オトメンと指を差されて (42)

先日のことある女の子に、あなたのストラップがほしい、と言われたのです。といっても、私が持っているもしくは私が携帯電話につけているもののことではございません。これは〈あなたをかたどった小型人形のストラップがほしい〉という意味なのです。日本広しと言えどもごくごく日常会話のなかで、こんなわけのわからないことをねだられる人は、きっと私くらいじゃないかと思うのですが、驚きつつも時に何のためにそのようなものを欲するのかと当人に聞き返しますと、このような返答が。

「拝むんです。」

どうやら私は拝まれるみたいです。なんだか色々あって、対人・対物的には、私は何事にもあまり動じないゆるゆるした人になってしまっているのですが、そのような私と会話したりそこへ何か相談を持ちかけたりすると、その方はたいそう癒されるらしく、ですから何かいらいらしたり迷ったりしたとき、うまく私に会えなくても、そのストラップを拝むことできっと安らかになるに違いない、と。

私は仏像か何かなのでしょうか。

確かに昨今のストラップ文化は発達しており、小さな仏像を始め、さまざまなものが携帯からお守りのようにぶらさげられています。しかしそのへんにいる一個人や自分の友人をストラップとしてぶらさげるというのは聞いたことがないのですが、もしかしたら私の預かり知らぬところでじわじわはやりつつあるのかもしれません。

そこは私も疑問に思ったので、その点を問いただしてみると、否、あなたも忙しい人だから自分の話でいつも色々煩わせるのも申し訳ないから、ストラップでちょっと我慢してみようかな、と思っただけだとのこと。その背景には、愚痴を喜んで聞く人はおらず、自分の下らないことを聞かせると相手を不快にさせてしまうという考えがあるようです。

しかし私としてはそこへいささかの異議を唱えたくもあるのです。いやいやいや、そんなことはない。聞く側とて気持ちの持ちようで愚痴を拝聴することもエンターテイメントになりうると。

さすがに同じ人から同じことを何度も言われるのは困りますが、もちろん愚痴にも色々あるわけで、人が違えばご事情も違い、そこから見えてくる世界の様子は、私の人生とは異なっているわけで、聞けば聞くほど世にはこれほど多種多様の問題・軋轢・不条理などがあるのだと、私などは本当に感じ入ってしまうわけなのです。

ご本人に対して申し訳なくもあるのですが、そうなってくると私にとっては興味深い内容でもあるわけで、別段人の不幸を聞いて嬉しいとか、さすがにそういうことではないものの、少なくとも世の中について新たに知識を得ることは、不快なものではございません。言う方にも聞く方にも、感情なり心情なり知性なり精神(衛生)上のメリットがあり、需要と供給が成立しているならそれはひとつのエンタメと見なせるのではないでしょうか。

ただし。

私個人としては、愚痴は人様に言いたくありません。なぜかと申しますと。私の身に対して次々と起こる、いくつもの問題・事件・不条理......こんな面白いこと、私だけで独り占めしたいに決まってるじゃないですか!

ゆえに、私は人のお話を聞いていっぱい楽しみ、私自身の身の上は私だけで楽しむのであるわけで、私をストラップにしようという試みには、断固反対であるわけです。許せません、そんな私以外の無生物に私が喜ぶような語りかけをするなど、そんなもったいないことをしてはいけないのです! 全部私に! 漏れなく私に!

なお私から何か実のあるレスポンスがあることを期待してはいけません。基本は聞いてにこにこきらきらしているだけですから。それを癒しと言っていただけるのは、たいへんありがたいこととして、受け取っておきたいと思います。

というわけで、私は私の偶像崇拝をかたく禁じ、私自身のストラップ化という企画についても、丁重にお断り申し上げた次第なのでした。

(追伸:もしそのストラップに録音機能がついて、その音声を私に提出していただけるというのであれば、態度を軟化させる余地もあろうかと存じますので、なにとぞよろしくお願い申しあげます)