような気になるのではなかろうか。日本と違って、地方ごとに言語も違うから、その違和感はなおさらだろう。そういうことが実感できただけでも、このツアーに参加して良かった。

ツアーを終えて、ガイドの人はタマン・ミニにそのまま残り、私たちはバスで一路ホテルへ。往復のバス移動も含めて3時間くらいの旅だが、意外に充実して楽しかった。たまにはお上りさんになってみるのもいいものだ。