言葉を集めておこう、(続き)
「フクシマ法廷ですかね」
と若松さん、(一時帰宅の村田さんは、
いたたまれなくなって、
若松さんを訪ねたという。)
武藤さんは、五万人集会で、
「私たちは静かに怒りを燃やす東北の鬼です」、
と。
(〈子供たちを見送った後の屋上に立つと、決壊した堤防から昇る朝日に照らされ、変わり果てた荒浜が見えた。「壊滅」とはこういうことなのだと知った〉と、多田さんの手記である。給食用の野菜を納めてくれた方、米作り、シジミ獲りを教えてくれた方、酷暑の日も、強風の日も、路上で子供たちの安全を見守ってくれた方。学校がお世話になった方々。『世界』別冊〈二〇一二・一〉より。「壊滅」という言葉を先生の手記から記憶しよう。念願の六年生の担任を「終え」て、離任式もなく荒浜小学校を去る多田先生の手記から、宗教人類学者の山形孝夫氏は「実存的で真摯」という、強い印象を受け取ったという。この「実存」そして「真摯」という語も拾っておこう。「二〇一一」年をもって、一度は怒り、やがて忘れ立ち去ろうとしている、被災地から遠いひとたちも、もうしばらく戻ってきて、「二〇一二」年を怒りの時にし続けるためには、どんな方途、どんな連帯が思い起こされるべきか。〈原発に「国策」という名の衣を着せ、めくるめくような利権に群がってきた者たち。人間を数と道具としかみない陰謀家たち。保身と野心にまみれ、良心の告発を解かっていながら抹殺してきた者たち。貧しさを逆手にとって、つつましく生きてきた田舎人を、カネという名の麻薬漬けにしてきた者たち。そして、この惨状に目を背け、石棺の中に封じ込めようとする者たち。これら、すべてを被告席に座らせなければならない〉と、村田弘さん。福島県内からの告発である。この告発はふしぎなことに、福島県内からいくつも拾えるのに、県外から聞こえないのである。語「田舎人」そして「石棺」をもここに拾い出しておく。「田舎人」という語も、「麻薬」という語も、たぶん『六ヶ所村の記録』下〈鎌田慧、岩波現代文庫、二〇一一・一一〉のどこかに出ている。)