翠ぬ宝86―〈赤らむ穂〉祭文

新しい穂が出ますように。 ふくらむ実りが清浄でありますように。
赤ちゃんの飲む水のように、あなたの田が清浄でありますように。
その効(かい、穎)があるのなら、風にそよと答えてください。
なびいてほしい、この世の消息を。 返辞は赤い縁語で、そっと。
母には成仏して下さいと伝えたくて。 ミコさまから、
だれも恨んでいない、おれは運が悪かったと、母の言葉を伝え聞きました。
姉が落ち着いたら、もう一度来たいと話す。 JRの駅ビルで、
柱に凭れて口寄せしている。 今年も六月初旬から始めると、
七月の人、八月の人。 真っ青な顔が私のまえにならび、
この世にのこしたあの子、この子の心配をしている。
人生の総仕上げを始めた矢先でした。 何も告げずにいってしまったので、
気持ちを聞きたかった。 急にいなくなると、いつか還ってくると。

(チェルノブイリ原発事故から八年ののち、南相馬市の一詩人、若松丈太郎氏は、その地を踏んだ。浜通りに、第一原発、第二原発が建設されて以来、その危険性を四〇年、訴え続けてきた若松さんである。みずから思い立って、チェルノブイリの近く、プリピャチ市まで、はるばるやってきた。四万五千人のひとがそっくり消えた町。若松さんは書いている、「私たちの神隠しはきょうかもしれない」と、二〇〇〇年に出た詩集の一句である(『福島原発難民』より、二〇一一年五月。内容は一九七〇年代から二〇一〇年までの、若松さんの叫び、出版されてきた詩集を含む)。福島市内のある同人誌(『クレマチス』誌)の仲間は、例会に出された一作品を、自分たちだけのものにしておけないと、二〇〇部、パソコンで打ち出したままのコピーに作り、全国へ発送した(二〇一一年九月)。若松さんの作品「神隠しされた街」は一〇年前に書かれ、内池さんの作品はこの九月に書かれた。一筋繋がる福島の祈りである。
「鎮魂の祈り」より 漂流する秋
  あきあかねが きみどりいろの目を ひからせながら むれてとんでいたのは いつ
  もんきちょうが 風に ふかれるはなびらみたいに つがいでとんでいたのは いつ
  かなへびが 石がきのすきまに こけいろにひかりながら はいこんだのは いつ
  ......
上は内池和子氏のその詩の一部。松棠ららさんからの報知。喜多方市の俳人、五十嵐進氏の「農をつづけながら......フクシマにて」(二〇一一年七月)及び俳句も凄い。俳誌『らん』が転載していた。福島県内から、ぜったいに県外では書かれることのない心の声が発信されつつある。)